おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

山中城へ行ってみました

2009-06-12 07:25:21 | 静岡
昨日は昼から少しお天気が回復したので
思いつきでドライブに行ってみました。

えー
まずは腹ごしらえ^^;
一号線沿いの「道の駅 箱根峠」でうどんを頂きました。
 
 
↑道の駅から眺めた芦ノ湖。
(正面の赤い屋根は「山のホテル」です)
小田原市内は青空が戻ってきてたのにな~

道の駅を出て少し上った先の
峠の電光掲示板には「濃霧・ライト点灯」の文字が・・・。

が一号線を三島側へ少し下ると
霧は薄れていき、
山中城の駐車場に着く頃には 
青空ものぞくように。
(ようするに 箱根の上だけ雲の中だった ってことでしょうか?)

山中城の案内図__
 
(あらま お城の遺構の中を国道一号線が走っています。
 でも この城は元々 
 小田原へ向かう敵を阻止するために
 街道を取り込むように作られた__ のですってー。
 今の一号線は昔の東海道ですから 
 これで「往時を正しく伝えている」ことになるんですね へ~
 ↑↑↑ ってな事は 家に帰ってからわかったのでした。
 わーん 駐車場側の遺構 見損なった~
 そちら側こそが 激戦の舞台だったそうなのに・・・)

国道沿いの駐車場を本丸側に渡ったところから見える
空堀跡。
 
少し上ると・・・
 
西の丸の曲輪(くるわ)に出るのですが
 
その周りに北条時代特有の
 障子掘(しょうじぼり)の遺構が並んでいて・・・
 
 
 
 
す・・・すごい!
 と思いましたです。
(当然なのですが 障子掘の上は歩けないので
 「向こうに見える曲輪」まで行こうとすると
 ぐる~~~~~ っと大回りをせねばなりません。
 が、それでは不便なので 当時は
 敵が来たらすぐはずせる 簡便な木の橋を架けていたのだろう、
 と考えられているそうです。)


↓山中城の北の丸跡・・・ 
 
その一段下に それより少し小さい「本丸跡」があって
 ↓狭くありません? と思いましたが
 
案内板を見ると 更にもう一段下の曲輪(くるわ)と合わせて
 「本丸」だったようですね・・・
  (複雑な地形に合わせて 曲輪が作られたのかな?)
 
↑一番下に見えているのは兵糧庫のあった曲輪だそうです。


正直 こんなに保存のよい遺構と思ってなくて
感激しました。

改めて行って 今度は駐車場側の遺構を見たいと思います。
いや その前に 池波正太郎の『戦国幻想曲』
(Wikiの「山中城」で紹介されていた本)を読むべきかな?