くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

価値

2009-05-26 19:00:44 | 音楽
高校生の頃、CDショップにある視聴機で何気なく聞いたその歌に、
鳥肌が立って、涙が出そうになったことがある。

どうでもいいが、この際の「鳥肌が立つ」は、恐怖を感じたわけでなく、
その歌が心の中まで入ってきて感動した結果、
ぞぞぞ~っと肌が粟立つことだ。

なんとなくいいなぁ~、というレベルではなくて、
頭で何かを考える暇もなく、
言葉も出ないくらい圧倒的な力で引き込まれて、
自分がいる周りの世界が一瞬違って見えるような感覚だ。

CoccoのRaining。

お店の視聴機で何気なく聞いた楽曲を、
2番まで聞き入ってしまうことはないのだが、
このときは違っていた。

時間も忘れて聞き入り、2番のサビの部分で鳥肌が立ってしまった。

私の人生に間違いなく足跡を残した歌だ。

なぜあんなに感動したのか、
考えても全然答えは出てこないのだけれど、
彼女の歌声とメロディーが、
私の中にある何かと結びついたからなのだろうか。

この歌を聞いて、私と同じように思った人もきっといるだろう。
それと同じくらいの数、特に何も感じない人もいるだろう。

人間は千差万別だ。

ある人にとっては価値のあるものが、
ある人にとってはゴミ同然だ。

誰かひとりでもいいから、
自分の存在が価値のあるものだと思っていてくれる人がいればいい。

いや、そう願わずとも、きっとみんな価値があるはずだ。

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ねこ

2009-05-26 15:44:17 | ねこ


実家に子猫が2匹やってきた。

妹の友人が働いている、ドラッグストアの敷地内に捨てられていたらしく、
里親が見つからなかったため、妹が引き受けたようだ。

しかし親父とおばあちゃんは大反対。

反対の理由も良く分からない。
面倒くさいから聞いていないけれど、
おそらく「くさい」とかそういう理由だろう。
まぁ、いつものことだ。

良いのか悪いのか分からないけれど、
何事も否定から入る家系なのだ。

子猫が近寄ってきたら絶対かわいがるくせに。

いまは妹と母が世話をしている。

名前は妹がつけたらしく、
「ミィ」ちゃんと「ミュウ」ちゃん。

どちらがどちらなのか、
子猫に会いに行った時は妹がいなかったので分からなかった。

一応メスとオスらしい。

兄妹なのかな。

昔、同じように小さい子猫を拾ってきたことがあって、しばらく家で飼っていた。
でも、元気だった次の日の朝に突然死んでしまって、
めちゃくちゃ泣いて、悲しい気持ちになったことがあるので、
今回は元気に育ってほしいと思う。

幸い実家の近所に動物病院が出来て、
猫関係のグッズも近所のホームセンターに売っている。

ホント、元気に育ってくれたらいいな。



本番

2009-05-26 15:41:35 | アコースティックギター


友人の結婚式が終わった。

披露宴での演奏、やばかった。

一番最初とは聞いていたが、
披露宴開始から30分後とは。

乾杯 → 談笑 → ケーキ入刀 → 余興
というタイムスケジュールだったので、
オードブルに手を付ける余裕もなく、
勢いをつけるべくビールをガブガブ飲み、
乾杯の後すぐにロビーに出て、ギターのチューニングをした。

披露宴会場にはちょっとしたステージがあって、
そこで演奏するのだと知った時には、
また緊張度が高まった。

そして出番。

ステージに上がるとみんなの顔が見渡せる。
あたり前だが、全ての人が私たちを見ている。
緊張度が一気に高まる。

一言あいさつをするところまでは、
なんとかこなすことができたが、

実際にイントロに入った瞬間、
頭の中が真っ白に飛んだ。

「こんなに大勢の人の前でギターを弾いている、
 自分は一体何をやっているんだろう」

手が自分の手じゃないみたいだった。

おまけに、カポの締めが甘かったらしく、
強くピッキングすると、6弦のビビり音がかなり耳についた時点で、
あぁ、なんてこった、もう取り返しがつかない、あぁ~
と私は幽体離脱したのだった。

