ノッポの放冗記

エンジニアとバスケのどうでもいい体験・知識・情報を綴ります。行くボールのながれは絶えずして、しかも私の本に帰ってこず。

能代工業高校

2021-05-11 23:07:16 | Basketball

 Twitterで販売が予告されていたので早々に予約、本日届きました。

「必勝不敗」

 

 

 今春から校名が変更されるとのことで全国報道もされていた能代工業改めて能代科学技術高校バスケットボール部の話です。

 30代半ば以降のバスケットボール関係者なら知らないものは居ない能代工業高校バスケットボール部は、1970~2000年代まで国内高校バスケットボール部の象徴でした。

 ハイライトは1979~85年(85年は七尾)のインターハイ7連覇、1993~98年は6連覇、そのうち1996~98年はインターハイ、国体、ウインターカップの3冠を3年連続達成と輝かしい限りです。

 ちなみに、2016年までは夏のインターハイが、2017年からは冬のウインターカップが真の王者を決する選手権大会として位置付けられています。

 また、1988年(ノッポが高校2年)は高校野球やバレーボールと同様に3月に開催されていた選抜大会が12月に移行したこともあり、その年のみ2回開催されたため史上唯一となる「4冠」の機会がありました。

 4大会ともに当時の国内で身長、能力ともにトップクラスの選手をそろえた能代工業高校と北陸高校が対決、結局インターハイのみ北陸高校に凱歌が上がり、4冠達成は成らずでした(メンバーのうち計7,8名が何らかの形で日本代表に携わっている黄金世代の中心チームでしたね)。

 能代工業高校は国際親善試合?で金沢市総合体育館、北陸高校は北陸大会で緑の高校・金沢市総合体育館に来たことがあり、両方とも見に行きました。

 体格、走力、跳躍力、声、能力、確度の高さや強さ、そして対戦した県内強豪高校が全く太刀打ちできない姿には同じ高校生?と当時のチームメイト達とただ唖然とするばかりでした。

 また、ノッポ高校1年の1月には北陸新人戦(当時は北陸と信越に分かれていた)を見学するために福井県の体育館を先輩たちと訪問、当時県内では無敵?と謳われた金沢高校がその北陸高校を前にフロントコートへボールを運べず、ダンクまで見舞われる姿を見て、「全国区」を知らなかったノッポにとっては驚愕するばかりでした。

 ちなみに、そのときの昼食時に近くの食堂で注文したカツ丼が豚カツとソースだけで、一同して「これは無いだろう・・・」とつぶやきながら食べたものでした。

 福井県のカツ丼が卵とじでなくソースカツ丼であることはその2年あまり後、大学で福井県出身の者と話をして初めて知ることになるのですが。

 話がかなり横にそれましたが、そんな能代工業高校バスケットボール部の区切りの意味で発行された「必勝不敗」です。

 

 なお、それとは別に「最強チーム勝利の方程式」なるタイトルで発行されている本もあります。

 こちらは朝日新聞秋田県版に2008~2012年にかけて連絡されていた「盤若の丘から」を編集して書籍化されたもので、たまたまネットでその連絡記事を見かけて、その延長から書籍の存在も分かって購入しました。

 

 

 

 2019年には出張業務の合間を縫って高校や能代駅を訪問、「聖地」を堪能しました。

 

 

 

 

 バスケットボール強化高校が増え、アフリカ系の長身高校生が留学の名目で来日、ミニバスからの指導による個人技術の向上、ネットなどを通してバスケットボール戦術が日進月歩で進んでいる現状では、かつての能代工業高校のスタイル…ゾーンプレスから速攻などといった限られた戦術だけでは通用しなくなり、2007年を最後に大会の優勝から遠ざかり、上位進出もままならない状況が続いています。

 コーチの解任や翻っての継続などといったお家騒動も報道され、取巻く状況は暗い話題ばかりですが、能代工業高校が高校バスケットボール界に残した功績は消えるものでないので、その伝統に敬意を表しながら新たな歴史を紡いでいってもらえばと願うばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする