馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

山中城の障子堀にワッフルした、の巻

2025-01-28 00:14:00 | 城跡
元日、石垣山城を堪能した後、
箱根港バス停から移動
こちらも有名な城跡なので説明は不要でしょう

本丸堀

そして、

障子堀

これ見たさに
わざわざ来たのだワッフル

二の丸は自然の傾斜地に土塁を築いた形


一旦下山して百名城スタンプget


2009年に松坂城をスタートして15年
いまだに半分しか押せてない
現在、200名城となったので全部押すのはほぼ無理…



三の丸から二の丸との間土塁交差点から西の丸へ

西の丸は障子堀に囲まれてる




日没が迫ってるので、そろそろ退却しなければならぬ


土塁囲みの見張台。
絶景かな。

小田原合戦、
北条軍は4千人の兵で守備した。
山城で4000は多い
しかし、豊臣軍は7万の大軍。
多勢に無勢でわずか半日で落城した。

とはいえ、
細い山道、大軍がイッキに進むのは無理、
もし北条氏政が本腰を入れて
倍以上の鉄砲と兵を投入して、街道に防塁と砦群を築いていれば、豊臣軍は攻めあぐね長期戦となり
最終的に講和休戦、北条家存続も可能だったかも?

山中城が陥落した時点で小田原城の運命が決まったと言って良い

かように峠を見据える城や砦は重要なのである。

以前探訪した大津山中城と違って
規模もテクニックも段違いに優れた城跡、大いに満足したワッフル!

暗くなり、下山した。






今回時間切れで
岱埼出丸探訪は断念する。

いずれ、旧東海道歩きで箱根越えをするので、その時までの楽しみとして残しておきましょう。


帰りのバス、車窓越しに見た日没後の富士山


スカイウォークから見る景色凄いだろうね。
いつか必ず!

以上です。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
翌々日、西国街道歩き




三ノ宮駅で焼きたてのワッフルを堪能しました。

美味しかったワッフル

馬《●▲●》助ヒヒーン♪






























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2025/01/18

2025-01-18 11:04:00 | 日記
たぶん、あの時の…
頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

