ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

バンドやろうぜ!その18

2015-01-21 11:26:54 | 日記
甲斐さんいわく…

甲斐バンドでデビューしちゃったから(笑)
シンガー・ソングライター・アルバムというものを作ってなかったのね
で、ソロになって、それを3枚作って一応の決着感はあった

曲によってメンバーを入れ替えるというやり方で数年やって来て
今度はパーマネントな音のアルバムを作りたいなと思った

でも、そんなに簡単に『バンド』って出来ないから
『甲斐よしひろ&●●●』という形であっても

それまでの流動的なメンバーじゃなくて
パーマネントな形でやっていくメンバーを探したんだけど

ツトムと会って、すぐ決めた
彼とやるなら『バンド』だというくらい
説得力のある人間だったから…

甲斐バンドみたいに仲間同士で作ったバンドが解散したら
次に作るバンドは、メンバーに対して
尊敬できるとか力量を認めるとか
そういう認識がなければ出来ないよね

ソロの時には、曲先行志向型のレコーディングで
譜面にアイデアとかを色々と書き込んで
メンバーに伝える用意をしなくちゃいけなかったんだけど

バンドは、レコーディング以前に
バンドとしての音固めに時間がかかる
曲はあっても、統一したサウンドを産み出さなきゃならないから…

ひとつの曲についてのミーティングを何十時間でも出来るの(笑)
フレーズひとつひとつを各々が作っていく訳だし
それがやっぱり『バンド』なんだよ

バンドじゃない場合、何十時間も話せるのは
曲を作ったヤツだけだからさ(笑)

リハーサルにしても、甲斐バンドの時は下手だったから(笑)
やらざるを得なかったんだけど

KAIFIVEは、みんな上手いし
プロフェッショナルで、バンド志向のメンバーが集まってる

それでも1日8時間、トイレ以外は休まずに
リハーサルをしてしまうというのは
すごく時間を割かないと、いい音が出て来ないってことを
みんな知ってるんだよね

そのKAIFIVEの突然の『休止』宣言について
メンバー個別のインタビューによると…

ヤッチさんは…ちょっと充電しようかなってとこかな
放電しきった訳じゃないけど、KOするにはまだ技が未熟だから
山にこもって修業しなきゃ…と話され

KAIFIVEという美味しいカレーが出来たんだけど
ここでちょっとトロ火にして
各々の材料を洗い直すか…みたいなことだと思ってます

ツトムさんは…
『結局、問題は自分自身の課題に戻ってきた』と…

甲斐さんの刺激になりたい
逆に何かを吸収したいと3年間やって来て
自分のイメージをしっかり持たないと
このバンドでは出来ないなと思ったんです

自分のフォームを変えると同時に今までの自分を捨ててしまって
今それを立て直してるんですが
バンド活動と平行してやるのは無理なんです

甲斐さんは、福岡ドームライブの極秘(笑)完全版の映像をご覧になって
KAIFIVEのメンバーが『どこかビビってる』
『プレイのスケールが小さい』と感じられたらしく

その後の全国ツアーのライブビデオをチェックなさったら
『みんな別人』で、一人一人が大きな存在感を持っておられたそうだ

わずか4ヶ月での変わり様に
KAIFIVEの展開の速さを実感されたという

アルバム作りにしても
メンバー中心にアレンジした手作りのファースト・アルバム
セカンドでは、アレンジャーを起用し
3枚目にはデモテープを作って、そのままスタジオに入る