事前の打ち合わせで、Aメロの入りは私のペースでいいという話だったのに、
なぜか私が歌が始まるのを待ってしまって、
いきなりつまづいた。

でも、「やばい、へまこいた!」という感情もなく、幽体離脱している私は、
「あぁ、なんかおかしなことになってるなぁ」ぐらいにしか感じなかった。
ステージの前で写真を撮るために、会社の上司がしゃがんでいたのだが、
「あぁ!!」みたいな顔をしていたような気がする。
いまでもそのときの記憶がはっきりしない。

完全に心ここにあらず。

本当に私は私の体を離れてどこかへ行ってしまっていた。

頭で次のコード進行を追うということが全くできず、
練習で染み付いた体の動きというか、
次は確かこの音だったような気がするという感覚だけで弾いていた。

途中もおそらく間違えていたに違いない。
これもあまり記憶がない。

後から聞いた話だと、私の目は完全にイッちゃてたらしい。

1番が終わって、2番に入る頃になって少しだけ生き返ってきた。
目の前の席に座っていたおばあさんの横顔が目に入る。
眼はステージに向いていないけれど、
すごく真剣に聞いてくれているような表情だった。

目の前の上司は応援してくれているような表情をしていた。

新郎新婦に目をやると、微笑んでいた。
いや、苦笑だったのかもしれないが。

2番が終わって、ギターソロに入った時にはかなり回復していたのだが、
6弦のビビりが気になってしまって、余り気持ち良く弾けず、
むしろ申し訳ないなという気持ちになってしまった。

なんとか演奏が止まることもなく、
最後まで弾き終えることができただけでも本当によかった。

おまけに多くの課題がはっきりして、
なんだかこれで大きく成長したような気がする。

特に思ったのは、人前で演奏しなければ、上達しないなということ。
家にこもって100回練習するよりも、人前での1回の演奏のほうが得るものが多い。

演奏直後はかなりへこんで、
もっと上手くなりたいという気持ちと、
もう俺はギターはダメだという気持ちが葛藤した。

でも、やはりもっと人前で気持ち良く演奏できるようになりたい。
いまはその気持ちの方が強いかもしれない。

どこかで、「初めての本番は練習の半分の力も出せないよ」と聞いて、
そんなことあるかい、たくさん練習すればできるにきまってる、と思っていたのだが、
半分どころか、10分の1くらいしか出せなかった。
家で一人で弾く分なら、逆立ちしたってあのときよりうまく弾けるだろう。

大勢の人の前で、注目される中での初めての演奏というのは、
それほど魔物だったのだ。

いつしかそれが、快感になる日がやって来る気がするので、
(気がするというより確信に近い)
友達を誘って路上にデビューしてやろうかと思っている。

ダルい

2009-05-26 15:31:28 | 日記
現在3つのプロジェクトを掛け持ちしていて、
昨日はそのうちのひとつが最後の最後でうまくいかず、
午前2時くらいまで仕事をするはめに。

