間にいろいろ挟まりましたが、12/27の続きでございます。
前に申しました「未来の化石」のほか、日本画で印象深かった作品をいくつか述べさせていただきます。
原千紗さんの『洗濯機』(↓こちらで見ることができます、色彩は随分くすんでしまておりますが)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品
大きな画面いっぱいに、繊細な、しかしねばつくような弾力性のある白い泡が渦巻き、その間に色とりどりの洗濯物、ハンカチやシャツや靴下が躍っております。日常生活の一コマを切り取ったにしても、情緒や物語性をいっさい排除したその切り取り方は実に新鮮で、すがすがしい感じがいたしました。そこには生活に疲れた人物もいなければ、家事に勤しむ母親も、洗濯機をのぞき込むいとけない子供の姿もございません。ただひたすら、ぐるぐる回る泡と洗濯物があるだけ。
ただそれだけ。しかし泡や洗濯物の躍動感と明るい色彩が、なんとも喜ばしい。そして洗濯槽からふわりと外へ漂い出た泡や色彩は、「洗濯」という全く日常に属しているはずの光景を、不思議に幻想的なものにしているのでございました。
泡と言えば福田浩之さんの『日々のあわ』も印象的でございました。(↑リンク先で見られます)
これまた「ただそれだけ感」とでも申しましょうか、どうも語彙が貧困で申し訳ないんでございますが。
竹内浩一さんの作品が見られたのも嬉しうございました。(↑リンク先で見られます)
竹内浩一さんの描く動物たちは体温や肌の湿り気まで伝わって来そうなほどに写実的でございますが、もちろん単にリアルというだけではとうてい足りない魅力がございます。羊や象、シマウマや猿、そして今回のライオン、彼らはみな、恐いような尊いような無垢の表情をその全身に浮かべております。その表情は意識に浸食された人間という生物にはもはや伺い知れない楽園-----無垢で残酷な楽園-----の住民である、という彼らのステイタスを見る者に想起させるのでございました。
それから村山春菜さんの『流動するかたち』という作品が大変よろしうございました。高い所から駅のホームを見下ろした図なんでございますが、一見抽象画かと見まごう画風、ぐいぐいとひかれた力強い線、がたがたと振動し、刻一刻と流動していくような「かたち」の表現など、際立ってユニークでございました。
彫刻部門では非常にのろごのみな作品がございました。
片山康之さん『すべての夜に』(↓こちらで見られます)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品
月のように青ざめた男が、何かにもたれるようにして立っております。
頭を少し垂れ、膝を少し曲げ、前屈みになった身体はゆるいS字を描いております。ゆったりと曲線を描く胴体は、力なく垂れ下がる両腕、くるぶしで途切れている足と相まって、マニエリスム絵画のような浮遊感を宿しております。目を閉じ唇をこころもち開いたその顔には、喜びとも悲しみともつかない微妙な表情が浮かんでおります。瞑想しているのか、苦しみに耐えているのか、あるいはただ耳をすましているのか。腰から突き出ている木の枝や背中に走っているひび割れといった生(き)の部分の動的な痛々しさと、顔や手の静的で繊細な表情とがともに印象深い作品でございました。
まあそんなわけで
今回の日展、のろ的にはけっこう収穫のあるものでございました。
前に申しました「未来の化石」のほか、日本画で印象深かった作品をいくつか述べさせていただきます。
原千紗さんの『洗濯機』(↓こちらで見ることができます、色彩は随分くすんでしまておりますが)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品
大きな画面いっぱいに、繊細な、しかしねばつくような弾力性のある白い泡が渦巻き、その間に色とりどりの洗濯物、ハンカチやシャツや靴下が躍っております。日常生活の一コマを切り取ったにしても、情緒や物語性をいっさい排除したその切り取り方は実に新鮮で、すがすがしい感じがいたしました。そこには生活に疲れた人物もいなければ、家事に勤しむ母親も、洗濯機をのぞき込むいとけない子供の姿もございません。ただひたすら、ぐるぐる回る泡と洗濯物があるだけ。
ただそれだけ。しかし泡や洗濯物の躍動感と明るい色彩が、なんとも喜ばしい。そして洗濯槽からふわりと外へ漂い出た泡や色彩は、「洗濯」という全く日常に属しているはずの光景を、不思議に幻想的なものにしているのでございました。
泡と言えば福田浩之さんの『日々のあわ』も印象的でございました。(↑リンク先で見られます)
これまた「ただそれだけ感」とでも申しましょうか、どうも語彙が貧困で申し訳ないんでございますが。
竹内浩一さんの作品が見られたのも嬉しうございました。(↑リンク先で見られます)
竹内浩一さんの描く動物たちは体温や肌の湿り気まで伝わって来そうなほどに写実的でございますが、もちろん単にリアルというだけではとうてい足りない魅力がございます。羊や象、シマウマや猿、そして今回のライオン、彼らはみな、恐いような尊いような無垢の表情をその全身に浮かべております。その表情は意識に浸食された人間という生物にはもはや伺い知れない楽園-----無垢で残酷な楽園-----の住民である、という彼らのステイタスを見る者に想起させるのでございました。
それから村山春菜さんの『流動するかたち』という作品が大変よろしうございました。高い所から駅のホームを見下ろした図なんでございますが、一見抽象画かと見まごう画風、ぐいぐいとひかれた力強い線、がたがたと振動し、刻一刻と流動していくような「かたち」の表現など、際立ってユニークでございました。
彫刻部門では非常にのろごのみな作品がございました。
片山康之さん『すべての夜に』(↓こちらで見られます)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品
月のように青ざめた男が、何かにもたれるようにして立っております。
頭を少し垂れ、膝を少し曲げ、前屈みになった身体はゆるいS字を描いております。ゆったりと曲線を描く胴体は、力なく垂れ下がる両腕、くるぶしで途切れている足と相まって、マニエリスム絵画のような浮遊感を宿しております。目を閉じ唇をこころもち開いたその顔には、喜びとも悲しみともつかない微妙な表情が浮かんでおります。瞑想しているのか、苦しみに耐えているのか、あるいはただ耳をすましているのか。腰から突き出ている木の枝や背中に走っているひび割れといった生(き)の部分の動的な痛々しさと、顔や手の静的で繊細な表情とがともに印象深い作品でございました。
まあそんなわけで
今回の日展、のろ的にはけっこう収穫のあるものでございました。