のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

川上弘美

2006-12-03 | 
人様からお薦めいただきましたので
川上弘美を読みました。



いやあ面白うございました。
のろの大好きな内田百鬼園先生に似た香りがぷんぷんいたすぞ、と思ったら
川上氏御本人が百鬼園先生のファンでいらっしゃるようで。
(残念ながら ↑ 門構えに月の「けん」の字がPCで表示されないので、”ひゃっきえん”表記とさせていただきます)

真面目なようなすっとぼけたような、とつとつとした語り口。
とりわけ擬音語・擬態語づかいがよろしうございますねえ。

鳩というものはこれであんがい可愛いものだった。ででー、ぽぽー、と柔らかく鳴く。体に比べて小さな足でぽつぽつ歩く。窓を開ければ驚きはばたく。
そんな様子のころはよかったのだ。それが次第に態度を変えていった。最初遠慮がちだった声が高くなった。ででー、ぽぽー、だったのが、ででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽと、ひっきりなしになった。ぽつぽつ歩いていたのが、でしでし歩くようになった。でしでしと手すりや植木や物干しの上をわがもの顔に歩く。窓に近づいただけではばたき去ったのが、窓を開けても拍手しても叱っても動かなくなった。しまいには、布をはためかせても棒でつついても、去らなくなった。去らずに、いっぱい糞したり羽根を広げて仲間どうしでふざけあったり朝四時ごろからやってきてででぽぽを永久みたいに繰り返すようになった。

『あるようなないような』収録「鳩である」 中公文庫 p228

例えるならば
一見おおざっぱなようで実は繊細な絵付けの施された焼き物(湯飲み茶碗、普段使い)
といった雰囲気でございます。
手に取ってじっと眺めていると中で金魚がひろひろ泳いでいるのが見えたり
ざざー と潮の音がしたり、近所の大仏さんがぬっと出て来て
「そういうわけである」とひとこと言ってひっこんだりする
そういう湯飲み茶碗でございます。
のろは現代作家さんの本をあまり読む方ではございませんので、お薦めがなかったら一生手に取らなかったかもしれません。
お薦めくださったかたに感謝でございます。