【NHK】彦根市立病院で、2度にわたって救急受診した女性に医師が適切な対応を取らなかったために意識障害が残ったなどとして、大津地方裁判所は、17日、…

NHK NEWS WEB

↑の記事を見て、あの時のお婆さんだと思います。
以前、メルマガで述べたことがあるので、
その記事を転記します。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦記事♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
母の病室は4人部屋。
入院1ヶ月過ぎて、部屋の中では古参となったが、実は最古参のおばあさんが窓際のベッドにいます。
入院日は5月1日。
大型連休の真っ只中ですな。
現在、ちょうど入院6ヶ月目となる。
この病室どころか病院全体での最古参かもしれない。
約二週間で転院・退院させるのが大原則の救急病院としては異例の長期入院となってる。
どんな病気なのだろうか?気になってたら、
毎日付き添ってる旦那さんが話しかけてきた。
事情を聞くとびっくりポンでした。
おばあさんは身体が丈夫で、80歳にもかかわらず毎日近くの山に登山するという健脚の持ち主。
我が母とはえらい違いですわ。
そんなおばあさんですが、大型連休直前に家のなかで何かの拍子に頭を打ったらしい。
心配になった旦那さんは、救急外来におばあさんを運んだ。
診察の結果、異常無し。
それから三日間、自宅で介護したがおばあさんの容態が変になってきたので、救急車で運んでもらった。
診察の結果、今度も異常なし。
再び自宅に戻ったが、どうみてもおばあさんの様子がおかしい。
そこで翌日もう一度救急外来に運んだ。
連休中だが、たまたまこの日に脳外科の医師がいて、頭のレントゲンをとった。
すると、頭のなかが血だらけ。
緊急手術となり、頭の両側に穴を空けて血を抜いた。
なんとか意識を取り戻したが、すでに手遅れ。
両腕及び下半身麻痺。
いわゆる半身不随。
目はかすかに見える、
喋りは、ウーウーと唸るのが精一杯。
耳だけが唯一正常で、話を聞き取れる。
こんな状態になってしまったのは、最初の診断ミスにある。
なので、最初の担当医師が誤りに来たが、
誤って済む話ではない。
旦那さんの気持ちとしては、訴訟したい。
しかし、医療ミスと違って診断ミスの場合は、訴訟しても勝つ見込みは薄いそうです。
一番最初に脳のレントゲンを撮ってすぐに手術していたら、ここまでひどい状態にはならなかっただろう。
連休中でたまたま未熟な内科医しかいなかったのが不幸だった。
まさに泣き寝入りです。
もうこれ以上手のほどこしようがないので、普通なら早めに転院させるが、病院としては診断ミスの負い目があり、転院先が見つかるまで預かるという形になり、半年もの長期入院になってしまったようです。
今思うに我が母も入院が数日遅れていたら、同じような状態になったかもしれない。
さらに、このおばあさんの前例があるために念のために救急医師が脳のレントゲンを撮ってくれたのかもしれない。
そういう意味ではホントに不幸中の幸いだったと言わねばならない。
半年間寝たきりの可哀想なおばあさん、
ついにようやく転院先が見つかり、本日転院されました。
行き先はリハビリ専門の病院です。
強靭な体力の持ち主のおばあさんなので、リハビリ頑張れば、
もしかしたら、もしかしたら、
奇跡的に両手両足動かせる身体に戻るかもしれない。
そう願うしかありません…
これでこの部屋の最古参は、
母となりました。
いつまでここにいられるか?
まだわかりません
記事終わり~~~~~~~~~~~~~~

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
その後、母も同じリハビリ病院に転院した。
その時に、旦那さんを何度か見かけたが、
暗い表情で、声をかけることができなかった。

ニュース記事によると、
結局のところ訴訟されたようですね。

あのお婆さん、もう亡くなられた…

勝訴しても
嬉しくはないでしょう。

お悔やみ申しあげます。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
実は母も血液をサラサラにする薬を服用してました。
狭心症の手術した後からずっと、でした。

硬膜下血腫の原因の一つだそうな。

このニュース記事で初めて知った

いろいろと後悔ばっかり、です。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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今年、初登りは石垣山城

2025-01-15 16:30:00 | 城跡
年末年始、これまでの親の介護のご褒美として5日間連続のお出かけを決行した。
青春18切符は儲からないので廃止の方向になってる。
おそらくこれが最後になるのでは?
大晦日は袋井市,掛川市の城跡を探索

秋葉バスは釣り銭方式。
面倒な両替式が多い中、これは嬉しい。

岡崎の城(遠州岡崎城)では、竹やぶのなかで彷徨、方角がわからなくて大晦日に討死しそうになった…

なんとか無事に抜け出して
静岡駅前に宿泊。


元日の朝食はホテルにて。
正月仕様でちらし寿司、おせち料理メニュー、三ヶ日みかん。
元日に親と過ごさず、多賀大社にも参拝せず異国のホテル、というのは珍しい

小田原市へ移動。


電車内から富士山を拝む。
まさに天晴れ!
今年は良いことがありますように!


出発が遅いので初日の出拝めず、残念。

翌日が箱根駅伝ということをここで初めて気づいた。

元日登山開始
道中は史跡の道になっていて、見知らぬ女性2人組と抜きつ抜かれつ進んだため、

堀久太郎と言えば賤ヶ岳の合戦で秀吉軍として最前線の東野山砦を守備した。
昔、堂木山砦との間に築かれた馬防柵付近から軍道?堀底道?を這い上がって登ったのを思い出す。
無茶したなぁ…


独眼竜政宗、今NHKBSで再放送されてるので見てます。
あの頃はまだ離婚する前でした…

そして、笠懸山(石垣山)到着。

今回の遠征は百名城スタンプ押しも目的の一つ。


小田原合戦で、徳川軍は小田原城の東側に陣を敷いた。
秀吉としては北条攻めのついでに徳川も討ちたかったのでは?
小田原城本陣の戦いとしては、総構えの外側で誰も動かず静観するなかで
井伊直政だけが唯一攻め込んでます。
家康としては面目躍如。
秀吉にしてみれば、武力で家康を潰すのは無理と判断したかも?


