東近江市の近江鉄道八日市駅近くにある飲食店6店が8月28、29日の両日、各店自慢の総菜を盛り合わせたオードブルを、駅近くの本町商店街サンパーク駐車場でドライブスルー形式で販売する。
私の初めての海外渡航は1974年11月、行先はタイ・バンコク経由の「バングラデシュ」だった。観光目的ではないが趣味の旅であった。
約1週間の初渡航は1泊バンコクに泊まり翌朝バングラデシュのダッカに向かう旅程だった。
バンコクに到着の日の夜は友人でバンコク日本人学校の先生に歓迎して貰った。日本のビールよりもアルコール度数が高い現地のシンハービールを頂いたことを今でも覚えている。
大阪伊丹からのJALの初フライトもバングラデシュに持ち込む超過重量は想定内で収まり初日は順調だった。
ところが一夜が過ぎ、一転、翌朝バンコクを出発する前、大ハプニングが起こってしまった。。。。。
実はバングラデシュから休暇でバンコクにきていた友人のオランダ人と翌朝バンコクの彼の宿泊ホテルで合流して、同じ便でドンムアン空港からダッカに向かう手はずにしていた。
翌朝ダッカに向け彼と合流すべくタクシーでホテルを出たが、彼の宿泊してた「マラヤホテル」のところを私は運転手に誤って「マレーシアホテル」と告げてしまっていたのだった。
翌朝ダッカに向け彼と合流すべくタクシーでホテルを出たが、彼の宿泊してた「マラヤホテル」のところを私は運転手に誤って「マレーシアホテル」と告げてしまっていたのだった。
乗車した時はそんなこととは露知らず、同じバンコク市内の「マレーシアホテル」に着けどもホテルではそんな人は滞在していないという。勿論、ロビーにも外人らしい人はいなかった。
到着した昨夜、再確認をしておけば良かったのだが初渡航・外国で舞い上がっていたのだろう。注意が足りなかった。
また、今思い起こせば甘かったのだが友人のオランダ人と我々は互いに顔写真の交換もしていなかった。彼のホテルに行けば日本人を見つけられるだろうし、また、待ち合わせの場所のホテルにそんなに多く外人がいないだろうと軽く見ていたと思われる。
その「マレーシアホテル」で待っていても友人は現れず一体どうなっているのか直ぐは判らなかった。暫くしてが何かおかしいとようやく気がついた。
その「マレーシアホテル」で待っていても友人は現れず一体どうなっているのか直ぐは判らなかった。暫くしてが何かおかしいとようやく気がついた。
マレーシアホテルで似たような名前のホテルがないかフロントで尋ねたら「マラヤホテル」があるではないか!!!
ああ確かに彼から「マラヤホテル」と聞いていたのを思い出した。それなのに私は「マレーシアホテル」と、ドライバーに行き先を告げていたことをようやく覚った。道理で彼はこのホテルにいないのだ。
しかし、時間はとっくに空港に向かうべき時間を過ぎている。もう今から「マラヤホテル」に行っている時間はない。私は判断に迷った。予定のフライトに乗るには彼も我々と合流できないので我々を待たず先に空港に向かっているかも知れない。若しくは彼はそのホテルで我々と合流予定になっていたので我々の到着をまだホテルで待っているかも知れない。
どちらか片方がこの現状から違った判断と行動をしていればバンコクの空港で合流出来なかったことになる。
ことは深刻である!もし彼と合流できなければ例え我々がダッカに到着しても彼が我々も見つけてくれない限り会うことが出来ない。なぜなら、我々は彼の現住所を知らなかったからである。これまで彼とのやり取りはPOBox(私書箱)宛で、住所が判らないとお世話になる彼の自宅には行けないのである。
私は焦った!時間がない。暑いバンコクだったのにドクドクと冷や汗が出てきた。
どうしょう、空港へ行くべきか、彼のホテルに行くべきか迷った。私は必死で考えた。多分、彼はバンコクからのフライトを既に予約している。ボランティアの身分でフライトがいつでも変えられるノーマルチケットは高いので買っているとは思えない。また、例え私達と合流できず一人でバングラデシュに戻っても何ら困ることはない。つまり彼は合流出来なくとも帰るだろうと推測し、我々はドンムアン空港に急行することに決心した。
今と違ってバンコクからドンムアン空港までそんなに車はなかったがそれでも既にチェックイン時間が迫っていたのでドキドキしていた。何という私の大失態。バンコク市内から空港までの時間が長かったこと。。。。
どうしょう、空港へ行くべきか、彼のホテルに行くべきか迷った。私は必死で考えた。多分、彼はバンコクからのフライトを既に予約している。ボランティアの身分でフライトがいつでも変えられるノーマルチケットは高いので買っているとは思えない。また、例え私達と合流できず一人でバングラデシュに戻っても何ら困ることはない。つまり彼は合流出来なくとも帰るだろうと推測し、我々はドンムアン空港に急行することに決心した。
今と違ってバンコクからドンムアン空港までそんなに車はなかったがそれでも既にチェックイン時間が迫っていたのでドキドキしていた。何という私の大失態。バンコク市内から空港までの時間が長かったこと。。。。
しかし、ラッキーかな彼は既に空港に到着しチェックインしていた。
ダッカ行きのチェックインカウンターへ直行。互いに顔も知らなかったのに空港では直ぐ判った。
バンコクの「マレーシアホテル」で、空港かマラヤホテル行きかの選択は掛けみたいなものだった。彼も我々と約束のホテルで合流できなかったので心配していたそうだ。
彼は私の読み通り、先に空港に来ていてくれていた。良かった!これでバングラデシュに行けると思った。この時の危いできごとは47年も昔のことであるが今も鮮明に覚えている。
湖国に初めての深紅の大優勝旗を――。
近畿勢で唯一、夏の甲子園で優勝経験がない滋賀代表の「近江」は、そんな強い思いを持って快進撃を続けたが、智辯和歌山に敗れ「4強」で終わった。
近畿勢で唯一、夏の甲子園で優勝経験がない滋賀代表の「近江」は、そんな強い思いを持って快進撃を続けたが、智辯和歌山に敗れ「4強」で終わった。
↑写真:滋賀勢、初の甲子園V逃す(朝日新聞より)
今年で103回を数える大会の歴史で、滋賀県勢は苦戦を続けてきた。
1府県1代表が定着する第60回大会までは、隣の京都との代表決定戦で苦杯をなめ続け、滋賀県勢が初出場したのは1953年(昭和28年)の第35回大会。そこから26年かかって、第61回大会(1979年・昭和54年)での初勝利は全国で最も遅かった。
大会で滋賀県勢の通算勝率は4割強。全国最高勝率(約67%)の大阪を筆頭に、5割を大きく上回る他の近畿各府県の後塵を拝してきた。それだけに、近江は同じ近畿地区の代表校にライバル意識を燃やしてきた。
ベンチ入り18人のうち滋賀県内出身者は10人。守山市出身で中軸を打つ新野翔大君(3年)は、「近畿の学校が甲子園で活躍しているのに、悔しい気持ちがあった」と話す。同じ守山市出身のエース岩佐直哉君(3年)も「近畿では一番下」と自覚してきたという。
だがこの夏、近江は新たな歴史を刻んだ。
夏の甲子園で滋賀県勢は大阪勢に4戦全敗だったが、2回戦で「大阪桐蔭」を相手に初白星を挙げた。栗東市出身の山田陽翔君(2年)にとっては「特別な試合」だった。
大阪桐蔭は3学年上の兄・優太さんの母校。山田君は「自分を育ててくれた地元で、強い相手を倒して優勝したい」と近江を選んだ。この試合、投手として序盤に4失点したが3回から6回を0点に抑え、逆転勝利につなげた。
準々決勝の相手は神戸国際大付。兵庫勢は全国制覇7度、勝率約6割。昨秋の近畿大会で負けた相手だが、激闘の末にサヨナラ勝ちした。
近江の「4強」は20年前(2001年)の第83回大会準優勝に次ぐ成績。
2年生ながら投打で大活躍の山田陽翔君は試合後、泣き崩れた。
多賀章仁監督(62)は「(来年の)春夏あるから、必ずここで借りを返そう」と声をかけた。
今大会の近江高校の戦いぶりは今後の滋賀県勢の励みになるだろう。
よく頑張った近江高校球児に拍手!
