甲斐さんのソロアルバムは
甲斐バンド最後のアルバム『リピート&フェイド』と並行して
レコーディングされるはずだったそうだ
ジェネシスとフィル・コリンズのように
バンドはバンドのクオリティを確立して
ソロではバンドにない音を追究したいと
バンドをやりながら作って来られた曲の中で
『これはバンド向きじゃないな』とこぼれていった曲を
ソロアルバムに集めてみようと思われたんだとか…
でも【ハート】は『やっぱりバンドの方が…』と
リピート&フェイドに収められたらしい(笑)
それと甲斐さんのプロジェクトの前で
イチローさんがギンギンに演っていらしたので(笑)
この曲を1曲目に持ってくることで
『どーだ!俺の方が目立つだろ、参ったか!(爆)という
明らかな計算ですね』と甲斐さん(笑)
まあ、アルバムをトータル的に考える
プロデューサー目線だったようですけど…(笑)
そのギンギンの(笑)イチローさんは
大森さんがインストで…とお聞きになるまで
『ギターだけで演ろうという発想は浮かばなかった』そうだけど
『歌がどんなに大切か判ってたつもり』が
いざボーカルの立場に立たれると『甘かった(笑)』とイチローさん
『ギタリストから見ると、ギター対ボーカルって対比なんだけど
ボーカルから見れば、決してボーカル対ギターなんかじゃないんだよね』
甲斐さんが【ジェシー】を歌われたのも
『名曲に感じて貰った方がいいんじゃないか(笑)』と思われたかららしい
と言っても、イチローさんのボーカルがまずかった訳ではなく(苦笑)
『リズムも音程もそこそこで
でも、やっぱりただ歌ってるだけ
…みたいなニュアンスが拭い切れなかった』からなんだとか…
松藤さんもドラマーではなく
『シンガー・ソングライター』として4曲を作られて
それをご自身で歌われたことで
『バンドの中での役割とか
ドラムをどんな風に叩けば歌いやすいかということが見えてきた』そうだ
『MEETS』のレビューでも、押尾コータローさんの演奏だと
甲斐さんは、かなり歌いやすいんじゃないか…と話されてましたよね
ちなみに【レイニー・ドライブ】については
『甲斐さんのボーカルの方が
頑丈な車に乗ってドライブしてるみたい』とおっしゃってました(笑)
それはさておき、当時の奥さんにとっては
ソロであれ、バンドであれ
『甲斐さんの声が聴けさえすればそれでいい』というのが
正直なところだったみたいで(苦笑)
甲斐バンドの解散に対して冷静だったのも
『やるべきことは全てやった』という甲斐さんの言葉に
心から納得していたことに加え
『この先も甲斐さんが歌い続けてくれる』ことが
大きかったんじゃないかと…
その甲斐さんのソロアルバム『ストレート・ライフ』は
『ラブ・マイナス・ゼロ』を録り終えた直後から始まったそうで
『ラブ・マイナス・ゼロ』のために書かれた
【イエロー・キャブ】がオープニングを飾ってたり
『虜』のレコーディングの頃に作られた【レイン】もあれば
解散が決定して作業を中断なさった後
ニューヨーク行きの2日前に出来た曲もあって
30ヶ月もの幅を持って揃った曲を
統一した色彩に染める苦労があったという
その中断にしても、ファイナル・ツアーの余韻がおありだったのはもちろん
解散した後もメンバーの皆さんと映画制作のために
2ヶ月間ずっと顔を合わせておられたらしく(笑)
その解散の理由からして『空中分解』ではなく
『不慮の事故』みたいなものだったから
ウキウキして、ソロアルバムに戻る気になれなかったという
ちょうどその頃に
中島みゆきさんからプロデュースの依頼があり
『36.5℃』を作られることで
ご自身のプロデューサーの資質をチェックなさって
『あらためてやりたいことが判った』そうだ
『甲斐バンドはもっと続いていくはずだった』と甲斐さん
間違いなく自分のバックボーンであり
ソロ活動は甲斐バンドでやって来たことが
完璧に布石になってるし
バンドが持っていた流れを全て御破算には出来ない
逆にソロで『ああいう音』が作れなかったら
バンドが自分にとって何だったのかなんて言えない
一人になって『枠が何ひとつない』ことは怖い
どこまでも気が済むまでやれる訳だから
自分なりのルールを決めた
それが『どんなシンプルな楽器でも歌える曲を作ること』
曲自体が弾けていれば、レコードと同じスタイルで
ライブをやる必要はないしね
…と、おっしゃってますが
レコードと同じようにやろうと思ったら
実際それも出来るメンバーをツアーのために用意されたんだとか…(笑)
余談ですが、あるインタビューで…
甲斐さんが、定期的にアルバムを出すことよりも
問題は内容がどうかってことだから…と話されると
インタビュアーの方が
それは実績がある人の話だと…
甲斐さんは、そのためにみんな頑張るんじゃない
やりたくもないプロモーションを延々やって
ギターかついで雪の北海道まで出かけてく(笑)
…それがミュージシャンの第一歩だからさと答えられ
『甲斐さんは、そこから随分遠い地点まできたと思うんですが?』という質問に
『いまだに音楽に強く惹かれてるし
片手間に役者やる気にはならない』とおっしゃってるんだけど(笑)
ナゼ急に『役者』って言葉が…!?(爆)
解散と同時にオファーが殺到していたんでしょうか?(笑)