有名な城跡なので詳細は割愛。
一番良感激したのは


秀吉の土木量には恐れ入ります。



現地縄張図

肥前名護屋城を思い出した

背後の出城との間の通路は通行止めでした。

大堀切は現在、駐車場や通路になってるので気づく人ほとんどいないと思う。

出城に登りたかったが、時間切れで急いで下山した

箱根登山電車の入生田駅


箱根湯本駅
バスで箱根港へ向かった。

箱根港

箱根駅伝の準備されてた



次はワッフル城へ


続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





















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大津山中城を探索した、の巻

2025-01-09 15:01:00 | 近江の史跡
2024年12月11日
大津市から京都市への街道、「山中越」を歩いた記録を前回投稿した。

山中町で府県境まで進み今回はこれにて打止め。

京都市側には北白川城跡群があり、いくつか過去に探索したことがある。
一方、大津側はあまり城跡が見られない。見つかってないというべきか?
重要な街道なので大津側ももっとたくさんあってもよかろうに…

山中町には街道を見据える城跡として【山中城】がある。
土豪の磯谷氏が築いたとされるが、真偽不明のようです。

まずは、山中町の山中会館で昼食

会館裏には広い駐車場があるので車はここに停めるのが良い。


登山道が無いという情報なので、会館裏から適当に直登する。

尾根先端に出た。


そして、尾根を登ると

山頂です。
すると、

虎ロープがあり少し先まで降りた。
遺構は見当たらなかったが、北の麓から登山道がありそうです。


山頂には

先ほどの出丸と同じくほぼ自然地形。
看板が無ければ単なる山頂と思ってしまう。
ここから南へ向けてが曲輪です。

西側にL字状の土塁


曲輪の東側は帯曲輪というか犬走というか登城道でしょう。

ここで、東尾根へ向かう

その先に

浅いけど明瞭な堀切!
これが最大の見どころかな?
堀切を越えると大津側を見張る位置にある。


曲輪の南端にカーブする土塁


この土塁を南へ越えて比叡平団地へ下山する

微妙な堀切や竪堀があるが、
判然としない。

概略図

全体的に削平がイマイチで何も知らなければ自然地形と見てやり過ごすと思う。

素人の我が輩はこれが限界。
まだまだ修行が足りぬ


比叡平団地からバスで帰った


以上、マイナーな山中城探索でした

次回は元日に訪れた超有名なワッフル山中城を紹介します

馬《●▲●》助ヒヒーン♪













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高石垣群に圧倒された、の巻

2025-01-06 15:00:41 | 近江の史跡
2024年9月26日

長谷川先生の案内で県内某所の城跡を見学した









県内で4段の高石垣を間近で見られる城は
彦根城でも観音寺城でも安土城でも膳所城でも小谷城でも鎌刃城でも鎌掛城でも、
ありません!