…といったレコーディング・スタイルの進化は
バンドの成長の度合いに合わせたものだったようだけど

『嵐の明日』は、KAIFIVEがスタートした時に
思い描いていた姿だったと甲斐さん

3枚目まではOKだ
でも4枚目は、バンドにとって『フォーエバー』の意味がある

もうひと段階上を狙うために、どういう思いで4枚目を作るか
もう一度ゼロから考えるべきだと思ってると話され

ソロ活動については…
自分がその気になるまでは止めておこうと思ってたんだけど
ついにその時期が来たという感じかな

以前から、ジェネシスとフィル・コリンズのように…と
バンドとソロの関係を捉えておられましたが

フィルはバンドとソロを使い分けているのではなく
いつも根源に立ち返ってやっているんだと気づかれたという

長い目で音楽人生を考えた時に
甲斐個人が醸し出す音楽を冷静に見つめる目がないと
大きな勝負の仕方が出来ない

バンドが面白くて、夢中になって3枚作ったけど
それとは別に、もっと大局的に見て
作詞作曲プロデュースを含めた視点に立って
考えてみることが必要だと思った

バンドが、いい筋肉を見せるものだとしたら
ソロはどれだけ立派な骨を持っているか
時間が経って、骨が鳴るような音楽をやってみたくなった
…と話されてます

ちなみに、甲斐さん個人が醸し出すものとは?という質問には
『ベイシックには、セクシャルな音楽をやりたい
性を感じさせる人間でありたいといつも思ってるから』と甲斐さん

還暦を越えても『じいじ』になられても
そこは変わっておられないようですね(笑)

お三方それぞれ表現は違っても
バンドとして、より飛躍するために
『個人』を見つめ直す
『個人技を磨く』ということをおっしゃってます

『バンド』は『個人』が集まって
『バンドの音』を作っていくものでしょうし

奥さんにすれば『えっ、もう!?』というタイミングでも
KAIFIVEにとっては自然の流れだったのかも知れませんね
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バンドやろうぜ!その17

2015-01-20 04:05:47 | 日記
【風の中の火のように】のシングルを録って
『History Live』のミックスをして
オリジナル・アルバムを作って
福岡ドームが終わるまで、半年間一切休んでない…と甲斐さん(汗)

そのオリジナル・アルバム『嵐の明日』は

【風の中の…】を作られるきっかけになった
『家族』や『絆』というモチーフから始まり
日常的なことがキーワードになっているそうだ

甲斐さんいわく…

バブルがはじけて、味噌とカレーが売れる時代になった
鬱陶しいけど、家族と生きていくことが現実なんだよね
そんな今だからこそ、日常のドラマをきっちり書きたかった

曖昧な芸風はチラつかせない
上岡龍太郎でいくか、鶴瓶でいくかはハッキリしようってね(笑)

甲斐バンド時代から、日本語の強さやキラメキを
どれだけロックの中に叩き込めるかということに
相当な精力を費やして来たんだけど

今、再び日本語に目覚めた気がしてる
カタカナのタイトルをつけて核心から逃げるよりも
現実をちゃんと見据えて日本語のタイトルで核心を突くという
今回は、かなりその衝動が強いかも知れない

奥さんによると…
この頃の甲斐さんは、漢和辞典が愛読書で(笑)
『痙攣』って漢字がキレイだとおっしゃってたらしい(笑)

でも、この日本語リターン(笑)のおかげで
巻き舌っぽい歌い方が失くなったんだとか…(笑)

奥さんは今でもそれが長岡さんの影響だと信じてるらしい(笑)
というのも、ちょうどこの時期に
甲斐さんが、ポニー・キャニオンに移籍されたからだそうだ

演歌界の方はさておき
東芝EMIに18年間在籍というのは最長記録に匹敵するらしく
業界では、かなりの事件だったという(笑)

ライブ自体は半年前に終わっていたものの
移籍後初の作品が『History Live』だったことが
更なる憶測を呼んだみたいで(笑)

甲斐さんは、その質問をされるたびに
『大ゲンカ』でも『トラブル』でもなく
『単なる偶然』『タイミングの問題』と苦笑いなさっていたそうだ(笑)

ついには『ナンか離婚記者会見みたいね
俺、一回そういうのあったけど(笑)長き年月でした(笑)』と自虐ネタも…(笑)

でも、かつて『ビートニク』を設立された際にも
シンコー・ミュージック側と『なごやかに』話し合われたらしいし…(笑)

