くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

まったく

2008-06-30 22:56:31 | 日記
昨日まで社員旅行に行っていたのだが、
すでに1ヶ月以上昔の出来事のように感じる。

会社に来ても社員旅行の話は誰もしていないし、
何もなかったかのようにしれっとしている。

本当に行ったのかしら?
カメラの中には日本の海とは思えない写真のデータが
たくさんあるからやはり行ったのだろう。

何だろうこの空気。

ギャップがありすぎる。

今日も普通に23時まで仕事してるし。

何だろうこの感じは。

また落ち着いたら旅行の日記を書こう。

このまま書かずじまいになりそうな予感がしなくもないが。

寄席 ~鈴本演芸場~

2008-06-24 14:42:47 | 日記
そしていよいよ上野にある寄席『鈴本演芸場』に到着。
あいにく満席で立ち見だったのだが、通常より1100円も
お得だからむしろラッキーだと思った。

ちょうど演目が終わった切れ目で会場に入ることができた。

落語、紙切り、漫才、三味線漫談と、
短い時間だったけどすごく充実していた。

中学生のときに一度だけ紙切りを見たことがあったのだが、
あらためて感動してしまった。

『金魚』というお客さんのお題に対して、
丸い水槽に入った金魚と、それを見ている少女、
さらにその後ろに猫までいるという細かさ。

『金魚』だけを作るのではなくて、
『金魚がある風景』を作っていた。

紙切りをしている時には黙々と切るのではなくて、
冗談交じりのおしゃべりをずっとしているわけで、
素晴らしい感性と卓越した技術を目の当たりにした。

生の初落語も本当に面白かった。
何百年も受け継がれている庶民の噺。
老若男女みんな笑っていて、
すごくいい空間になっていた。

今回一番好きだったのが、

春風亭 正朝
落語 『町内の若い衆』

正朝師匠の話し方とか、雰囲気が好きで、
次は何を言うんだろう、どんなふうに落ちるんだろうと
ワクワクしながら聞くことができた。

落語という世界に直に触れて、
それも敷居が高いとか全然そんなことはなくて、
なんかおもしろいことないかなと思ったら、
ふらっと足を運びたくなるような場所がまたひとつ出来たことがすごく嬉しい。

次は『浅草演芸ホール』に行ってみたい!


■日曜日に鑑賞した演目

三遊亭 歌武蔵
落語

林家 二楽
紙切り

桂 ひな太郎
落語 『初天神』

春風亭 正朝
落語 『町内の若い衆』

三遊亭 小円歌
三味線漫談

桂 文楽
落語 『猫久』

古本屋 ~神保町~

2008-06-24 14:41:20 | 日記
そんな彼女の上京第二の目的が、
神保町の古本屋めぐりと寄席に行くことであった。

寄席には私もすごく興味があったので、
日曜日はあいにくの雨だったけれど、
私も一緒に行かせてもらうことにした。

神保町のお目当ての店は『小宮山書店』。
寺山修司の作品が欲しかったらしく、
しかし私は寺山修司が誰なのか全く知らなかったので、
古本が所狭しと並ぶ店内をブラブラと、
何か探している体(てい)でうろついてみた。

古本屋さんの匂いがすごく独特でドキドキしてしまった。
長い年月をかけて色々な人の手をめぐりめぐった紙のあの匂いと、
店内の空気そのものが濃密で静かに興奮した。

ただの本なんだけど、みんな雰囲気があって、
自分が本を見ているんじゃなくて、本に自分が
見られているといった方が正確かもしれない。

そんな古本屋の雰囲気を満喫した後(何も買ってないけど)、
キッチンカロリーで昼食をとった。

雨でも晴れでも生ビールはおいしくて幸せだった。
ライスを大盛りにしようか迷ったけれど、
別のテーブルの学生さんが頼んだライス大盛りの量を見て
頼まなくてよかったと思った。

ビールと少しのご飯で満足だ。
おじさんだ。

上京 ~銅版画~

2008-06-24 14:39:50 | 日記
先週の土日は広島から奥さんの親友が遊びに来ていた。

高校で美術の教諭をしている人で、
自分が出展した版画展を見に来るために
上京してきたというわけだ。

彼女が制作した銅版画の作品で、
ポストカードサイズのものは何点かプレゼントで
もらっていて我が家にも飾ってある。

小学生の図工の時間などで『木版画』なら誰しもが一度は
作ったことがあるのではないだろうか。
木の板を彫刻刀で掘って作るあれだ。
白と黒のモノトーンだけど、筆にはない味わいがあって
面白いなと思ったのを今でも覚えている。

