昨夜七時半からNHK衛星放送第2で「カーペンターズ特集」を放映していました。
カレンの心に染み入る歌声に改めて素晴らしさを再認識させられて、今日はCDを聴きながら入力しています。
今でも時々CMやテレビドラマの中で使われる事がとても嬉しく(*^_^*)今の若い子達にもカーペンターズの素晴らしい音楽に是非ふれて欲しいと思います。
■「カーペンターズ・ミニ・ヒストリー」
コネティカット州ニュー・ヘイヴンで1946年10月15日に生まれたリチャードと1950年3月2日に生まれたカレンの兄妹デュオ。
音楽好きな両親のもと、兄リチャードは9歳からピアノのレッスンをスタートした。一家は1963年にカリフォルニア州ダウニーに移り住んだ。64年リチャード、カリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校音楽専攻入学しコーラス部に加入。同年カレン、体育の授業が免除されるということでマーチング・バンドに参加、ドラムを始める。65年カレン、独立系レコード会社「マジック・ランプ」と契約。リチャード(pf)、大学の級友ウェス・ジェイコブス(b)、カレン(dr)の3人でリチャード・カーペンター・トリオ結成。66年リチャード・カーペンター・トリオ、ハリウッド・ボウルの「バトル・オブ・ザ・バンド」(コンテスト)に参加し最高点で優勝。同年カレン、マジック・ランプよりソロ・デビュー。「バトル・オブ・ザ・バンド」を見にきていたRCAのA&Rニーリー・ブラムに認められ契約したが重役会でデモ・テープを酷評され契約解除。同年リチャード、長年のソング・ライティング・パートナーとなるジョン・ベティスと出会う。67年学友のダニー・ウッダムズ、ゲイリー・シムズ、リチャード、カレン、ジョンで「サマーチャイムズ」結成。その後レスリー・ジョンストンが加わり「スペクトラム」と改名。「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」等に出演。デモ・テープを作成しレコード会社をまわったが一社も受け入れてくれず「スペクトラム」は68年に解散、リチャードとカレンは二人で活動していくことを決意。69年デモ・テープがA&Mレコードの創設者ハーブ・アルパートの耳に止まり11月に「涙の乗車券」でシングル・デビュー、アルバム「オファリング」(後に改題し「涙の乗車券」)リリース。デビュー・シングルは54位と振るわなかったものの70年にリリースしたバート・バカラック/ハル・デヴィッド作の「遥かなる影」が全米No.1(4週連続)の大ヒットを記録し一躍スターダムにのし上がった。その後も「愛のプレリュード」「ふたりの誓い」「雨の日と月曜日は」「スーパースター」「愛にさよならを」「シング」など大ヒットを連発し続けた。全米No.1を記録したのは「遥かなる影」「トップ・オブ・ワールド」「プリーズ・ミスター・ポストマン」の3曲。70年代前半を怒涛の如く走りぬけた二入だったが70年代中盤以降トップ10ヒットに恵まれなくなった。カレンも体調を崩しがちになっていたがこの頃はまだ誰も「拒食症」に犯されているとは気づいていなかった。その後異変に気づいた家族の薦めで治療を始め80年には結婚し回復に向かっているかに見えたカレンだったが、83年2月4日ダウニーの自宅で心臓発作で倒れ帰らぬ人となった。32歳という若さだった。今年2月4日はカレンの悲しい死から22年になる。
現在、カーペンターズは存在していないがリチャードとカレンが作り出した素晴らしい音楽は世界中の人々をいまだに魅了しつづけている。
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/carpenters/ universal さんのサイトから引用させて頂きました。