昨日は昼から少しお天気が回復したので
思いつきでドライブに行ってみました。
えー
まずは腹ごしらえ^^;
一号線沿いの「道の駅 箱根峠」でうどんを頂きました。
↑道の駅から眺めた芦ノ湖。
(正面の赤い屋根は「山のホテル」です)
小田原市内は青空が戻ってきてたのにな~
道の駅を出て少し上った先の
峠の電光掲示板には「濃霧・ライト点灯」の文字が・・・。
が一号線を三島側へ少し下ると
霧は薄れていき、
山中城の駐車場に着く頃には
青空ものぞくように。
(ようするに 箱根の上だけ雲の中だった ってことでしょうか?)
山中城の案内図__
(あらま お城の遺構の中を国道一号線が走っています。
でも この城は元々
小田原へ向かう敵を阻止するために
街道を取り込むように作られた__ のですってー。
今の一号線は昔の東海道ですから
これで「往時を正しく伝えている」ことになるんですね へ~
↑↑↑ ってな事は 家に帰ってからわかったのでした。
わーん 駐車場側の遺構 見損なった~
そちら側こそが 激戦の舞台だったそうなのに・・・)
国道沿いの駐車場を本丸側に渡ったところから見える
空堀跡。
少し上ると・・・
西の丸の曲輪(くるわ)に出るのですが
その周りに北条時代特有の
障子掘(しょうじぼり)の遺構が並んでいて・・・
す・・・すごい!
と思いましたです。
(当然なのですが 障子掘の上は歩けないので
「向こうに見える曲輪」まで行こうとすると
ぐる~~~~~ っと大回りをせねばなりません。
が、それでは不便なので 当時は
敵が来たらすぐはずせる 簡便な木の橋を架けていたのだろう、
と考えられているそうです。)
↓山中城の北の丸跡・・・
その一段下に それより少し小さい「本丸跡」があって
↓狭くありません? と思いましたが
案内板を見ると 更にもう一段下の曲輪(くるわ)と合わせて
「本丸」だったようですね・・・
(複雑な地形に合わせて 曲輪が作られたのかな?)
↑一番下に見えているのは兵糧庫のあった曲輪だそうです。
正直 こんなに保存のよい遺構と思ってなくて
感激しました。
改めて行って 今度は駐車場側の遺構を見たいと思います。
いや その前に 池波正太郎の『戦国幻想曲』
(Wikiの「山中城」で紹介されていた本)を読むべきかな?
思いつきでドライブに行ってみました。
えー
まずは腹ごしらえ^^;
一号線沿いの「道の駅 箱根峠」でうどんを頂きました。


↑道の駅から眺めた芦ノ湖。
(正面の赤い屋根は「山のホテル」です)
小田原市内は青空が戻ってきてたのにな~
道の駅を出て少し上った先の
峠の電光掲示板には「濃霧・ライト点灯」の文字が・・・。
が一号線を三島側へ少し下ると
霧は薄れていき、
山中城の駐車場に着く頃には
青空ものぞくように。
(ようするに 箱根の上だけ雲の中だった ってことでしょうか?)
山中城の案内図__

(あらま お城の遺構の中を国道一号線が走っています。
でも この城は元々
小田原へ向かう敵を阻止するために
街道を取り込むように作られた__ のですってー。
今の一号線は昔の東海道ですから
これで「往時を正しく伝えている」ことになるんですね へ~
↑↑↑ ってな事は 家に帰ってからわかったのでした。
わーん 駐車場側の遺構 見損なった~
そちら側こそが 激戦の舞台だったそうなのに・・・)
国道沿いの駐車場を本丸側に渡ったところから見える
空堀跡。

少し上ると・・・

西の丸の曲輪(くるわ)に出るのですが

その周りに北条時代特有の
障子掘(しょうじぼり)の遺構が並んでいて・・・




す・・・すごい!
と思いましたです。
(当然なのですが 障子掘の上は歩けないので
「向こうに見える曲輪」まで行こうとすると
ぐる~~~~~ っと大回りをせねばなりません。
が、それでは不便なので 当時は
敵が来たらすぐはずせる 簡便な木の橋を架けていたのだろう、
と考えられているそうです。)
↓山中城の北の丸跡・・・

その一段下に それより少し小さい「本丸跡」があって
↓狭くありません? と思いましたが

案内板を見ると 更にもう一段下の曲輪(くるわ)と合わせて
「本丸」だったようですね・・・
(複雑な地形に合わせて 曲輪が作られたのかな?)

↑一番下に見えているのは兵糧庫のあった曲輪だそうです。
正直 こんなに保存のよい遺構と思ってなくて
感激しました。
改めて行って 今度は駐車場側の遺構を見たいと思います。
いや その前に 池波正太郎の『戦国幻想曲』
(Wikiの「山中城」で紹介されていた本)を読むべきかな?