まあ、甲斐さんが『版権』等に明るくていらしたことも
大いに関係あるんでしょうね

甲斐さんによると…

有史以前に(笑)アマチュア・コンテストで優勝して
殆どのレコード会社から誘いが来たんだけど

当時の自分が持ってるレコードの7割くらいが東芝のもので
画期的な姿勢と音質の良さで選んだのね

最初に選んだんだから
最後辞めるのもこっちで選ぼうと思って…(笑)

俺たちが今後何年間、求めてやまない状況と
レコード会社の考えるビジョンの形が違ったということ

ただ、バンドのこれからに関係することだから
ネガティブなまま続けていくのは、お互いに健全じゃないでしょ

そんな時期にキャニオンの『名物プロデューサー(笑)』が
熱心に誘って下さったから…(笑)

その長岡プロデューサー(笑)と大森さんが
History Liveを見に来られてたらしいので
その頃から話は進んでいたのかな?

ともあれ、移籍して最初に『どんなアルバムを作ろうか』と話された時
『ひとりぼっちはイヤだ…なんだよなあ』という話になったそうだ

甲斐さんが一時期『白岩という男』と頻繁に口になさっていた
読売テレビのプロデューサーの方も
『History Live』に入っているこの曲がいいとおっしゃったらしく

筑紫哲也さんの言葉といい
80年代のこの曲の『ひとりぼっちはイヤだ』というフレーズに
時代の共感があるんだなと思われたんだとか…

甲斐さんの書かれる詞がお好きで
バンド時代には『相談役』でもいらした長岡さんと
再び話されるようになって
『元の甲斐さんに戻った♪』と奥さん(笑)

この頃に大阪のライブ会場で
『長岡さんに会った♪』と浮かれてたことがありました(笑)

それはさておき…

【風の中の…】のヒットで若い世代の方にも
KAIFIVEの存在がアピール出来たようですが
(30周年ライブで、DA PUMPの皆さんもそう話されていたらしい)

僕から若い世代の人を判ろうとは思わないと甲斐さん
そんな大人なんて気持ち悪いじゃない(笑)

少なくとも僕が10代の頃は
そういう大人を気持ち悪いと思ったね

無理に近づこうとすると
精神の複雑骨折を招くから(笑)
色んな世代の人が自分の動機で捉えてくれればいいと思う

同じ『並木家の人々』の挿入歌だった【嵐の明日】
シングルではオーケストラをバックに歌われていて
アルバムとは違っているそうで

甲斐さんのソロ的な意味合いが強いので
『甲斐よしひろ&KAIFIVE』とクレジットされているという

このアルバムには、ヤッチさんの作られた曲や
リードボーカルを取っておられる曲も見受けられ

KAIFIVEというバンドの今後の活動の仕方みたいなものが
見えて来た矢先…突然の『休止』宣言!?

バンド・ブームが終わった後に結成され
周囲を『何故?』と驚かせたKAIFIVE

甲斐報のインタビューも
ひとつの区切りを迎えたことであるし
大きな視野で見たKAIFIVEを甲斐よしひろに語って貰おう
…的な意味合いだったようだけど

『コンサートが終わったら、少し休もうと思う』と甲斐さん
だから、今度のコンサートは必ず見に来て欲しい

…奥さんは相変わらず後ろ向きだったらしく(笑)
腰を抜かしておりました(苦笑)
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バンドやろうぜ!その16

2015-01-19 11:18:02 | 日記
甲斐さんは、KAIFIVEを結成された時
甲斐バンド、ソロときた流れを…バンドに対する意識じゃなく今までの流れを
1回断ち切ろうと思われたそうだ

ファースト・アルバムは過去との決別を含んだ宣言という意味合いで作ったから
あの形のままブレイクするとは全く考えてなかったと甲斐さん

スタートしたばかりのバンドのセオリーとして
ライブも観客が1m前にいる所(ライブハウス)から始める

そういう手順をキチンと踏んでいくことで自分の意識も変わらざるを得なくなるでしょ
それはモラルだと思ったの
モラルに則っていかないと行儀が悪い(笑)