タクシーで帰ろうとしていたら、
上司が車で地元の駅まで送ってくれて助かった。
ありがとうございます。

しかし駐輪場で自転車の鍵を開けようと思ったら、
鍵がどこにも見当たらない。

家の鍵も、自転車の鍵も、会社の机の上に置いてきてしまったようだ。

しかたがないので、とぼとぼ20分ほど歩いて家に帰った。

最近家の近所で建て替え工事をしているのだが、
その音が物凄くうるさい。

朝から重機の音が半端ではなく、
貴重な睡眠時間が強制的に破壊されていく。

夜遅くまで仕事して、
朝はのんびり出勤という私の生活リズムに大打撃を与えている。

路地裏のアパートなので、普段は本当に静かな場所なものだから、
最近始まった工事の騒音は本当に心身共にこたえる。

今日は朝から体が全く言うことを聞かず、
布団から起き上がることができなかった。

どうやら熱はないようなのだが、
立ち上がるとフラフラして、
全身に力が入らない。

なんだか疲れている。

最近疲れを感じない日がないくらいだ。

私だけではなく、毎日仕事をしている人は全員疲れているのだろうが。

それでも以外と倒れたり、入院するまでに至らないから、
人間の体は意外と強いものなのだなと感心する。

月300時間働いても倒れない人もいるし、
中には400時間オーバーというモンスターもいる。

それに見合った達成感があれば、がんばれるのだろうか。
がんばれるのだろうな。

やりきった果てに疲れ果てて、
何も感じないのであれば、それはただの苦痛でしかないのだ。

達成感、やりがい、感じてみたい。

そんな気持ちとはずいぶんとご無沙汰のような気がする。

仕事にそれを見出せたらいいな。

それは自分で見つけなければいけないものなのだろうが。

疲れたと口にすると本当に疲れてしまうような気がするので、
あまり口にはしない方が良いのだが、ついつい漏れてしまう。

明日は遠方の友人の結婚式に行かなければならない。

余興の弾き語りも、いまぐらい気だるい状態のほうが、
きっとうまくいくような気がする。

気負いも、自分を良く見せようという気もさらさらなく、
結果を気にする余裕もない。
そんなダルさが体のすべてを支配している状況なら、
変に力むこともなく(ダルくて力めない)、
普段通りのことができるような気がするのだ。