これは有名な竹田城の高石垣群です。

この素晴らしい石垣の城跡に関しては
残念ながら諸般の事情により教えることはできません。

実は某SNSサイトで動画を投稿しました。
すると、いくつも問い合わせがあり
どこの城跡か教えろ!
隠すな!
と言われ、
返答に苦慮しましたよ。 

やむなく今はもう見られないような措置にしました。

なお、上記画像は非公開のほんの一部です。
この記事も後日非公開にします。

というわけで、あしからず。

それにしても、この高石垣群が埋もれたままなのはホントにもったいない

いつか整備して一般公開してほしいものです。
整備したら竹田城も真っ青!
という状況になると思うのですが…


と同時、見学させていただいた長谷川先生に感謝です。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪










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【地名夜話】小矢部市

2025-01-04 00:03:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【小矢部市】富山県
おやべし。
位置は、富山県の最西端、西隣は山を挟んで石川県。
つまり富山県の西の出入り口、西玄関と言っても良い。
小矢部の由来を調べると、小矢部川が町中を流れてるから、
ならば、小矢部川の由来は、
上流にある小矢部村のそばを流れてたから。
て、堂々巡りでよくわからぬ。
要するにわからないのです。

小矢部市は、西礪波郡石動町と砺中町が合併して誕生した。
礪波郡(砺波郡)の由来は、
山の谷に鳥網を張って鳥を捕まえたので
トリアミ→トアミとなったとか?
その谷間を流れてたのが小矢部川だとすると、谷地形が矢のような形に見えてオヤベと呼ばれるようになったのかも?
これはあくまでも我が輩の想像です。
やべぇーので、他には言いふらさないようおねげぇしますだ。

我が輩のライフワークとなりつつあるのが、北国街道歩き。
昨年、金沢に到着したので、ひとまず目的達成した。
これで終わりにしょうと思ってたが、街道は越後まで伸びてる。
ならば、歩けるうちはもっと先まで進みたいと思い直した。
そこで、今年の夏に金沢から倶利伽羅峠を越えて石動まで歩きました。
1日目は、金沢

から津幡
津幡は倶利伽羅峠の西の麓の町、
2日目は、その津幡から



炎天下に山を登り峠を越えて



源氏ケ峰城跡に立ち寄る





そして小矢部市の街並み

東側の麓の石動駅に到着した。



暑さと猛烈な汗でヘトヘトになったが、なんとか無事に越えられました。
それだけに峠から下る時に、眼下に石動の町が見えた時の喜び、嬉しさは格別でした。
街道歩きの醍醐味はこれだと思いましたよ。
本年は富山県内を東へ向かい、親不知子不知の難所へ向かう予定です。
さて、どうなりますやら。

親不知の海岸を見て
お、やべぇー!
と、引き返したりして…

ちなみに、「石動」
これは難読地名ですよね。
普通は読めない。
教えてほしいですか?
答えを、言いすぎる、と教育上よくないので、自分で調べてください。

では、これにておしまイにスルギ


□■□■□■□■□■□■□■□■
地名パズル
   
 苫 篠
 小瀬脇
◯◯◯◯←飛騨国
日市内
市 町

↑↑↑↑
京北鹿長
都海児野
府道島県
  県

答えは次回!

□■□■□■□■□■□■□■□■

Φ(*^ひ^*)Φ
次回は、初夏、ゴールデンウィーク頃を予定してます。
年々熱くなり熱帯化傾向の我が国土、
5月初旬に猛暑だったりして…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
庶民の味方「青春18切符」
今回改定されて、連続の使用と自動改札扱いになった。
使いにくいという理由で評判悪くて「改悪」と言われてる。
確かに不自由になったけど、やっぱり18切符はまだまだ魅力的です。
1枚の切符で全国のJR乗り放題、
米原や熱海の関所も自由に通過できる。
我が輩のようにその場その場で気が変わって突然降りる駅を変えても問題なし。

親の介護から解放されて、
ようやく今回から自由に何の遠慮もなく青春18切符を使うことができるようになった。
車での遠出は高速道路を走るのが無理な年齢になってしまったので、列車とバスに頼るしかない。
それだけに
なんとかこれから先も18切符を続けてほしいものです。





馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【地名夜話】守口市駅

2025-01-01 23:54:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介。

【守口市駅】大阪府
もりぐちしえき。
守口市の位置は特に説明するまでもないと思うが大阪市の北東で、某大手電器メーカーの本部がある門真市との間の市。

以前にも述べたが、我が輩は「京街道」を歩きました。
大津市の追分で旧東海道と分かれて伏見宿→淀宿→枚方宿、
その次が守口宿で、江戸から数えて57番目の宿場となる。
そのため「東海道五十七次」と呼ばれる。
守口宿は最後の宿場で、ゴールが大阪城の京橋

→高麗橋になる。



この前、NHKの番組「ブラタモリ」の特別版が放送されて、タモリさんが京街道を紹介してくれました。

自分も歩いたので、なんか嬉しかった。
街道は守口市駅のすぐそばを通る。

街道は堤の上、向こうの守口市駅は高架の上

駅自体が高架なのですが、街道も同じく高い場所にある。
太閤秀吉さんが築いた「文禄堤」の上を歩きます。

淀川の氾濫対策としての堤を築き安全な街道としたわけです。
秀吉としては大坂城の北東の入口として守口は軍事上の要衝だった。
実は、織田信長は石山本願寺(後の大坂城)を攻める時に守口に城を築き、明智光秀に守らせた。
信長、光秀、秀吉ゆかりの守口、

さらにさらに時代が下って幕末、
首都は京都から東京に遷都されたが、この時に大坂遷都も計画された。
実際に明治天皇は京街道を大坂へ行幸、守口に宿泊された。
京都の公家の猛反対にあって大坂遷都は中止となったが、
天皇が守口に宿泊されたので、1日だけの守口遷都、と守口市は胸張ってます。

ところで、守口市駅は京阪電車の駅です。
京阪電車の河内地区の市の駅名は、
八幡市駅(現在は石清水八幡宮駅)交野市駅、枚方市駅、寝屋川市駅、門真市駅、そして守口市駅というように
「◯◯市駅」で統一されてます。
JRの駅が無いので交野駅、枚方駅、寝屋川駅、門真駅でもいいのにわざわざ市駅と命名してる。
不思議だと思いませんか?

ネットで調べても明確な答えは見当たらない。
おそらく京阪電車の方針として市の中心にある駅ということを強調するために市駅としたのではないでしょうか?

私的な考えは言うな!
と指摘されそうなので、
市駅についてこれ以上触れるのは

おしめい、にしやす……

明後日に続く

Φ(*^ひ^*)Φ
新年あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませず宜しくお願いします。

今年の正月は喪中のため、年賀状出してない、家の飾りもしてません。
おせち料理も無し。
独り身としてもさみしい限りです。
ま、これからもずっと死ぬまで一人での正月を迎えることになるのですが…

そんなわけで、年末年始は遠征してます

天気が良くて元日早々に富士山を拝むことができました。
ワッフルワッフル


素晴らしい城でした


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【海部郡】

2024-12-30 00:17:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【海部郡】愛知県
あまぐん。
これは難読地名ですよね。
もう亡くなられたが、名古屋市出身の海部俊樹首相を「あまとしき」と読む人いますか?
「かいふ」と読みますよね。

NHK朝ドラで大ヒット作となった「あまちゃん」のおかげで「海女」をかいじょ
とかかいにょ、とか読む人は皆無になったのでは?
あまぐんは、海女郡と書かない。
海部郡です。

位置は、愛知県の南西部、岐阜県と三重県に接する地方です。
現在、大治町、蟹江町、飛島村が海部郡に属す。
平成の合併で海部郡の3つの町が「あま市」として誕生したが、このあま市を漢字で書けば「海部市」となる。
でも、誰も読めないのであえてひらがなの「あま市」と命名されたのです。

この海部郡、古代では木曽川や長良川の西側まで広がってました。
現在、岐阜県側に海津市があるが、本来は海部郡でした。
「海部」は、木曽川などの河川と伊勢湾との海岸が交わる部分という意味なのではないか?と思います。

この考えは、甘し?