甲斐さんの病気(扁桃腺炎)のために
大阪でのライブは延期になったようだけど
仕切り直しの3DAYS全てに参戦した奥さん(笑)

オール・スタンディングで3日間
職場から駆けつけ、開場前に整列してずっと立ちっぱなし!?(爆)

そうそう!『間もなく開演です、お席に着いて…』のアナウンスに
3日間共にツッコミが入ったライブがコレです(笑)

『去年は大阪をスッポカしてしまったから』と
他の会場のセトリにはなかった
【破れたハート…】と【らせん階段】を加えて披露され

CMで歌われていた【時の過ぎゆくままに】のサワリも
サービスして下さったんだとか…♪

ちなみに、ヤッチさんはこの大阪ライブの後
『曲を覚えて一緒に歌ってるファンが多いのに驚いた』と
おっしゃってたらしいんだけど

奥さんは『歌う大阪』に驚かれたことに
新鮮な驚きを感じたそうだ(笑)

2作目のアルバムについて、甲斐さんいわく…

バンドの最初って『コレだ!』というスタイルを明快に打ち出さないと
世の中の人は信用しないでしょ

ファーストでスタイルは出せたから
今回はもっとメリハリをつけようと…
ファーストがサウンド志向なら、今度は曲寄り

メロディアスなものは、よりメロディアスに
ドライなものは、よりドライに曲の持ち味を生かすため
キーボードも目立ち過ぎないように使った

ライブでは、今までの短いプロセスの中で磨いてきた
アコギ等のバリエーションも演ります

ガタイがデカくて骨太なだけのバンドじゃなくて
意外と指先白くて細くてキレイとか(笑)そういう部分も見せます

その後に『並木家の人々』の主題歌として
【風の中の火のように】を書かれる一方で

若手のミュージシャンの方々が
甲斐バンドのカバー曲をリリースされたり

竹本孝之さん他、5組のバンドが
『甲斐バンドのカバーをしまくる』ギグを行われたり

KAIFIVEのメンバーからも
越えなきゃいけないハードルとして、学ぶ価値があるはずだと
KAIFIVE流に料理してみようと持ちかけられた甲斐さん

ご自身は妙な照れもあって
避けたい意識もおありだったそうだけど

『今、バンドメイトがいることと周りのスタッフのおかげで…
そういう時期なのか、年齢なのか』

18年間に書かれて来た曲は
財産なんだと思えるようになったんだとか…

大きくアレンジを変えて違う曲にしてしまうのではなく
歌の表情を壊さないように
細かい所で今のテイストを採り入れ
グレードを上げるやり方をなさったという

選曲は『甲斐バンドの解散コンサートですら演ってない(笑)』
王道のヒット・パレード風になったらしい

東京での『History Live』には行けなかった奥さん
福岡ドームの柿落としライブで
その片鱗に触れて大コーフン(笑)

このライブについては以前にご紹介しておりますので
詳細は控えさせて頂きますが

『ビッグ4』の皆さん全員が
このタイミングだから、変なライバル意識もなく
恩人の皆さんのために仲間として集まることが出来た
…といった内容のことを話されていたそうだ

甲斐さんは、その柿落としライブの3日前に
40歳の誕生日を迎えておられ

『あと20年は歌い続けていきたい』とおっしゃったみたいだけど
その20年も軽く過ぎてらっしゃいますよね(笑)

当時の記事に添えられた写真には
おちゃめな不惑(笑)の甲斐さんと
まだ『幼い』と言いたくなるくらいの吉岡秀隆さんが
楽し気に写っていらっしゃいます♪

奥さんによると、当時の甲斐さんは
『博多にいた年数より、東京に住んでる年数の方が長くなった』と話されてたようですが

このライブの後の記者会見で、甲斐さんいわく…

九州という所は、年下は年上を立てる土地柄なので
チャゲアスは、今日一日アタマを下げっぱなし(笑)

こういう土地柄が好きでもあり
また、そういう所に反発して東京に行ったというのもあるんです(笑)

