以前「竜宮神社」を探していた時に
道を尋ねた方から「どっちの竜宮神社?」と聞かれて
小田原には竜宮神社が二つある事を知りましたが
その時は本町の方に行きましたので、
「いつかもう一つの『浜町の竜宮神社』もお訪ねせねば!」
と思ってきたnumabe。
(編集であとから打ってます__
本町と浜町では 「りゅうぐう」のりゅうの字が違ってました。
本町が「竜宮」、浜町は「龍宮」です。
誤字をそのままにしておくのが辛いので
これ以降の字は 直させて頂きますm(_ _)m )
一昨日は 丁度良い按配に曇った「街歩き日和」でしたので
(この歳になると 日差しの強い日は外を歩きたくナゾないものなのです)
そうそう と「浜町」へ行ってみました。
一号線を東京方面へテクテク歩いて
「浜町」の交差点を__
海の方へ行くと
旧町名標がありました。
この辺りは「こしんしゅくちょう(古新宿町)」だったんですね。
↑上の写真から 更に2ブロック行った先を右に曲がると
↓「龍宮神社」がありました。
境内の案内板にこのお宮の縁起が書かれていました。
それによると・・・
1590年の小田原攻めの時 加藤清正の家臣 可児才蔵の統率する熊本の 八代水軍の船が小田原に上陸中 折からの台風で古新宿の浜辺に打揚げられた。 この水軍は有明海の不知火の光を恐れて 八代の竜宮様からご神体を奉受し 船神様として船の親柱の元に納めていたが 船が大破したので ご神体を引き出し 古新宿の祠に安置して 龍宮社として祭った__
更に
八代から来た船頭や船子は小田原に定着し 原住の漁師と共に集落を作った。
そうだったんだー。
戦争って思いもかけない事柄まで起こすんですね。。。
鳥居をくぐった右側には 亀達の乗る
寄付者名を刻んだ石碑がありました。
↑「龍宮城へお連れいたしましょう」
って言ってるみたいな亀さんの「語る目」が
印象的^^
龍宮神社の近くには「北条稲荷」もありました。
ここも「いつかお訪ねせねば」と思っていた場所。
何しろ「史跡」なのですから。
ここには「蛙石(かわずいし)」という不思議な石があるのです。
↓これが蛙石。うんっ確かに蛙に見えます^^
↑案内板によると__
「(前略)北条稲荷が当地に建立せられて以来 蛙石は稲荷末社の一として 蛙石明神と崇められ永い由緒をもった小田原の名跡である。(中略)もと小田原城内の庭上にあったものを北条稲荷勧進の際 城中よりここに移されたと伝えられているが 明治35年の大津波にも 大正12年の大地震にも少しの異動もなかったので 試みに掘り出そうとしたところ 一丈(3.0303・・・メートル)の深さに及んでも下部に達しなかつたので然らば地下岩盤の露出の先端ではないかという。
(えーっとつまり・・・
蛙石はもともとここにあったもので
お城から連れて来てはいない、んだ・・・)
『都路往来』の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのは この蛙石が小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ 特に北条時代 小田原落城の際は夜な夜な盛んに鳴いたというのは名高い伝説である。」
へ~ へ~ へ~ ですね。
さてさて お稲荷さんの方ですが・・・
ここの狐さん達は迫力満点でした。
なんかもー カメラ向けながらもドキドキしましたが・・・
こんな強そうな狐に守られてれば
お稲荷さん(←因みにお稲荷さんは秦氏が連れてきた大陸系の女神様)も安心でしょうね?
ちょっとオマケ
お稲荷さんのすぐ近くに なぜか狸が・・・
さて、この後は 海の方へ~ (つづく)
道を尋ねた方から「どっちの竜宮神社?」と聞かれて
小田原には竜宮神社が二つある事を知りましたが
その時は本町の方に行きましたので、
「いつかもう一つの『浜町の竜宮神社』もお訪ねせねば!」
と思ってきたnumabe。
(編集であとから打ってます__
本町と浜町では 「りゅうぐう」のりゅうの字が違ってました。
本町が「竜宮」、浜町は「龍宮」です。
誤字をそのままにしておくのが辛いので
これ以降の字は 直させて頂きますm(_ _)m )
一昨日は 丁度良い按配に曇った「街歩き日和」でしたので
(この歳になると 日差しの強い日は外を歩きたくナゾないものなのです)
そうそう と「浜町」へ行ってみました。
一号線を東京方面へテクテク歩いて
「浜町」の交差点を__

海の方へ行くと

旧町名標がありました。
この辺りは「こしんしゅくちょう(古新宿町)」だったんですね。

↑上の写真から 更に2ブロック行った先を右に曲がると
↓「龍宮神社」がありました。



境内の案内板にこのお宮の縁起が書かれていました。
それによると・・・
1590年の小田原攻めの時 加藤清正の家臣 可児才蔵の統率する熊本の 八代水軍の船が小田原に上陸中 折からの台風で古新宿の浜辺に打揚げられた。 この水軍は有明海の不知火の光を恐れて 八代の竜宮様からご神体を奉受し 船神様として船の親柱の元に納めていたが 船が大破したので ご神体を引き出し 古新宿の祠に安置して 龍宮社として祭った__
更に
八代から来た船頭や船子は小田原に定着し 原住の漁師と共に集落を作った。
そうだったんだー。
戦争って思いもかけない事柄まで起こすんですね。。。
鳥居をくぐった右側には 亀達の乗る
寄付者名を刻んだ石碑がありました。


↑「龍宮城へお連れいたしましょう」
って言ってるみたいな亀さんの「語る目」が
印象的^^
龍宮神社の近くには「北条稲荷」もありました。
ここも「いつかお訪ねせねば」と思っていた場所。

何しろ「史跡」なのですから。
ここには「蛙石(かわずいし)」という不思議な石があるのです。

↓これが蛙石。うんっ確かに蛙に見えます^^

↑案内板によると__
「(前略)北条稲荷が当地に建立せられて以来 蛙石は稲荷末社の一として 蛙石明神と崇められ永い由緒をもった小田原の名跡である。(中略)もと小田原城内の庭上にあったものを北条稲荷勧進の際 城中よりここに移されたと伝えられているが 明治35年の大津波にも 大正12年の大地震にも少しの異動もなかったので 試みに掘り出そうとしたところ 一丈(3.0303・・・メートル)の深さに及んでも下部に達しなかつたので然らば地下岩盤の露出の先端ではないかという。
(えーっとつまり・・・
蛙石はもともとここにあったもので
お城から連れて来てはいない、んだ・・・)
『都路往来』の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのは この蛙石が小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ 特に北条時代 小田原落城の際は夜な夜な盛んに鳴いたというのは名高い伝説である。」
へ~ へ~ へ~ ですね。
さてさて お稲荷さんの方ですが・・・
ここの狐さん達は迫力満点でした。





なんかもー カメラ向けながらもドキドキしましたが・・・
こんな強そうな狐に守られてれば
お稲荷さん(←因みにお稲荷さんは秦氏が連れてきた大陸系の女神様)も安心でしょうね?
ちょっとオマケ

お稲荷さんのすぐ近くに なぜか狸が・・・
さて、この後は 海の方へ~ (つづく)