のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ブリューゲル 版画の世界』1

2010-11-09 | 展覧会
美術館「えき」KYOTOで開催中の、ブリューゲルの版画展に行ってまいりました。

なかなか凝った公式HPはこちら。音が出ます。
ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界

ブリューゲルの作品だけかと思いきや、同時代の版画作品も多数展示されておりました。当時流行していた主題を知るという点でも、ブリューゲルとの比較という点でも、これがなかなか面白いものでございました。

例えば、お祭りで浮かれ騒ぐ農民たちを描いた一連の作品。
農民の姿を多く描いたことから「農民のブリューゲル」とも称されるピーテル・ブリューゲル。(長男で父と同名のピーテルと次男ヤンも画家であり、それぞれ得意とした画題にちなんで「地獄のブリューゲル」と「花のブリューゲル」というニックネームがございます。)が、ワタクシこれまで、老ピーテルの農民画がとりわけ「暖かいまなざし」のもとに描かれていると思ったことはございませんでした。はるかな高みから見下ろしたような俯瞰の構図や、生々しいまでのこと細かな描写は、共感や好意といったものよりも、人間の生態を引いた視点から観察する冷徹なまなざしによるものと思われたからでございます。

しかし本展で他の作家による農民画と比較して見て初めて、ブリューゲルの視線が決して冷ややかなものではなかったことが分かりました。
同時代の作家が描いた農村の祝祭風景は、あちらでは酔っぱらいがよろめきながら嘔吐し、こちらでは喧嘩がおっぱじまり、その向こうでは好色そうな表情をうかべた男女が抱き合っておりと、農民たちの粗野な部分や猥雑さがとりわけ強調されておりまして、いささか見世物小屋的な様相を呈しております。
それに対しブリューゲルの作品は、引いた視点で描かれてはいても見世物的なところはなく、農民たちの姿をことさら「悪い見本」として提示する意図も感じられません。むしろ晴れの日を楽しむ農民たちの浮き浮きとした雰囲気を表現することに心を砕いているようでございました。

もちろん自身も顧客も都市住民であったブリューゲルが、農民たちを「我々とは異なるもの」として観察していたであろうことは想像に難くございません。しかし小さな画面いっぱいに展開される、いとも人間的な彼らの姿からは、「異なるもの」に対して向けられた非難や軽蔑ではなく、愚かでもあれば単純でもある、同じ人間としての愛着が感じられました。また、ワタクシが「冷徹なまなざし」と考えていたブリューゲルの観察眼は、農民たちにのみ向けられたものではなく、自らを含めた人間というもの全体に対して向けられたものであったことが本展を通じてよくわかりましたし、その冷徹さや皮肉も決して単に厭世的なものではなかったということが、輪になって躍る農民たちの屈託ない姿を通じて表現されているようでございました。

ちなみに粗野で卑俗な「悪い見本としての農夫たち」の図像は、もっと洗練された形で17世紀オランダの風俗画へと受け継がれるわけでございますが、本展で見られる農民画は時代的に、15世紀の時祷書などに見られる理想化された農村の風景と、17世紀に流行した風俗画とのちょうど中間に位置しており、その点でも興味深いものでございました。

次回に続きます。