…って、チャゲアスのお二人が参加されてなかったら
甲斐さんが、アタマ下げっぱなしだったんじゃ…(笑)

実際には、藤井フミヤさんと牧瀬里穂さんが最年少コンビで
まめまめしく先輩方を立てておられたらしい(笑)

余談ですが、このライブの打ち上げの席で
筑紫哲也さんが挨拶に立たれて

『今日は甲斐君の【破れたハート…】を聴いたけど
これは、へばってる時によく聴いた曲なんだよね』と話されたという

甲斐さんは、筑紫さんとは結構長いおつきあいなのに
そんな話は初めて聞いたと驚かれたそうですが
この言葉で『あと10年いけるかな』と感じたとおっしゃってました

函館のバーで『安奈を口ずさむ中間管理職』の方に
お会いになった時みたいな気持ちになられたんでしょうね

そういえば、博多で陽水さんの下のお嬢さんから
『私、アンナっていうんだ』と言われたんだとか…(笑)
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バンドやろうぜ!その15

2015-01-18 10:01:24 | 日記
『ソロ』は、甲斐バンドとしてやって来た自分の音楽を解体して
もう一度組み立て直す作業をやりながら

『甲斐よしひろ』の正体を見つめ直してるような数年間だった

自分はやっぱりバンドの人間だって判ってきた訳だけど
それはやってみないと判らなかったことでしょ…と甲斐さん

インタビュアーの方に、再びバンドを結成するより
職業作家というか、プロデューサーという選択もあったのでは?と訊かれて

甲斐さんいわく…
器用じゃないよね、俺(笑)
『職人』できないんだよ

昔よく坂本龍一と話してたんだけど
毎日店を開けて、毎日同じ料理を出せない(笑)

俺たちB型は騎馬民族だから(笑)
農耕民族と違って、毎回捕って来るものが違う訳じゃない

その違う獲物を毎回おいしく料理しなくちゃいけないって思っちゃうのよ

『色んな人間を料理するという風にはならないのか?』という質問には

俺はストリートに戻りたかったの(笑)活気が必要だったのよ
何かを獲得し続けていくしか生きる意味がない訳だから

そのためのバンドっていう母体があるかどうかが
今の俺にとって実に問題なんだよ

プロデューサーの甲斐としては
バンドのボーカリスト・甲斐というのが
似合ってるんじゃないかと思った

サウンド・クリエイトしてるのは当たり前なんだけど
俺はきっとサウンド・クリエイトが矢面に立つより

あくまでも歌がど真ん中にないとダメなんだろうな
でも解体作業の中では、そういう部分が出て来ちゃうんだよね

このバンドのモチーフとして考えたのは
俺以外にヤッチもツトムも、バンドみんなで歌うってこと

基本的には、曲を作った者が歌う
この後はそういう展開になっていくと思う

ツトムさんは…1枚目のアルバムでは
それまでやって来たことを引きずっていたと話され

2枚目では、もう一度原点に帰るしかないと
ドラムの教則本をひもとくところまで遡ったとおっしゃってます

ヤッチさんは…2枚目のアルバムでは
KAIFIVEのサウンドというものを意識して
曲が書けない時期があったそうですが

甲斐さんのソロアルバム以来
奥さんを悩ませて来たアノ問題もピークに達してたらしい(苦笑)

そう、以前にも触れましたけど
甲斐さんの日本語の発音の件です(汗)

サウンドが変わるにつれ、歌詞の内容…というか言葉の選び方が変わって

甲斐さんの歌い方が英語っぽい発音になり
日本語の歌詞なのに巻き舌っぽく歌うようになってしまった…と奥さん

1年の3分の1を海外で過ごされていたこともあってか?
『愛』が『おい』に聴こえるくらいに
歌い方が変わっていたという(汗)

甲斐報にも同様の投稿があったようなので
奥さんの耳のせいではないかと…

ソロアルバムも『幻惑されて』や『LOVE JACK』も
決してキライじゃなかったみたいだし
ライブにもせっせと通ってたけど

『エゴイスト』くらいから
CDを聴いたり、ライブ映像を見る機会が
それまでと比べて減ってきてたような気が…?

