くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

暗闇の底まで届くもの

2008-05-26 14:16:25 | 日記


何となく心がゾワッとするときがあるのだが、
今日はゾワッとしたことがあった。

話は昨日にさかのぼるのだが、
昨日は親友の家でバーベキューをした。

4才と1才のちびっこ兄弟も来ていて、
ビールを飲みながら焼きたてのお肉を食べて、
昔話や色々な話で盛り上がる予定が、
実際はほとんどちびっこ達と遊んでいるという感じになってしまった。

4才の子はエネルギーの塊で、
見るもの、触るもの、すべてを吸収して、
さらに「うお~!!」とそれを周りに発散しているかのようで、
飲み込まれそうになってしまった。

1才の子を抱っこしているとなんだか不思議な気持ちになった。
癒されるというかやさしい気持ちになれるというか、
何とも言えない気持ち。

ゆりかごみたいに抱いて、それを激しく揺らしてあげると
ケタケタ笑って、「あぁもう!」と可愛すぎてどうしようもない
声が漏れそうになる。

お昼寝の時間でベビーカーに乗せられている時でも、
たまたまベビーカーの前に私がいて、
両手を広げて抱っこをせがむ姿を見た私は、
また「あぁもう!」となったのだった。

興奮してお昼寝どころではないちびっこ達をよそに、
日本酒にやられた私はグーグーといびきを立てて眠ってしまい、
目が覚めた時には宴もたけなわで、
バーベキューセットやテーブルは片付けられていて、
「あれ?今日はバーベキューをしてたはず」
とひとりで混乱して、ボ~ッとしたままみんなとお別れした。

そして今朝、元TBSアナウンサーで、
今はフリーになっていた川田亜子さんが自殺したという
ニュースを知った。

何日か前にブログの休止宣言があったが、その後すぐに復活したものの
やはり元気がなくて周りの人たちも心配している
というニュースを見ていたので、すごく色々な感情が湧いてきた。

胸のうちがザワザワしていると、実家から私の携帯に電話が
かかってきて、少し嫌な感じがしたのだが、
電話から聞こえてくる母の声は元気で明るくて、
少しだけホッとした。

しかし電話の内容は、
「今朝あなたが自殺する夢を見てね、最近会ってないし
 心配になって電話したんだけど、大丈夫?
 悩んでいることとかない?」
というものだった。

あまりにも突然だったし、内容が内容だったので驚きながら、
それでも確かにそこまで深刻に悩んでいることもなかったので、
「大丈夫だよ」と伝えて、そのあと川田さんのことを少し話して電話を切った。

川田さんは私より一つ年上で年齢も近いし、
ただそれだけのことだけどいつもより考えさせられてしまう。

私が前日に感じたように、人は必要とされ、
大切にされて育ってきているはずなのだ。
愛しい気持ちでたくさんの人たちから抱きしめられていたはずなのだ。

親だったり、じいちゃんばあちゃんだったり、友達だったり、恋人だったり。

色々な感情が混ざり合って
最後にすごく悲しくなった。

生まれてから今のいままで、無償の愛で包まれていた時の
記憶がずっと消えないでいたら、
自分の手のひらも見えないほどの暗闇に落ちたとしても、
それさえあればきっと帰ってこれると思うんだ。

でもこれらは際の際まで追いつめられたことがない私の
ただの妄想かもしれない。

甘い考え。そんなことできたら誰も苦労しない。
と言われるかもしれない。

私は同級生を同じように亡くしたときの、
その御両親の姿を見ている。

火葬場で、息子の入った棺が火葬炉に入っていく時の
母の叫び声も、姿も、鼓膜とまぶたの裏に焼き付いている。

それから自分の両親にだけは絶対に同じ思いはさせないと誓った。

最後の最後に私をつなぎとめるのはおそらくそれではないかと
いまは感じている。

何があっても、プライドも恥も全部捨てたとしても、
地位もお金も余裕もなくても、
カッコ悪くても何も残らなくてもせめて生きていようと強く思う。

そして、これはエゴかもしれないけれど、
自分に関わった人たちがそうならないように、
自分に出来ることは何かと考えてみようと思う。

・・・でも、そうやって考えられるうちは心も体も健康な証拠で、
本当にうつ状態になってしまったら、
たぶん、もう上で書いたような考え方はできなくなっているに違いないと思う。

