何となく心がゾワッとするときがあるのだが、
今日はゾワッとしたことがあった。
話は昨日にさかのぼるのだが、
昨日は親友の家でバーベキューをした。
4才と1才のちびっこ兄弟も来ていて、
ビールを飲みながら焼きたてのお肉を食べて、
昔話や色々な話で盛り上がる予定が、
実際はほとんどちびっこ達と遊んでいるという感じになってしまった。
4才の子はエネルギーの塊で、
見るもの、触るもの、すべてを吸収して、
さらに「うお~!!」とそれを周りに発散しているかのようで、
飲み込まれそうになってしまった。
1才の子を抱っこしているとなんだか不思議な気持ちになった。
癒されるというかやさしい気持ちになれるというか、
何とも言えない気持ち。
ゆりかごみたいに抱いて、それを激しく揺らしてあげると
ケタケタ笑って、「あぁもう!」と可愛すぎてどうしようもない
声が漏れそうになる。
お昼寝の時間でベビーカーに乗せられている時でも、
たまたまベビーカーの前に私がいて、
両手を広げて抱っこをせがむ姿を見た私は、
また「あぁもう!」となったのだった。
興奮してお昼寝どころではないちびっこ達をよそに、
日本酒にやられた私はグーグーといびきを立てて眠ってしまい、
目が覚めた時には宴もたけなわで、
バーベキューセットやテーブルは片付けられていて、
「あれ?今日はバーベキューをしてたはず」
とひとりで混乱して、ボ~ッとしたままみんなとお別れした。
そして今朝、元TBSアナウンサーで、
今はフリーになっていた川田亜子さんが自殺したという
ニュースを知った。
何日か前にブログの休止宣言があったが、その後すぐに復活したものの
やはり元気がなくて周りの人たちも心配している
というニュースを見ていたので、すごく色々な感情が湧いてきた。
胸のうちがザワザワしていると、実家から私の携帯に電話が
かかってきて、少し嫌な感じがしたのだが、
電話から聞こえてくる母の声は元気で明るくて、
少しだけホッとした。
しかし電話の内容は、
「今朝あなたが自殺する夢を見てね、最近会ってないし
心配になって電話したんだけど、大丈夫?
悩んでいることとかない?」
というものだった。
あまりにも突然だったし、内容が内容だったので驚きながら、
それでも確かにそこまで深刻に悩んでいることもなかったので、
「大丈夫だよ」と伝えて、そのあと川田さんのことを少し話して電話を切った。
川田さんは私より一つ年上で年齢も近いし、
ただそれだけのことだけどいつもより考えさせられてしまう。
私が前日に感じたように、人は必要とされ、
大切にされて育ってきているはずなのだ。
愛しい気持ちでたくさんの人たちから抱きしめられていたはずなのだ。
親だったり、じいちゃんばあちゃんだったり、友達だったり、恋人だったり。
色々な感情が混ざり合って
最後にすごく悲しくなった。
生まれてから今のいままで、無償の愛で包まれていた時の
記憶がずっと消えないでいたら、
自分の手のひらも見えないほどの暗闇に落ちたとしても、
それさえあればきっと帰ってこれると思うんだ。
でもこれらは際の際まで追いつめられたことがない私の
ただの妄想かもしれない。
甘い考え。そんなことできたら誰も苦労しない。
と言われるかもしれない。
私は同級生を同じように亡くしたときの、
その御両親の姿を見ている。
火葬場で、息子の入った棺が火葬炉に入っていく時の
母の叫び声も、姿も、鼓膜とまぶたの裏に焼き付いている。
それから自分の両親にだけは絶対に同じ思いはさせないと誓った。
最後の最後に私をつなぎとめるのはおそらくそれではないかと
いまは感じている。
何があっても、プライドも恥も全部捨てたとしても、
地位もお金も余裕もなくても、
カッコ悪くても何も残らなくてもせめて生きていようと強く思う。
そして、これはエゴかもしれないけれど、
自分に関わった人たちがそうならないように、
自分に出来ることは何かと考えてみようと思う。
・・・でも、そうやって考えられるうちは心も体も健康な証拠で、
本当にうつ状態になってしまったら、
たぶん、もう上で書いたような考え方はできなくなっているに違いないと思う。
そのときは私自身がこの記事を、偶然再び目にすることを祈るばかりである。