この頃の髪を伸ばした甲斐さんは
『お気に入り(笑)』だったはずなのに…(笑)

先のインタビュアーの方が、強引な例えですが…と
甲斐さんのソロには、山下達郎さんの曲のボーカルだけを
泉谷しげるさんに差し替えたような違和感があるとおっしゃると

甲斐さんは、70年代初頭の泉谷しげるね
そこはハッキリしておこう(笑)と話され

つまり、洋楽的な部分を背景にしすぎてるってことでしょ?
サウンドを重要視しすぎると
微妙にアンバランスに感じる人が増えるんだろうね

聴き手にも色んな人がいるし
いつも聴き手とは、ある種の軋轢が起こるわけ…と
答えていらっしゃるんですが

奥さんにとっては
ボーカルも山下達郎さんになっちゃったってカンジでしょうか(笑)
もっとも、山下さんは巻き舌ではないですけどね(笑)

それはさておき…KAIFIVEのレコーディングは
プレ・ミーティングとプリ・プロダクションに
160時間をかけられたおかげで

本番のリズム・トラックは
わずか40時間で録り終えられたそうだ

多少のミストーンはあるけど
それよりも全体のグルーヴが大事だから…と甲斐さん

オーバー・ダビングをあまり何回もやっていくと
どんどん音の印象が薄くなっていくし

ギター2本欲しいとか、キーボードが欲しいと思ったところは
わざと隙間を空けといたんだよね

この3人でプリプロして一発で録るということがさ
どんなにバンドの成長に繋がったことか痛感したね

奥さんによると、結成当初のライブでは
かなりの数の曲で『やり直し』があったらしく(苦笑)
中には、1曲終わるまでに3度も4度も中断することも…(汗)

甲斐さんいわく…

初めの1年で方向性を探り合って、全員でそれを定めた
2年目にその色に沿った作品を作ってきた

順調ではあるよね
でも、いつも言うことだけど
バンドに悩みはつきものなんだよね

バンドに悩みがなくなったら、進歩もなくなると思うよ
だから、悩みをはらみつつも僕らは先に行く…

この後、レコード会社の移籍がなかったら
今みたいに奥さんが全国を飛び回ることはなかったんじゃないかと…(苦笑)

まあ、甲斐さんのファンでなくなるという選択だけは
全く有り得なかったと思いますけど…(笑)
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バンドやろうぜ!その14

2015-01-17 17:06:13 | 日記
『KAIFIVE結成』当時の記事は
どれもみんな『何故?今?バンドなのか?』です(笑)

ジョン・レノンのトリビュート・ライブの前後が
きっかけになってると思う…と甲斐さん

それ以前から、明快で力強いサウンドを作りたいと思ってたんだけど

ソロの時代というか、80年代というのは
レコーディング・クオリティが上がるだけ上がって
決定的なインパクトに欠けるところがある訳よ

サンプリングを追究したせいもあるんだろうけど
ヒューマンで強い音というのは出せなかったから

俺にとっての80年代という10年間は
面白くない10年だったのね

だから、70年代初頭のグランドファンクとか
レッド・ツェッペリンやCCRとか
あの辺のバンドにあった本当にヒューマンなインパクト
…そういう音楽が自分の原点でもあるしね