甲斐バンド最後のアルバム『リピート&フェイド』と並行して
レコーディングされるはずだったそうだ
ジェネシスとフィル・コリンズのように
バンドはバンドのクオリティを確立して
ソロではバンドにない音を追究したいと
バンドをやりながら作って来られた曲の中で
『これはバンド向きじゃないな』とこぼれていった曲を
ソロアルバムに集めてみようと思われたんだとか…
でも【ハート】は『やっぱりバンドの方が…』と
リピート&フェイドに収められたらしい(笑)
それと甲斐さんのプロジェクトの前で
イチローさんがギンギンに演っていらしたので(笑)
この曲を1曲目に持ってくることで
『どーだ!俺の方が目立つだろ、参ったか!(爆)という
明らかな計算ですね』と甲斐さん(笑)
まあ、アルバムをトータル的に考える
プロデューサー目線だったようですけど…(笑)
そのギンギンの(笑)イチローさんは
大森さんがインストで…とお聞きになるまで
『ギターだけで演ろうという発想は浮かばなかった』そうだけど
『歌がどんなに大切か判ってたつもり』が
いざボーカルの立場に立たれると『甘かった(笑)』とイチローさん
『ギタリストから見ると、ギター対ボーカルって対比なんだけど
ボーカルから見れば、決してボーカル対ギターなんかじゃないんだよね』
甲斐さんが【ジェシー】を歌われたのも
『名曲に感じて貰った方がいいんじゃないか(笑)』と思われたかららしい
と言っても、イチローさんのボーカルがまずかった訳ではなく(苦笑)
『リズムも音程もそこそこで
でも、やっぱりただ歌ってるだけ
…みたいなニュアンスが拭い切れなかった』からなんだとか…
松藤さんもドラマーではなく
『シンガー・ソングライター』として4曲を作られて
それをご自身で歌われたことで
『バンドの中での役割とか
ドラムをどんな風に叩けば歌いやすいかということが見えてきた』そうだ
『MEETS』のレビューでも、押尾コータローさんの演奏だと
甲斐さんは、かなり歌いやすいんじゃないか…と話されてましたよね
ちなみに【レイニー・ドライブ】については
『甲斐さんのボーカルの方が
頑丈な車に乗ってドライブしてるみたい』とおっしゃってました(笑)
それはさておき、当時の奥さんにとっては
ソロであれ、バンドであれ
『甲斐さんの声が聴けさえすればそれでいい』というのが
正直なところだったみたいで(苦笑)
甲斐バンドの解散に対して冷静だったのも
『やるべきことは全てやった』という甲斐さんの言葉に
心から納得していたことに加え
『この先も甲斐さんが歌い続けてくれる』ことが
大きかったんじゃないかと…
その甲斐さんのソロアルバム『ストレート・ライフ』は
『ラブ・マイナス・ゼロ』を録り終えた直後から始まったそうで
『ラブ・マイナス・ゼロ』のために書かれた
【イエロー・キャブ】がオープニングを飾ってたり
『虜』のレコーディングの頃に作られた【レイン】もあれば
解散が決定して作業を中断なさった後
ニューヨーク行きの2日前に出来た曲もあって
30ヶ月もの幅を持って揃った曲を
統一した色彩に染める苦労があったという
その中断にしても、ファイナル・ツアーの余韻がおありだったのはもちろん
解散した後もメンバーの皆さんと映画制作のために
2ヶ月間ずっと顔を合わせておられたらしく(笑)
その解散の理由からして『空中分解』ではなく
『不慮の事故』みたいなものだったから
ウキウキして、ソロアルバムに戻る気になれなかったという
ちょうどその頃に
中島みゆきさんからプロデュースの依頼があり
『36.5℃』を作られることで
ご自身のプロデューサーの資質をチェックなさって
『あらためてやりたいことが判った』そうだ
『甲斐バンドはもっと続いていくはずだった』と甲斐さん
間違いなく自分のバックボーンであり
ソロ活動は甲斐バンドでやって来たことが
完璧に布石になってるし
バンドが持っていた流れを全て御破算には出来ない
逆にソロで『ああいう音』が作れなかったら
バンドが自分にとって何だったのかなんて言えない
一人になって『枠が何ひとつない』ことは怖い
どこまでも気が済むまでやれる訳だから
自分なりのルールを決めた
それが『どんなシンプルな楽器でも歌える曲を作ること』
曲自体が弾けていれば、レコードと同じスタイルで
ライブをやる必要はないしね
…と、おっしゃってますが
レコードと同じようにやろうと思ったら
実際それも出来るメンバーをツアーのために用意されたんだとか…(笑)
余談ですが、あるインタビューで…
甲斐さんが、定期的にアルバムを出すことよりも
問題は内容がどうかってことだから…と話されると
インタビュアーの方が
それは実績がある人の話だと…
甲斐さんは、そのためにみんな頑張るんじゃない
やりたくもないプロモーションを延々やって
ギターかついで雪の北海道まで出かけてく(笑)
…それがミュージシャンの第一歩だからさと答えられ
『甲斐さんは、そこから随分遠い地点まできたと思うんですが?』という質問に
『いまだに音楽に強く惹かれてるし
片手間に役者やる気にはならない』とおっしゃってるんだけど(笑)
ナゼ急に『役者』って言葉が…!?(爆)
解散と同時にオファーが殺到していたんでしょうか?(笑)