しかし銅版画をやったことがある人はなかなか
いないのではないだろうか。
もちろん私も経験がない。

銅板を直接削るのかと思っていたのだが、
どうやら違うらしく、銅板に樹脂のような被膜を作り、
それを削るらしいのだ。
プレス機なども必要らしく、やはり素人が簡単に
始められるようなものではなさそうだ。

同じ版画でも自分が昔作ったような木版画と違って、
銅版画は線がすごく繊細(彫り方によるのだろうけど)で、
やはり独特の味わいがある。

あしながおじさん

2008-06-19 13:59:38 | 日記
最近帰宅途中に秋葉原のヨドバシカメラによく寄る。
向かう先はデジタル一眼レフ売り場。

『canon EOS Kiss X2』や
『canon EOS 40D』や
『Sony α700』
などの実機を触って帰る。

Webで取扱説明書を見ているから、
持っていないのに結構手馴れている。

連続撮影モードにして40Dの秒間6.5枚撮影を楽しむ。
「パシャ、パシャ、パシャ・・・」
とものすごく気持ちがいい。

レンズについているフォーカスモードをAF(オートフォーカス)から
MF(マニュアルフォーカス)にして、
絞りのリングを自分で回して調節してみたり。

シャッター押下時の音の違いを聞き比べてみた結果、
40Dよりα700のほうがカッコいい音がするのが分かった。
40Dは「パシャン」だけど、α700は「シャキーン」。

交換レンズ売場に足を運んでは、
憧れのレンズをガラスケース越しに眺めて
溜息をつくのであった。

ジャパネットたかたの20回払い金利手数料
ジャパネットたかた負担で購入しようか。

そういえば40Dの1万円キャッシュバックキャンペーンは
今月までだったな・・・。

40Dのイメージキャラクターが渡辺謙で、
いま読んでいる小説の映画版主演が渡辺謙だ。

ほら、偶然にも渡辺謙つながりだよ。

運命かもしれない。

これは。

チャイナ、チャイナ、買っちゃいな。

↑って友人がたまに言ってる

乾くるみ・著 『イニシエーション・ラブ』

2008-06-19 13:58:21 | 読書
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何の疑いもなく最後まで読み切ったのだが、
何が起こったのかよくわからず、
どの辺が大どんでん返しなのか理解するために
もう一度読み直してみようと思っていたのだが、
ふとそのからくりをネットで調べてしまった。

そこでようやく、
「なに~~~!?そういうことか~~~!!!」

となり、3テンポくらい遅れてリアクションする人
みたいになってしまった。

確かに読んでいる途中でさりげなく違和感は
感じていたのだが、そこで読み直したりはしなかったので、
まんまと作者のミスリードに誘導され、
意図する通り騙されてしまった。

振り返ってみるとなんとも恐ろしい話だ。
あまり詳細に書くとネタばれになってしまうので
感想にしてもどこまで書いていいのやら・・・。

美しい薔薇にはトゲがあり、
おいしい話には裏があり、
世の中そんなに簡単にうまくいかないということだ。

でも実際こういうことって現実の世界でも
全然ありえることなんだろうな。

自分の身に降りかからないよう、
細心の注意を払わなければ。

おいしい話なんてこの世にはないんだ!
気をつけろ!



陶酔

2008-06-17 18:38:30 | 日記
昨日は夕飯の時に日本酒を飲んだので、
いつもより酔っぱらってしまった。

酔いどれた状態でおもむろにアコギを弾き始める。

どうせおぼつかない演奏になるのだろうと思いきや、
普段よりいい感じに弾けてしまい驚いた。

なんなんだこれは・・・と思いながら弾き続けてみた。

弦を押さえる左手の指先に余計な力が入っていない。
フレットのすぐそばを的確に押さえているので、
力を入れなくてもちゃんと抑えられている。
肩の力も抜けているし、右手のピッキングも哀愁が漂っている。

Musicの語源といわれるギリシャ神話のMuseが
降りてきたとしか思えない。

とにかく普段いかに力んでいたのかがよくわかった。
酔っぱらってフラフラな状態だと、
自然と体全体に無駄な力が入らなくなっているのだろう。

お酒と自分の演奏に陶酔するという
なんとも心地良い時間だった。

そして今日考えたのは、
結構酔っぱらっていたので、
全部錯覚なんじゃないかってこと。

梅雨空

2008-06-16 16:12:18 | 日記
梅雨だというのにまたいい天気だ。

別にそれはいいのだが、
過去を振り返ってみると、
天気がいいと逆にテンションが下がる頻度が高い気がする。
根っからのあまのじゃくだ。

話は変わって、昨日の夕食後にゲームをやっていたら突然テンションが上がって、
生きているだけでなんて幸せなんだ
と本当に心の底から思えてきて、
やっていたゲームがうまくいったからとかそんなことではなくて、
実際ゲームの中ではただ道具屋で回復薬を買っている最中だったので、
自分自身でもわけがわからなかった。