自分たちの余興はさておき、素晴らしい挙式と披露宴になればいいな。

楽しみだ。

奥さんがすごく頑張って考えた披露宴のようだから。

スイッチ

2009-05-20 16:13:31 | 日記
いまから100年後、私の知っている人達、
私を知っている人たちはおそらくみんな死んでいるだろう。

最後には必ず死ぬのだ。

お金持ちであろうと、貧乏であろうと。

借金で首が回らなくても、ローンを組んだことがなくても、

悩んでいても、悩んでいなくても、

何不自由なく楽に暮していても、死に物狂いで苦労しても、

努力して報われても、努力して報われなくても、

頑張ってるのにうまくいかなくても、うまくいったとしても、

未来が夢や希望に満ち溢れていても、お先真っ暗でも、

誰かを傷つけても、傷つけられても、傷つけられなくても、

他人に迷惑ばかりかけてしまっても、迷惑を一切かけなくても、

ご飯がおいしくても、美味しくなくても、

友達がたくさんいても、友達が一人もいなくても、

真面目に生きている人も、犯罪者も、被害者も、

仕事で失敗ばかりしていても、挫折を知らなくても、

ダメだダメだと叱られてばかりでも、褒められたことしかなくても、

毎日楽しくても、毎日つらいことばっかりでも、

ビル・ゲイツも、ミハエル・シューマッハも、

すれ違うおじさんも、女子高生も、

父親も、母親も、兄弟も、いとこも、会社の上司も、

みんなに愛されていても、愛されていなくても、

まだ見ぬわが子もいつか死んでしまうのだ。

いつかどころか、自分がその気にさえなれば5分以内に死ぬことだってできる。

会社の屋上から飛び降りてみたり、

電車がホームに入ってくる瞬間に線路に一歩踏み出すだけだ。

飲まず食わずで2週間布団の上で寝ているだけでも死んでしまう。

自分の死なんて、まだ行ったこともない
地球の反対側の外国くらい遠い存在だと思っていたけれど、
彼氏や彼女のようにそっと隣にいて、自分の肩に頭をもたげているんだ。

人生の電源を落とすスイッチを誰もが持っている。
しかもそれはいつでも押せる状態だ。

でも、それを押さなくても、最後にはみんな死ぬ。
自分も周りも。

だから別に押す必要はない。
押さなくても勝手に終わるんだし。

嫌なこととかつらいことが毎日のように続いていて、
それも何年も続いているとしたら、

「はぁ~疲れた、もう本当に終わらせてやろうか!」

と思うこともあるだろう。

でもそれもいつか勝手に終わる。

つらいことばかりでも、ビールが美味しかったり、
たまに楽しいと思えることがあるかもしれない。

だから別に自分で終わらせなくてもいい。
みんな終わるんだから。

たとえ押すことはないボタンだとしても、
それを自分は持っているんだと思うことが、
心を少しだけ、ほんの少しだけ軽くする。

ただ普通に生きていたいだけなのに、
なぜかつらいことばかりかもしれない。

でもいつでも死ねるんだから、
生きてみようと思う。

大切なことは、"自分だけ"じゃないってこと。
最後は自分もいなくなるし、
周りのみんなもいなくなる。

嫌いな人も、愛する人も。

傷とおめでたい話

2009-05-18 17:59:33 | 日記
先日、親友から「結婚することになりました」という報告を受けた。

嬉しい。

素直に、心から嬉しいと思った。

2年前、2007年の2月。

周りの友人たちから、

「今年のボードはどうするの?」

「スノーボードをやってみたいんだけど連れてって。そして教えて」

「ボード旅行企画してください」

等々もちかけられ、
お世話になっているバイクショップが、
ちょうどスキー場ツアーを企画していたので、
知り合い全員に声をかけた。

私はボード初心者の友人たちをコーチするのが目的だったのだが、
当時、私自身もまだまだ自分が滑りたくてうずうずしていたので、
ゲレンデに出て一通りコーチをし、彼らがなんとなく滑れるようになった後は、
困った人を放っておけない親友に彼らを託し、
私は経験者のその他の友人達とコースに出て行ってしまった。

「ひどいよね、私達を放っておいて自分だけ楽しんでさ」

「コーチ失格ですよ」

「最低」

などと夕飯時には散々叩かれた。

自分が叩かれているにもかかわらず、
なんとなくその話題で会話や雰囲気が盛り上がっているので、

「これは叩かれ得だ。
 やっぱりヒールがいるからプロレスだってなんだって盛り上がるのだ、
 わはははは、愉快愉快」

と、快感を覚えると同時に、
おいしいなとさえ思っていた。

そんなちょっぴり薄情で自己中心的な行動が、
まさか今回のような結果を生むとは、誰が想像できただろうか。

私がコーチを託した親友(男)と、
そのコーチを受けていた私の友人(女)が結婚することになるとは。

結果オーライ。

勝てば官軍。

私の少々身勝手な行動が、
逆に功を奏したというわけだ。

そういうこともあるのだ。

前向きな言い方をすると、
自分自身に素直に生きていたら、
周りの人間にも幸福が訪れた。

後ろ向きな言い方だと、
自分勝手に行動した結果、
たまたまカップルが誕生したが、
彼らはなるべくしてなったのであり、
別にお前の存在があろうがなかろうが全然関係なくて、
まるでお前が恋のキューピットみたいな言い方をしているが、
勘違いも甚だしい、
とんだ自己中妄想ボケ野郎だな。

となる。

この先、彼らの未来にどんな事が待ち受けているか誰にも分からないが、
少なくとも彼らの人生に、私という存在が少しでも残ってくれたならば、
また死ぬ間際に、ああこんな人もいたなぁと思い出してくれるようなら、
生まれた意味が少しだけでもあったのだなと思える。

いまは彼らのことを考えると、
気分が落ち込んでいたとしても、
なんだか明るい気持ちになれる。

やっぱり自分の幸せよりも、
周りの大切な人たちの幸せな空気を感じる方が、
心が満たされる。

それとは別に、
やはり私は人を傷つけていたらしい。
私自身は気が付かなかったのだが、
どうやら他人から見ると明らかに傷つけた結果になっているらしい。

上記のとおり、完全に記憶から欠落していたのだが、
思い起こせばやはりそうかもしれないという節もある。

そのときは色々な出来事が重なって、
私の心は滅茶苦茶で、自暴自棄で、
そのときの私の態度と言葉が問題の発端となっている。

当事者に確認しないことには、真偽のほどは分からないのだが、
だからたまに思い出して悶々とする。

ことあるごとに周りの人間はそのネタで私をいじり倒し、
私もその場は調子を合わせるのだが、
それが終わった後の疲労というか、
気持ちの落ち込みようといったら物凄いものがある。
いじった後はちゃんとフォローしてくれるのだが、
それでも落ちるものは落ちる。