そのときは私自身がこの記事を、偶然再び目にすることを祈るばかりである。

50円

2008-05-15 17:37:14 | 日記
天気もいいし気候もおだやかで過ごしやすいというのに
体の調子はいまいちで自分だけはパッとしない。

パッとしたいな。

もう10年以上前になるが、大好き過ぎてしょうがなかったゲームがある。
雨が降ろうと雪が降ろうと自転車をこいでそのゲームが置いてある
ボロボロの駄菓子屋に足しげく通った。
大雨で誰もいないから自分でその筐体の電源を入れて、
1回50円のゲームを2回プレイする。
そのゲームとは『ストリートファイターⅡ』である。

そのゲームがスーパーファミコンに移植されるという情報を
入手したときにはそれこそ鼻血が噴き出るほど興奮した。
雑誌に載っていたゲームの画面は、アーケードのそれとはやはり
異なっていて、本当に移植されるんだ!!と
やはり鼻血が噴き出しそうになった。

発売予定のスーパーファミコン版をおもちゃ屋さんで予約してからの
毎日といったらそれはそれはテンションが高かった。

学校でどんなに嫌でつらいことがあったとしても、
「ストリートファイターⅡが家にやってくる」と想像しただけで
にやけながら突然道を走り出してしまったのを今でもよく覚えている。

あのときの感情が鮮烈すぎて今でも忘れられない。

中学生の自分にとっては『スーファミ版ストⅡ』であったものが、
今の自分にとっては何なのだろうか。

これだというものが全然浮かばない。

友人に「寝起きハイテンション世界ランキング3位」という人物がいる。
実際に目の前でそのハイテンションぶりを見ているので間違いないと思う。
ただし私は「寝起きローテンション日本ランキング24位」なので、
そのハイテンションぶりが非常にうっとうしかったのだが、
「寝起きローテンション世界ランキング13位」の友人と鉢合わせになった場合
喧嘩になりかねない。

その友人から「ハイテンションとは」を教示してもらいたい。
たぶん理解できないけど。

なんだか五月病かなと思ったのだけれど、
中二病のような気がしてきた。

ビール飲んで屁ぶっこいて寝よ。

これも友人の名セリフ(「ビール飲んで屁ぶっこいて寝よ」)なのだが、
別に屁はぶっこかなくてもいいよなといつも心の中でツッコんでしまう。

一緒に泊まりに行くとその友人は「おやすみ」代わりにいつも言っているから
ついついこちらも使いたくなってしまう名セリフだ。

なんだかやさぐれてどうでもよくなってしまった時は
大体この名言を拝借させてもらっている。

結局何が言いたかったのかというと、
体調もすぐれないし、パッとしないし、解決方法も見つからないということを
言いたかっただけなのでした。

はぁ~あ。

空気

2008-05-15 13:23:48 | 日記
当たり前の事が
とても幸せな事なんだ。


もし、その当たり前の事が
当たり前じゃなく
なってしまうとしたら…、
それはとても悲しくて、
不幸な事なんだ。


でも、人は
そうなってしまうまで
「当たり前の幸せ」
に気付かないんだよ。


(泣ける2ちゃんねる「兄の話」より)


例えば大切な人がこの世から去っていくときに、

「彼女とすべきことはすべてやったし、
 与えられるべきものはすべて与えたし、
 もうすべてのことを共に分かち合った。
 そして彼女も最後に笑いながら『ありがとう』と言って
 この世とさようならをした」

のであれば、僕は笑って彼女の最後を見送ることができるのだろうか。
いや、たぶんそれでも号泣するような気がするんだ。

僕はやっぱり「当たり前の幸せ」には一生気付かない気がする。
「空気の大切さ」に気がつかないように。

でもたまにお酒を飲んで、大脳新皮質が麻痺したときに
「おれはなんて幸せなんだ・・・・幸せすぎる」
と思ったりすることがある。
世界中で一番幸せな人間なんじゃないかと思うこともある。
それとこれとはちょっと違うか・・・。

むかし何かで、「人間は他人のために泣くことはできない」という
言葉を聞いた覚えがある。

誰かを失った時も「その人を失ってしまった自分がかわいそう」で
涙を流すそうだ。

そう言われるとそんな気がしなくもないが、
そうじゃないだろうと思いたい自分もいる。

話はそれたが、「当たり前の幸せ」に心の底から、本心で感謝をする。
これが普通にできるようになるということは、
人間としてすごい成長なのではないだろうか。

口で言うのは簡単だけれど相当難しい。
上でも書いたが、私は一生かかっても出来る自信があまりない。

常に笑顔でいられるなんてことは、
それこそ仏の境地なのではないか。

「イライラしたいぜ」
「誰かをおとしめて困らせたいぜ」
「誰かを傷つけてその悲痛な叫び声が聞きたいぜ」

なんでみんな語尾に「ぜ」が付いているのはともかく、
そんな人はそうそういないと思う。

それこそ人として相当次元が低いというか、
もし地獄があるなら間違いなく地獄行きの人だけだろう。

当たり前の幸せに感謝して心穏やかに過ごしたいと
ほとんどの人が思っているはずだ。

その道は果てしなく遠く永い気がするが、
当たり前の幸せに気が付ける人間になりたい。

なげっぱなし

2008-05-13 15:50:23 | 日記
「明日死ぬとしたら、
 生き方が変わるんですか?」


「あなたの今の生き方は、
 どれくらい生きるつもりの
 生き方なんですか?」


(終末のフール、伊坂幸太郎)


考えさせられる言葉だ。
僕はどのくらい生きるつもりで生きているのだろう。

漠然と80歳は超えるんだろうな、
くらいにしか考えていない。

だから実際そういう生き方なんだ。

忙しかったり、体がだるくて会社に行きたくなかったり、でもたまに暇になったときは
今度やればいいやと、たくさんのことを明日に向かって放り投げているんだ。

明日なんか来ないかもしれないのに。

でも明日が来なかったことなんて一度もないから、
そんなこと頭で分かっていても全部放り投げるんだ。

そして明日の自分もまた明日の自分に投げる。

いったいいつの自分がそれを実行に移すのだろう。
自分のことながら、なんか笑ってしまう。
ホント、いつなんだろう、って。

だけどみんな気付いているんだ。
それは今日だって。

分かっていてもやらない理由があるんだ。
それを実行に移さない理由。

人それぞれ違うんだろうけど。

今日の自分、もうチョイ頑張って。
やればできる子なんだから。
昨日の失敗も、明日の不安も考えないで、
今日だけもうチョイ頑張って。
今日だけでいいんだ。
今日だけで。

そして”今日だけ頑張る”ことの繰り返しが
いつか実を結ぶはずだ。

きっと。

決戦、第3新東京市

2008-05-09 17:39:13 | 日記
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の初号機と零号機の
アクションフィギュアを購入した。

きっかけは上記モデルを作った造型師である、
山口勝久氏の仕事内容を放送した番組を見たためだ。

「山口式」可動といわれる、関節が柔軟に曲げられる機構を持つ、
『リボルテック』というシリーズのフィギュアで、ポージングの自由度が非常に高い。

かっこいいポーズとかもつけられて、
何より600円台で買えるモデルが売っていたので早速買ってみたというわけだ。

自分が小さいころに買ってもらったお菓子のおまけとかについている
ロボットとは本当に雲泥の差だ。

たいてい昔のロボットは直立不動で、
関節といえば股関節と肩関節、
しかも前後にグルグル回る程度だったはずだ。

すごい時代になったなぁ~などと感慨にふけりながら、
黙々とヱヴァ初号機にポーズをとらせる。





初号機が落ち着いたところで零号機も早速ポージング。
初号機より関節の自由度が低いんだなぁ~
などと思いながら股関節を曲げていたら、



折れました。

『零号機、右足破損!!』

と叫ぶ伊吹マヤの声が心の中で聞こえました。

奥泉 光・著『鳥類学者のファンタジア』

2008-05-08 13:16:05 | 読書
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寝ることとコンビニ弁当が大好きな30半ばの
独身女性ジャズピアニストがタイムスリップして、
第二次世界大戦中のドイツに来てしまう。
そこで出会ったのは自分とおなじ名前で、
同じくピアニストであった実の祖母。

700ページを超える分厚い文庫本で、
読み終えるのにかなり時間がかかってしまったが、
笑いあり涙ありの非常に面白いファンタジー巨編だった。

私はジャズに関してはまったく無知なのだが、
小説に出てくる有名なジャズ奏者、
『ビル・エヴァンス』
『バド・パウエル』
『チャーリー・パーカー』
『マイルス・デイヴィス』
等々、小説を読めば読むほど一体どんな音を奏でる人たちなのだろうかと
気になって気になってしょうがない。
今度CDショップで彼らのアルバムを探してみようと思う。

特に主人公が自分で自分のことを『女バッパー』と称するほど
非常に影響を受けている『バド・パウエル』の作品がすごく気になる。

心に残った言葉はジャズとは関係ないところなのだが、

『誰かがどこかで心を向けていてくれる。それは深い慰めであり、
 人間にとっての希望です。それと同時に、誰からも心を向けてもらえない
 人たちがいることに心が痛みます。その人たちのために私は祈りたい。』


という言葉。
聖書にこんな言葉があったようななかったような気がする。

誰からも必要とされていないと感じたら、きっと生きていることや
自分自身の存在に実感が持てなくなってきて、
無気力になったり、もうどうでもよくなってしまったり、
自分の命の重さがまるで感じられなくて、
幽霊になってしまったような気さえするだろうな。

つながり。
どんなに孤独になっても絶対にどこかで誰かとつながっている。
例え現実の世界にもうその人達は存在していなくても、
心の中でつながっていることとかあると思う。

ただ都合よく”そう思いたい”だけかもしれないけれど、
”そう思いたい”と考えていたことだけは忘れないようにしようと思う。



カラスと雨

2008-05-08 12:17:35 | 日記


昨日は深夜に何度か地震があった。
埼玉県南部は震度3程度だったが、茨城県沖などは震度5弱を記録していた。
最初の地震があってから、外ではカラスが『カーカー』鳴いていて、
地震が収まった後でも鳴き続けていた。

すると2回目の地震。
コツコツ突き上げるような小さな縦揺れが来たので、
これはやばいかも・・・と不安になっていたのだが、
やはり震度3程度だったので少しホッとした。

その後もカラスはしばらくの間鳴いていたのだけれど、
いつの間にか鳴き止んでいたので我々も寝床に入った。

最初はカラスがうるさいから窓を閉めようと
(蒸し暑かったので窓を開けていた)
していたのだけれど、動物の感というか、
そういったものの力は侮れないと思い、
いや、侮れないというより自然の変化を
人間より何万倍も敏感に感じ取っているはずだから、
カラスの鳴き声に耳をすませることにして、
窓は開けたままにしておいた。

もしもカラスが今より激しく鳴き出したら
いよいよ来るぞと心構えができるかな、と。

しかし昨夜はそれ以上何事もなくてよかった。

ゴールデンウィーク中は近所の水元公園にサイクリング&
フリスビーを投げに行ったり、
グリーン牧場&伊香保温泉に日帰りで行ったりした。

伊香保温泉に行ったのが5月5日だったため、
帰りは関越自動車道の帰省ラッシュ渋滞にはまり、
全部で40km近くすり抜けをしたのではないだろうか。

おまけに午後からは雨で、雨の牧場、雨のオートバイ、
雨の大渋滞と、ライダーにとってはこれ以上ないほどの
過酷な旅となってしまった。

それでも温泉に入れたし、家で飲んだプレミアムモルツも
死ぬほどおいしかったので良かったと思う。

最近は晴天続きなのだけれど、
どうも体がしんどくていけない。

周りの人もあまり体調が良くないらしく、
休みの疲れが(休んだのに疲れるって変だ)出ているのかもしれない。