▲「海部郡」
実は古代の豊後国にも存在した。
現在の大分県の佐伯市や臼杵市など県の南東部の海岸地域で、
読みは「あまべ」でした。
あま+べ。
この部は人々、集団という意味。
海辺に住む人々、海の辺が海部になったのではないでしょうか?

この考えも、甘し?
いや、海の水は辛いぞ!

▲「海部郡」
もう一つ、阿波国、現在の徳島県にも存在した。
徳島県の南端の海岸地域の海陽町、牟岐町、美波町などの町です。
ただし、読み方は「あまぐん」じゃなくて
「かいふぐん」。
なぜ、こちらは「あま」と読まないのか、理由は不明だが、
海部川、海部山地も「かいふ」と呼ばれる。
険しい山々があり、海運も盛んだったそうなので
「あま」などと甘いことを言ってられる環境じゃなかったから、
と、思えてくる

この考えは、「甘っちょろい」ですか?

阿波国だけに、

泡を食う…


次回は元日の夜に
あわいましょう


Φ(*^ひ^*)Φ
街道歩きをすると、犬も歩けばじゃなくて、難読地名に当たることが多い
例えば、佐屋街道。
桑名市から熱田神宮まで歩いた
「鯏浦」

「神守」

↓「烏森」

↓「五女子」

「尾頭橋」


いずれも難読!

でも、これも街道歩きの楽しみの一つです。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
NHKの朝ドラ、
現在は「おむすび」が放送されてる。
おむすびと言えば、我が輩どこかに出かけるときは必ずおにぎりをつくる。
街道歩きにしろ、山城登りにしろ、どこで昼を食べられるかわからない。
現地調達が無理な場合もある。
だから、おにぎりは必須なのである。
我が家には梅の木があるので、生前母がたくさんの梅干しをつくってた。
それを今、おにぎりの具として食べてます。
なお、ドラマのほうはあんまり面白くない。
橋本環奈さん頑張ってるだけにちょっと残念だなぁ…
というか、ドラマのタイトルは
おむすび、じゃなくて
おにぎり、のほうが親近感あるのですが…

朝ドラの再放送も見てます。
☆「カムカムエブリバディ」
3年ぶりですが、何回見ても素晴らしい。
基本的に再放送は見る気しないが、これは別。
毎回涙なしでは見られない。
主題歌のアルデバランが泣かせるメロディーなのですよね。

☆「カーネーション」
こちらはNHKBSで再放送されてる。
初見なので新鮮。
面白い。毎回面白い。
尾野真千子さん、いい演技してますね。
数年前、岸和田城に行った時に岸和田駅前の商店街にコシノヒロコさんの店がありました。
この店はもう閉店したと、風の便りに聞いた。
当時、このドラマ見てなかったのが残念でならない。
見てたらドラマ関連の場所を巡ったのに。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
いろいろあった2024年。
今年も終わりです。
まさか予想だにしなかった年末となりました。
今は複雑な境地です。


地名夜話、今回で今年の配信は終わります。
1年間おつきあいありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。

どちら様も良い年を迎えられますように
お祈り申し上げます


ちなみに、青春18切符を買いました。
年末年始は電車に揺られて西へ東へ旅するつもりです。
なので、年末大掃除も正月気分も無し。

独り身となったので、これでいいでしょう。

次回は元日の夜、さてどこから配信してるだろうか?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【矢巾町】

2024-12-27 23:46:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【矢巾町】岩手県紫波郡
やはばちょう。
位置は県庁所在地の盛岡市のすぐ南に接する。
さらにその南に隣接して紫波町がある。 
この矢巾町と紫波町の2つの町が紫波郡に属す。
盛岡市の一部も紫波郡でした。
「紫波」は「しば」と読みたいが、「しわ」が正解!
本来は「斯波郡」と表記された。
斯波と言えば、足利氏の一門で管領の家柄の斯波氏。
尾張の織田信長の織田氏は、守護大名斯波氏の家臣でした。
斯波氏は織田氏よりも遥かに上の家柄、
その斯波氏の本貫の地がここなのです。

で、斯波氏は「しば」と読むので、紫波も「しば」と読んでしまうのです。
この斯波氏が、北上川を遊覧した時に、川の波が紫に輝いた。
そこで、紫の波→紫波郡と改名したとか?