会って話をつけようか。

しかし相手が本当の気持ちを言うとも限らないし、
もしかしたら私と周りのただの勘違いかもしれない。

たぶんこの話は永遠に本当の答えは見つからない。
私が死ぬまで、私はこの問題を抱え続けることになるのだ。

たとえ勘違いだったとしても、
その答えも分からないまま、
私は死んでいくのだ。

おもい

2009-05-14 23:20:29 | 日記
どん底、最下層にいる。

生きてる意味さえわからなくなる。

なぜ生きてるのかと問われれば、

死なないから生きているだけだ、と答えよう。

キレ気味の若者の集団が、たまたま通りすがった私に因縁をつけて、

金属バットで頭をかち割ってくれればいいのに、

とか、

暴走トラックが自分に突っ込んでくればいいのに、

などと考えてしまう。

自分の寿命を分け与えることができるのならば、

生きたくても生きられない人に全部あげてしまいたい。

仕事がピークというわけでもないのに、

なぜこんな状態なんだろう。

自ら死ぬ気はないが、

生きる気もあまりない。

でも、毎日ご飯を食べたり、

ご飯を食べるために仕事をし続けているということは、

やっぱり死にたくないのだろうか。

単なる5月病にしては重たい。

それとも鬱病の一歩手前?

奥泉 光・著 『モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』

2009-05-12 18:43:06 | 読書
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私立の女子大(レベルが低い)で、
日本文学の教鞭をとる助教授が殺人事件に
巻き込まれていくミステリー。

この助教授の考え方や生き方が、
ちょっとダメなおじさん風ですごく愛嬌がある。

自身が監修をつとめた本がミリオンセラーとなり、
表紙がツルツルしている女性誌の取材を受けたときなど、
自分の服装や身だしなみのしょぼさに悲しくなると同時に
プッツンしてしまい、自暴自棄になった挙句

うんこだ、うんこをまき散らしてやる
オシャレ雑誌にうんこをまき散らしてやる

と心の中で毒を吐き続けていた。

以前読んだ『鳥類学者のファンタジー』とリンクする話題や登場人物もいて、
おもしろさに拍車がかかってしまった。

相変わらず分厚い本で読みごたえはタップリ。
このくらいの長編のほうが長い期間読んでいられるので好きだ。

でも話の内容がつまらなかったら、それはただの苦痛でしかないはずなので、
本書は自分にとって面白いものだったといえるのだろう。



勢いなくなる

2009-05-12 18:40:45 | 日記


3月は何にでもヤル気満々で、
よっしゃ!やったるわ!
と勢いよく生きていたものの、
4月はヤル気がほとんどなく、
モチベーションもどん底だった。

4月は慣れない新人教育も重なり、
かつ自分の仕事もこなさねばならず、
労働時間とは反比例して、
4月の所得は過去最低を記録した。

せっかく戻ってきた確定申告の還付金も、
その穴埋めに使っている状況で、
オートバイのマフラー購入や、
セミフルパワー化への夢はまた遠のいたのだった。

お金は我が家にとどまるということをまるで知らないようで、
入っては出て行き、入っては出ていく。
そんなに居心地が悪いのだろうか。

5月後半には友人の結婚式が控えており、
披露宴では弾き語りをオファーされてしまった。

一応上司とのコラボレーションで、
上司が歌、私はアコギを担当する予定なのだが、
最近上司は、

「どう?練習進んでる?がんばってね」

「俺は挨拶だけするからさ」

などと、本気なのか冗談なのか分からないようなことを口にするものだから、
当日本当にバックレたときのことを考えて、
自分も歌えるように練習している。

アコギを弾き始めてから3~4年が経つだろうか。
まさか生まれて初めての人前での演奏が、結婚式の披露宴とは、
神様も粋なことをする。

本番は頭が真っ白になって、全部飛んでしまう可能性も大いにある。
楽譜を見ないで演奏するつもりなので、
いまのうちにコード進行を徹底的に体に覚えこませておかないと、
せっかくの披露宴がかわいそうなことになってしまう。