あの瞬間なにかが憑依したとしか思えない。

一瞬何とも言えない幸福感が胸のあたりから湧き出てきて、
それがあっというまに体全体を包んで、
ふわ~ってなったのだ。

その晩の夢の中で私は実家の自分の部屋にいて、
ベッドの上ではPerfumeの3人がキャッキャ言いながら
踊っていて、私は彼女たちに落ち着きなさいとなだめながら
窓の外をとみてみると、志村けんがへんなおじさんのロケをやっていて、
そんな夢を見た後の寝起きといったらそれはひどいものだった。

体もしんどい、首は痛い、背中も痛い、やる気も出ない、
でもオナラだけは異常に出る、みたいなどうしようもない状況だ。

昨晩の幸福感は一体どこへ行ってしまったのだ。

また転職サイトに登録した。
これで4社目だろうか。

最近はまるで抜け殻のようだし、
自分の将来像も具体的に描けなくなってしまったからだ。

何をしたいのかもわからない。
何を努力すればいいのかも見失ってしまった。

真剣に自己分析しなければと思うのだが、
なぁなぁになってしまっている。

つまり考えることを拒否している状態なので、
いまは考えることをやめよう。

外が晴れれば晴れるほど心の中は梅雨空だ。

無題

2008-06-10 14:58:54 | 日記
通勤電車の乗り換えでいつも秋葉原駅を利用する。
先々週は事件が起こった場所の目の前のお店で友人と買い物をしていた。

もちろん私以外にもたくさんの人たちが秋葉原にいて、
私など何千、何万分のうちの一人だ。
他の人たちもそういうことになる。

昨夜現場を訪れた際には献花台が用意されており、
お経が上げられている最中だった。

本当に何の前触れもなく突然大切な人を失ってしまったご家族の気持ちと、
被害者の方々のことを考えるといたたまれなくなり、
お亡くなりになった7人のご冥福をお祈りして足早に現場を後にした。

駅に向かう途中の街路樹の根元にもたくさんの花束や飲み物が置かれていて、
さらにいたたまれなくなった。

「勤務態度はまじめ」「物静かでおとなしい」「なぜあの子が」「信じられない」
報道で目にするのはいつも同じような単語ばかりのような気がする。

「普段から粗暴」「良く暴れていた」「いつかやるとは思っていた」
といったようなニュースを見た記憶がない。
実際は起きているけれど報道されていないだけなのだろうか。

他人からは真面目だと思われている人達が凶行に走る。
なぜなんだろう。

誰でもいいから殺したくなるまでに何があったのだろう。

静岡から秋葉原まで自動車を運転している間もその気持ちが萎えず、
さらに現場について実際に実行に移すということは
いまの自分では到底理解できなくて、
誰でもいいから殺そうと思ったとしても、
本当にやってしまったら私の家族や大切な人たちが
悲惨な目にあうのは明白で、現場に到着するまでの間に様々な思いが巡って、
たとえ現場まで辿り着いても結局何もできない気がするのだ。

やはり孤独感と失うものは何もないという状況が大きな影響を与えているのだろうか。

犯人がそうだったかどうかは分からないが、
私がもし孤独で、誰からも必要とされなくて、生きてる意味も分からなくて、
でもその思いを吐き出す場所もなくて、でも他人はやけにのうのうと明るく
生きているように見えて、さらに自分は見下されているような感じがして、
そんなことがたくさん重なったらどうなってしまうかわからない。

普通に見える人が凶行に走っている現実を目にすると、
誰しもがそういう要素を少なからずとも持っていて、
それが膨らむ要因と爆発する引き金になるものがないだけ
なのではないだろうか。

そういう暗い芽が育まれやすい社会になってきているのかもしれない。

いずれにしても今回のような誰も救われることのない
悲しくてつらくて身が引き裂かれるような事件は
もう二度と起きて欲しくないが、どうすればよいのだろうか。
個人の性質なのか、教育なのか、現在の社会全体の問題なのか、
原因は一つじゃなくて複数なのだろう。

普通に生活しているだけでも、
いつ自分や家族が被害者になるかもわからないし、
逆に自分が加害者になってしまうかもわからない。

考えさせられることがたくさんある。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。