準決勝戦(ベスト4): 8月28日(土)
智辯和歌山(和歌山)「5」ー近江(滋賀)「1」
智辯学園(奈良)「3」ー京都国際(京都)「1」
明日29日の決勝は「智辯和歌山」(和歌山)と「智弁学園」(奈良)の兄弟校が戦う。
<追記> 優勝は「智辯和歌山」。結果、「智辯和歌山」に準決勝戦で敗れた「近江」は事実上3位相当になった。(8月29日)
<朝日新聞より>
8月28日(土)、第103回全国高校野球選手権大会第の準決勝戦で滋賀県の「近江高校」は準優勝した2001年以来の「2強」を掛けて、同じ近畿勢である甲子園常連の「智辯和歌山」と対戦し、「5ー1」で惜しくも敗れた。20年ぶりの決勝進出はならなかった。
滋賀県勢初の甲子園優勝を目指した近江の挑戦は、準決勝(ベスト4)で幕を閉じた。
↑写真:京都新聞より
今大会初戦、降雨ノーゲーム翌日の再試合、強豪相手の逆転勝ちにサヨナラ勝ちと、印象深い5試合を戦った近江ナイン。鮮やかな近江ブルーのユニホームを泥で汚し、野球を心底楽しんだ笑顔と悔し涙を残して聖地を後にした。
準決勝まで進んだブルーのユニフォームの「近江高校」は全国の野球ファンの目に焼き付いたに違いない。また、今大会の経験はこの秋の大会に活かされ、来春のセンバツ出場につなげて欲しいものである。
今大会躍動し、よく頑張った近江! 胸を張って滋賀に帰って来て欲しい。お疲れ様でした。
試合模様
初回、智辯和歌山は近江の山田の立ち上がりを攻め2点を先行したが、近江は3回に投手山田のヒットで1点を取り「2-1」とした。山田は粘投し智辯和歌山の加点を4回まで許さず、ほぼ互角の試合運び。
5回、智辯和歌山は再び攻め、満塁としたが加点させなかった。依然スコアは「2-1」のまま。しかし、6回ツーアウトから均衡が破れ2点追加され「4ー1」となった。
それでも山田は7回途中まで近江のマウンドを守ったが副島に継投した。
智辯和歌山は8回、バント攻撃で塁をうめ近江のエラーを誘い更に1点追加「5-1」に。
近江は結果的に智辯和歌山のエース中西に抑えられ、3回の1点だけで追加点を取れず「5-1」で今大会を終えた。
東近江市立「聖徳(せいとく)中学校の陸上部女子部」は去る8月17日(火)〜20日(金)まで、茨城県ひたちなか市の「笠松運動公園陸上競技場」で開催された「第67回全日本中学校陸上競技選手権大会(全中陸上)」に滋賀県代表として4x100mリレーに出場した。
「聖徳中学校の陸上部女子部」は女子共通4×100メートルリレー予選2組に出場したが「51秒86」の7位で、残念ながら予選通過出来なかった。
聖徳中学校の陸上部女子部は、7月18日に行われた滋賀県大会において標準記録を超える「49秒93」を記録し、全国大会へ出場していた。
今回、全国大会ではチーム記録を十分発揮できなかったようだが、しかし、聖徳中学校の陸上部女子部にはきっと良い経験になったに違いない。チーム内でこの経験を共有し今後につなげて欲しいものである。今後の活躍を祈りたい。
「聖徳中学陸上女子」、全日本中学校陸上競技選手権大会出場を激励(東近江市)
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