新郎はともかくとして、新婦には2度と頭が上がらないどころか、
一生恨まれるようなことになってしまう可能性だってある。

まぁ、でも仕方がなくもない。
我らの実力を承知した上での新郎からのオファーであり、
自分が一生懸命やる以外にできることは、他にない。

いきなり歌声がミスチルの桜井さんのようになるわけでもなく、
ギターがCharさんのように上手くなるわけでもない。

思ったほど憂鬱ではないのは、
結婚式までまだ時間があるからなのだろうか。

それとも何か自分でも気がついていない
自信みたいなものがあるからなのか。

やる前からダメだったときのことを考えるのはあれかもしれないが、
もしそのときは、

正直すまんかった。

と言って頭を下げる他ないので、
正直すまんかったの練習もしておこうと思う。

爽快

2009-05-11 19:21:01 | オートバイ
気がつくとゴールデンウィークは足早に過ぎ、
またいつもと同じ生活。

はぁ。

血沸き、肉踊るようなイベントが起きないだろうか。

平和な日常を望むくせに、平和であり続けると
何か起きないだろうかなどと思ってしまう。

どうしようもない。

いつも言うように、
人間は本当に面倒くさい生き物だ。
たまにうんざりする。

先月、お世話になっているバイクショップが主催した、
サーキット走行会に参加してきた。



天気も良好で、常日頃公道でうずうずしていた思いを爆発させてきた。

やはりスーパースポーツはサーキットを走ってなんぼだ。

信号も、対向車も、歩行者もいない、
アクセルも開け放題、
ハードブレーキングもし放題、
騒音も気にせず、
エンジンをキンキンに回したり、
コーナーリング時にどこまで車体を寝かせられるだろうかと、
ジリジリとバンク角を深くしてみたり、
普段やってみたいと思っていたことに色々挑戦出来て、
爽快な気分だった。



コーナーの途中で、これ以上アクセル開けたらどうなるだろう、
まだいけるのかな、さっき以上のスピードでコーナーに進入できるだろうか
などと考えていたが、
やはり自走でサーキットまで来ているため、
スリップダウン、オーバースピードでのコースアウト等による
転倒だけは絶対にしてはならない状況だったので、
自分リミッターは解除しなかった。

それでも前を走る速いライダーを追走していて、
3週ほど付かず離れずだったのだが、
体力が消耗して集中力が切れた途端に、
コーナー進入で曲がるきっかけを失ってコースアウトしてしまった。
幸いエスケープゾーンが広かったので何事もなかったのだが、
結構ヒヤヒヤしてしまった。

バックストレートで前の車が譲ってくれたこともあったのだが、
抜かすためにスピードを上げると、
結局次のコーナーの減速が間に合わなくなって、
譲ってくれた人よりコーナー進入が遅かったり、
止まりきれずに直進してタイヤバリヤギリギリで停止なんてこともあり、
なんだか申し訳ないと思うことも多々あった。

ブレーキング勝負のオーバーテイクなんて、
いまの自分にはできないことが良くわかった。

キレイにオーバーテイクできたらすごく気持ちいいんだろうな。

バイクショップが主宰であるため、
休み時間に整備担当の方がチェーンのたるみなんかをチェックしてくれて、
すごく安心して楽しめた。

万が一転倒しても、少しくらいのダメージなら、
整備の方が直してくれそうだったし。

この日は転倒者が1人も出ることなく、
転倒未遂を犯したのが私1人くらいなものだろうか。

次の機会があったらぜひまた参加したい。