人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

雛人形で着せ替えごっこ

2013-03-07 15:56:33 | 日記
 なんだかタイミングを逃してしまった感じですが…、
 雛人形って、平安時代はドールハウス的な、着せ替え人形的なものだったんですよね。紙人形のようなものを使用した場合も多いようですが、「雛の屋台」のなかをいろいろと動かして、服を着せたり男君を見送らせたり、いろいろなロールプレイをさせて遊ぶようなもの。

 で、提案なんですが、今は様々な雛人形が出ているのだから、ドールハウス的な雛人形があってもいいと思うんです。寝殿造り風のドールハウスがあって、お人形は着せ替えできて、調度品や衣装も色々買い揃えることができて…、というような。レゴハウスみたいに、建物やお庭も組み合わせられると楽しい。
 歴博や文化博物館と、雛人形のメーカーさんが組んで、そういうの造ったら楽しいのに。

研究とお金

2013-03-07 15:34:35 | 仕事と研究

人生ってつまんないな…。

睡眠時間が足りてないと、憂鬱になりますね、単純に。たぶん、何かの脳内物質が出てないんでしょうね。

 私は今全然関係ないお仕事をしながら研究を続けている身ですが、実は、研究をしてお給料を貰うことには、かなり違和感があるんですよね。ありきたりな比喩で言うと、何だかお金で心を売っているような気がしてしまう。例えば秘書検定的なものであれば、人とうまくやってゆくためのスキルだと思えるからいいんですが(そう思ってるから合格するのに時間がかかったのかもしれませんけど)、お金もらって研究すると自分の研究が出来ないような気がしてしまう。

 大学の先生も、授業や講座運営などはっきりしたお仕事があって、それでお給料をもらっている、というのが私のイメージ。研究はそれでお金をもらっているお仕事というよりは、義務のようなお仕事だと思っています。研究に対して資金が提供される場合でも、これとこれとこの本を買って、このとき交通費がいくらかかったから〆ていくら、というのが出ていればそれほど気持ち悪くない。はっきりとした実態のあるお仕事(授業や事務作業など)や、スキル、ものとして出来上がっている商品(原稿など)があって、それに対する対価が支払われていると思えないと気持ち悪いのです。以前、クラウドファンディングで研究するため、食べてゆくための資金を得るようなことには抵抗がある、と書いたのもそれです。
 存在と切り離し可能なものでないと、切り売りできない。
 でも、何が切り離し可能で切り離し不可能かということが、人とはちょっとずれてるのかもしれないけど。

ライフワークですらなく

2013-03-07 01:06:55 | 仕事と研究
 今日は夜間当番だったので、疲れました。
私の子ども(わんこ)が気が狂ったようにお出迎えしてくれたよ(いつものことだけど)。

 帰ったらとある原稿の校正が来てたので、早速チェック…、
随分長い間かけて書いた文章のはずなのに、あってはいけない間違いがいくつか有りました(人の名前の漢字変換ミスとか…汗)。明日もう一度チェックして、明後日には返送しよう。

 ライフワークとしての人材が参入したことで、単価が下がり、ライスワークとしてのライターが生活するのが苦しくなった…、みたいなことをどこかで読んだのですが、研究者がそこに参入すると、自体はさらに悪化しますよね。研究者はただで…、どころか会費払って文章を書く人種なので。業績になるから、あるいは会員の義務なので喜んで。しかも論文書くのって、かなり手間かかるんです。
 そのうち一般の雑誌や単行本も、会費払って査読してもらって出版するようになるかもしれないですよー。

おまけ。
ドライフードをしまってある戸棚に入る子犬ちゃん。