あれを再現しようというつもりは全くないんだけど
ああいうトリオで作る強い音を
もう1回やりたいと思ったのが動機なんだよね

【Oh My Love】の歌詞を書こうとした時に
シンプルで強い音を出す音楽をやりたいなって…

それならバックバンドじゃなくてパーマネントで
音楽も生き方も時代を共有できるメンバーを集めようと…

ソロの間にスタジオ・ミュージシャン達と演って
彼らの『何でも出来る』という形での音楽への思い入れは判った

でも、俺はやっぱり『これしかないんだ!』って
思い入れの方が好きなんだよ

ソロでやることはやったという意識があるからなんだけど
このままやっても同じことの繰り返しだろうと…

俺が一人でステージに立つんだったら関係ないけど
ソロだろうが何だろうが、バンドは必要なわけ

甲斐がいて、バックバンドがいるっていう状態よりも
ちゃんとバンドとして確立した方が
グルーヴが出るに決まってるじゃない

…で、バンドでないと出来ないって連中は若いヤツが多いから
友人の音楽関係者に色んな若いミュージシャンを紹介して貰ってた

そういう時期に、事務所にあったエコーズのビデオを見てみたら
(今川)ツトムがドラムを叩いてて
何かバンドっぽくてスゴく面白いなと思ったんだよね

それで直接電話して、ふぐ刺し屋で会ってさ
別に食い物で釣ろうと思ってた訳じゃないんだけど…(笑)

そういえば、土屋公平さんも
『初めてふぐ刺しを食べさせてくれたのは甲斐さん』って…(笑)

ともあれ、その時にはまだ
エコーズが解散することはご存知なかったそうで

今川さんも、解散後はスタジオ・ミュージシャンになるか?
またバンドを作るか?
それとも足を洗って田舎に帰るか?(笑)という状況だったらしい

セッション・バンドでライブハウスに出演されたり
スタジオで仕事をなさったりしておられたようだけど

いきなり譜面を渡されて
すぐに録音が始まるという形では叩けない
曲をちゃんと把握していないと叩きたくないと気づかれたんだとか…

その後、おふたりはバンドを作ることを決められ
ベーシストも含めて60人以上
2ヶ月間ほぼ毎日、オーディションをなさったそうだ

多奈加裕千さんを選ばれたのは…

20代後半のミュージシャンを狙ってたんだけど
やはりオーケストレーションとかが判ってない(苦笑)

彼はスケールきちんとまとめられるし、ガッツあるのよ
音に気迫があるの…で、33歳か~と(笑)

生き方が明快じゃないと音に出て来ない
音楽ってしょせん人間がやってるんですよね

ベースはね、一緒にやりたいって人と巡り会えなかっただけ
これは…というベーシストもいたけど

この3人の強烈な個性に及び腰になったりしてね(笑)
…って、一瞬だけ在籍されていたIさんのことでしょうか?(笑)

甲斐さんは『ベースがいないことへのこだわりは特にない』とか(笑)
『ベースがいる普通のバンドの形に
こだわらなくてもいいんじゃないの?って気持ちもあるけど』とおっしゃってます(笑)

どうして3人なのに『KAIFIVE』なのか?と
さんざん訊かれたと甲斐さん(笑)

『1本でもキューリ』とか『1足でもサンダル』って言うし…って答えると
世間の人は妙に納得してるけど(笑)

ただ『響き』が良いなってそれだけ(笑)
今は3人だけど、ステージではベースも入って4人
あとの1人っていうのは『オーディエンス』

…そうなんだ!甲斐バンドの30周年ライブでも
数々のゲスト・ミュージシャンのお名前の後に書かれてた
『& MORE』の『MORE』は、オーディエンスのことだと話されてたし…

と思ったら、今川さんいわく…
こう答えようって考えてた(笑)

それはさておき…

甲斐バンドは…エコーズもそうだと思うけど
まず仲間が前提で、仲間同士がバンドを作ったっていうものだったから

技術的にダメな奴がいても、それを補っていって
そこにそのバンドのオリジナリティが生まれて来る
そういうバンドは、生涯に1回しか出来ないんだよ

松藤とは、ドラマーとして知り合った訳じゃないけど
ツトムの場合は、彼がドラマーで
俺はボーカリストでって立場で知り合ったから
バンド自体の性格がそもそも全然違うよね

あっ、でも俺ひとつだけ知ってるよ
俺の方が、辻よりもっとワガママだろ(笑)

ちなみに、今川さんは直接的な返事は避けておられました(爆)
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