ちなみに県名の由来となる岩手郡も本来は紫波郡でした。
つまり、古来より盛岡市周辺の紫波郡が陸奥国北部の中心地だったわけです。

矢巾町の由来は
岩手県の地名辞典によると
1、前九年の役で、源頼義が安倍貞任を討つため矢をつくる矢羽根(ヤバネ)を集めさせたことから
2、「谷端場」「谷端間」の意味で、段差のある湿地の法面のこと

どちらの由来も正しそうですな。
平安時代、北方の守りの拠点として坂上田村麻呂が現在の盛岡市に城柵として志波城(斯波城)を築いた。
しかし、水害に悩まされて維持が難しくなり、後に現在の矢巾町に徳丹城に移された。
徳丹城は水害対策として微高地に築かれたのである。
このことを考えると、矢巾町の由来は谷端場のほうが有力のように思える。
いや、思いたい!
でも、あまり偉そうに言うと、

しばし、待たれよ

お前ごときが、矢巾町の由来に
口幅ったいことを言うな!

と、叱られそう…


明後日に続く~


□■□■□■□■□■□■□■□■

₵(*^ひ^*)∂ラジ耳
年末も押しつまり、大掃除に追われてる人も多いのではないでしょうか?
先日窓拭きをした。
しかし、セスキ洗剤をたくさん付けすぎたためか、洗剤の汚れが残ってしまい、逆に窓ガラスが汚くなってしまった。
まさに本末転倒、ガックリです。
そんな折りに
KBS京都ラジオ、日曜日朝の番組を聴いたら窓拭きの裏ワザが紹介されてました。
諸物価高騰で洗剤を買うのも惜しいという人にオススメのワザですよ。

用意するのは水と新聞紙。

ちぎって丸めた新聞紙を水に浸けて窓ガラスをふく。

たったこれだけ。

新聞紙のインクが頑固な汚れを落とす。
水なので拭き取れば跡が残らなくて綺麗になる
という仕組みなのです。

で、試しにやってみた。
確かに綺麗になります。
もっと早く教えてほしかったわ。

ただし、一つだけ難点がある。
それは、ゴシゴシ擦ると濡れた紙がボロボロと下に落ちる。
落ちた紙屑がゴミになってしまう。
なので、擦り具合加減が難しいです。

なお、拭き掃除の基本は、
タテタテ、ヨコヨコ!
これが、綺麗にふくコツです。
丸くふくのはダメ。

親の介護をしてた時は、
下の世話で新聞紙は必須。
毎日大量に使ってた。

今はもう新聞紙の用がなくなり廃品回収に出すしかなくなってただけに、これは朗報です。
ご多分に漏れず、新聞の購読料も値上げされた。
購読をやめる家庭も増えてるらしい。
ネットやテレビニュースで間に合うからね。
それだけに
新聞紙は読むだけでは勿体ない。
あらたな活用方法を考えるべきですよね。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
JR東海の電車に乗ると車掌のアナウンスは、
駅名案内を最初は日本語で、
次に英語で話してくれる。
おそらく英語は堪能でないから、教えられた文句を読んでるのだと思う

先日、車掌さんが英語で話してる途中で、読み間違えた。
で、『失礼しました』
と言ってもう一度いい直した。

いや、外人向けにアナウンスしてるのだから
『失礼しました』
も英語で言わないと外人に通じないぞ!(笑)

