とりあえず、Tシャツ姿のクラウス・ノミでもご覧下さい。
T シャツ の ノミ 。
これがまた似合わないんだ。
もと写真はこちら。→gallery
まあイカレファンといたしましては、その似合わなさが なおさら可愛いぜ などと思うわけでございますがな。
そもそも
あの容貌、あのメイクで、普通のTシャツを着ようというのが間違いです。
在りし日のノミさんのお姿を見るにつけ、
ああ この人は 「普通」の似合わない人だったのだなあ と、つくづく思います。
だってね、ちっと見てくださいましよ。
Ashra - The News Archive (スクロールして行くと、真ん中より少し上あたりに、
革ジャン&白Tシャツに赤いパンツでフツーにロックンロールしてるノミがいます。
ノミだとわかるかなあ。デコでわかるとは思いますが..)
↑これよりも、klausnomiland : Klaus Nomi land - A place for fans of Kl
こちらのお姿の方が断然、似合っておいでですし、断然、素敵じゃぁござんせんか。
映画『ノミ・ソング』でも、「彼は、普通にしていてもなんか変だった」
とか「人間、誰しも変な所はあるけど、彼はとりわけ変だった」などという、関係者の
ナイスな証言がございました。
いやあ いいですねえ。 変。
...とか申してはおりますが。
少々まじめに語らせていただくなら、
自分は普通にしているつもりなのに、周りからは変だと思われてしまう、というのは
ちっとばかり 辛いことでもあるんでございますよ。
そして
ノミ本人や周りの人たちが、彼のそうしたアブノーマルさを意識的に活用したからこそ
「歌う変異体・Klaus Nomi」という存在が、あのように確立し得たのだと、思うのでございますよ。
インタビューで「僕は自分を生きるアートだと見なしている」と語るノミ。
音楽仲間のC・ホフマンは「彼は、”未来はアーティストを求めている”と言っていた。
常にその観点から、いかに生き、いかに生活するかを決めていたんだ」と語ります。(映画の英語版公式サイトで読めます)
「Klaus Nomi」というペルソナは、彼や彼の仲間たちが作り上げた、 作品 でした。
ひとたびこのペルソナが確立されると、
彼はその後ずっと------ステージ上はもちろん、舞台を降りてもなお------この仮面をかぶり続けました。
「Klaus Nomi」でいるかぎり、彼は「ドイツなまりの裏声で歌うゲイの小男」という異質な存在ではなく、
「Klaus Nomi」という作品として、あるいは「Klaus Nomi」を演じる人間として
いわば、公に認められていたのです。
アートとは、世界の中で「私はここにいる!!」という叫びである と のろは思っております。
「Klaus Nomi」という存在は彼にとって
「普通」の似合わぬ、
「普通」でいられぬ、彼が、世界に受け入れられるための desperateな策であった と
また あるいは
シャイでおとなしいくせに目立ちたがりだったという彼が、
パフォーマーとしての道を歩むための、大仰な かくれみの であったと
そのように思えてならぬのでございますよ。
「普通」が似合わない。
「普通」でいられない。
けれども、「僕はここにいる!!」という
世界に対する 叫びのように 思われれてならぬのですよ。
そう思って見るとほら、
ノミさんのちっとも似合わぬTシャツ姿が
なにやら いとおしく 感じられはしませぬか。
ううむ
本日は絵だけUPしてあっさり終わる予定であったのに
えらいこと語ってしまいました。
いいんだ。堂々と胸をはって変人道を歩むことに決めたんだ。
これに懲りず
まだまだ続きますよ、ノミ話。
誰も期待してなくったって語っちゃうんだもんね。
はっはん。
T シャツ の ノミ 。
これがまた似合わないんだ。
もと写真はこちら。→gallery
まあイカレファンといたしましては、その似合わなさが なおさら可愛いぜ などと思うわけでございますがな。
そもそも
あの容貌、あのメイクで、普通のTシャツを着ようというのが間違いです。
在りし日のノミさんのお姿を見るにつけ、
ああ この人は 「普通」の似合わない人だったのだなあ と、つくづく思います。
だってね、ちっと見てくださいましよ。
Ashra - The News Archive (スクロールして行くと、真ん中より少し上あたりに、
革ジャン&白Tシャツに赤いパンツでフツーにロックンロールしてるノミがいます。
ノミだとわかるかなあ。デコでわかるとは思いますが..)
↑これよりも、klausnomiland : Klaus Nomi land - A place for fans of Kl
こちらのお姿の方が断然、似合っておいでですし、断然、素敵じゃぁござんせんか。
映画『ノミ・ソング』でも、「彼は、普通にしていてもなんか変だった」
とか「人間、誰しも変な所はあるけど、彼はとりわけ変だった」などという、関係者の
ナイスな証言がございました。
いやあ いいですねえ。 変。
...とか申してはおりますが。
少々まじめに語らせていただくなら、
自分は普通にしているつもりなのに、周りからは変だと思われてしまう、というのは
ちっとばかり 辛いことでもあるんでございますよ。
そして
ノミ本人や周りの人たちが、彼のそうしたアブノーマルさを意識的に活用したからこそ
「歌う変異体・Klaus Nomi」という存在が、あのように確立し得たのだと、思うのでございますよ。
インタビューで「僕は自分を生きるアートだと見なしている」と語るノミ。
音楽仲間のC・ホフマンは「彼は、”未来はアーティストを求めている”と言っていた。
常にその観点から、いかに生き、いかに生活するかを決めていたんだ」と語ります。(映画の英語版公式サイトで読めます)
「Klaus Nomi」というペルソナは、彼や彼の仲間たちが作り上げた、 作品 でした。
ひとたびこのペルソナが確立されると、
彼はその後ずっと------ステージ上はもちろん、舞台を降りてもなお------この仮面をかぶり続けました。
「Klaus Nomi」でいるかぎり、彼は「ドイツなまりの裏声で歌うゲイの小男」という異質な存在ではなく、
「Klaus Nomi」という作品として、あるいは「Klaus Nomi」を演じる人間として
いわば、公に認められていたのです。
アートとは、世界の中で「私はここにいる!!」という叫びである と のろは思っております。
「Klaus Nomi」という存在は彼にとって
「普通」の似合わぬ、
「普通」でいられぬ、彼が、世界に受け入れられるための desperateな策であった と
また あるいは
シャイでおとなしいくせに目立ちたがりだったという彼が、
パフォーマーとしての道を歩むための、大仰な かくれみの であったと
そのように思えてならぬのでございますよ。
「普通」が似合わない。
「普通」でいられない。
けれども、「僕はここにいる!!」という
世界に対する 叫びのように 思われれてならぬのですよ。
そう思って見るとほら、
ノミさんのちっとも似合わぬTシャツ姿が
なにやら いとおしく 感じられはしませぬか。
ううむ
本日は絵だけUPしてあっさり終わる予定であったのに
えらいこと語ってしまいました。
いいんだ。堂々と胸をはって変人道を歩むことに決めたんだ。
これに懲りず
まだまだ続きますよ、ノミ話。
誰も期待してなくったって語っちゃうんだもんね。
はっはん。