近江八幡市北津田町と島町にまたがる「阿弥陀寺遺跡」で、戦国時代の石垣が見つかった。石材の間から戦国時代の銅皿や土器の破片も出土しており、石垣が崩れた後、16世紀前半以降に補修されたとみられる。
↑写真:中日新聞より
滋賀県文化財保護協会が発表した。規模や構造が近江で最初期の城郭石垣と類似しており、専門家は「後の穴太(あのう)衆などにもつながる近江の石垣構築技術のルーツの一つと考えられる」とみている。
協会は砂防工事に伴う発掘調査を2022年度から実施。2023年度は2100㎡余のうち、これまでに約850㎡を調査したところ、石垣5カ所、石積2カ所を確認した。
石垣は15世紀末から16世紀に築造されたと推定。坊跡と思われる石垣を用いたひな壇状の平たん面も確認した。標高120mで見つかった大規模な石垣は幅14m、高さは平均1・5m。実際にはさらに南へ延び、別の石垣につながっていたと考えられる。自然石をそのまま積み上げる「野面(のづら)積み」で構築され、石材は近江八幡、東近江の両市で産出する火成岩の一種「湖東流紋岩」が使われていた。
使用石材の大きさや石の隙間を埋める「間詰石」を多用する手法などは、近江八幡市内で16世紀初頭に築城された岡山城(廃城)の石垣と似ている。
近くの観音寺城では16世紀半ばに大規模な石垣が築かれ、後に安土城が完成し城郭への石垣導入が本格化する。
中井均県立大名誉教授(日本城郭史)は「武家側が中世山岳寺院と関係を持ち、寺院の配下にあった職人集団の石垣構築技術を取り入れたのでは」とみる。
「阿弥陀寺」は平安時代の創建と伝わる。現在は江戸末期に再建した本堂と山門、石段が残るが、かつての姿の詳細は分かっていない。
現地説明会: 10月8日(日)14:00から。
公共交通機関での来場を呼びかける。JR近江八幡駅から、近江鉄道バスの長命寺行き「渡合」下車、徒歩20分。
問い合わせ: 滋賀県文化財保護協会 077(548)9780
<中日新聞より>