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【小山市】

2024-12-26 00:25:50 | 歴史地理
地名パズル、前回の答え
   守
  海口
◯◯◯◯←ホタルイカ県
山巾郡駅
市町  
↑↑↑↑
栃岩愛大
木手知阪
県県県府
正解は、『小矢部市』
詳細は後日
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地名ちょこっと紹介
【小山市】栃木県
おやまし。
栃木県の南東部に位置し東隣は茨城県結城市と接する。
昔々その昔、まだ我が輩が元気だった頃、我が家からマイカーで関東まで走った。
高速道路を降りて本庄→熊谷から国道50号線をひたすら東へ東へ向かい、佐野市あるいは小山市付近でガソリンを補給。
1日目は結城駅前のホテルで宿泊した。
そして、翌日に目的の水戸城を見学した。
思えば、500キロ以上もよく走ったものですわ。
今なら、疲れきって水戸へ行かずに小山でUターンして帰ったかも?
あやまぁ!
小山と言えば、歴史的には「小山評定」ですよね。
上杉討伐に向かってた家康軍が、小山対陣中に石田三成挙兵の知らせを受けて軍議を開き、西へ引き返した。
まさに天下分け目の評定でした。
この時、真田親子は敵味方に分かれて、お家存続をはかった。
一方、水戸城の佐竹氏は、家康寄りのポーズを取りつつも中立を保った。
このどっちつかずが禍となり、戦後お家取り潰しはまぬがれたものの秋田へ飛ばされてしまった。
もし佐竹氏が上杉氏とともに家康の背後を突いてたら、その後の歴史は?
おやまぁ?
となってたかも…
この小山評定の場所は小山市の祇園城の南付近だと言われる。
祇園城は地元の豪族小山氏の居城でした。
実は我が輩、栃木県南部の城跡巡り遠征を計画してます。
遠からず祇園城を探訪する予定なり。
ところで、小山市の由来は、
小山市のホムペによると
「地名の由来については、諸説がありますが、思川西部の低地から見ると東部の台地が小さな山の形をしていることからその名がついたというのが有力です。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、下野国の守護や鎌倉幕府の評定衆として活躍した小山氏の本拠地となったところです。」
と書いてある。
地図で確認すると、思川が小山市の中央を南北に流れて東西を分ける形になってる。
この思川の東の小山に祇園城があるのです。
思川の由来はタキリヒメ(田心媛)の
田+心=思から名づけられたとか?
おやまぁ、
♪ホホイのホイでもう一杯
て、このCM知ってる人
昭和世代ですよね。
では皆さん、唱和しましょう
♪ワタ◯ベのジュースのもとです
もう一杯…
こりゃまぁ
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
前回は猛暑だったが、季節は進み極寒の時期に。
そして、今夜は寒さでメリー苦しみマス
と、いきなりの
ド定番のギャグであいすみません、でござる。
いや、物価高で
メリー栗きんとん、とんと食えぬ
正月用品や食品はホントに高い。
もう手が出ない。
かまぼこは、迎春の文字を入れるだけで普段の数倍もの値段にしてるんじゃないですか?
ま、来年は正月気分では無いので、
おせち料理も不要なんですが…
そんなこんな言いながら、今年のクリスマスも普通の夜を過ごしました、とさ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
庭の掃除をしたのですが、
落ち葉の風情がいいのでこのままにした。

と、体裁のいいことを言ってるが、
落ち葉をかき集めるの大変なのです



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
美濃国分寺に行きました。
いとこの墓参りです。
クリスマスに亡くなり、本日は17回忌になる。





墓地の紅葉も終わりですな。

母は常々、このいとこに老後の世話を頼んでました。
岐阜市に嫁ぎ苦労しただけにしっかりとした優秀の人だったので、母は懇意にしてたのです。
結果的には乳がんのために母よりも早く65歳で亡くなったので
母の老後の介護は、我が輩の担当となってしまったのです。
墓前で、いとこに母の大往生を報告しました。
合掌!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント (2)
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