生きていると気持ちが盛り上がったり、
逆にどん底まで落ち込んだり、
それはそれは山あり谷ありで、
気持ちは自分の持ち物というより、
他人のモノ、いや、他人そのものという感覚で、
支配したくてもできなくて、
さんざん振り回されて、
話し合おうとしても相手にされなくて、
かまってほしそうな時は逆にこっちが会いたくなくて、
女性よりも、宇宙よりも、深海よりも謎だらけだ。
最近で言えば5月~6月は最低だった。
特に6月は近年まれにみる落ち込みようで、
心配してくれた上司が手紙をくれたりした。
実はまだその手紙を読んでいない。
とっておこうと思うんだ。
もっと落ち込むようなことがあったときのために。
7月~8月は上向きだった。
9月はそんなに悪くなかったけれど、
格段良いというわけでもなく、
下り坂への入り口のような気がする。
最近また自分のやってることが、
全て無意味に思えてきて、
でも8月に第一子が誕生したので頑張らなくちゃいけなくて、
それは自分を犠牲にしてでもがんばるけれど、
仕事やらに「子供のためにがんばる」という意味を与えなければ、
また6月のような精神状態になってしまうかもしれない。
自分だけじゃない、
みんな色々なものに耐えながら仕事を続けている。
街ですれ違うたくさんの人たちが、
毎日心をすり減らしながら生きていると思うと、
みんなすげーなと思う。
降りたくても降りられない人、
生きていくために仕方なく働いている人、
肉体労働で体がボロボロになったり、
人間関係で気持ちがボロボロになったり、
日本の社会で生きているだけで、
普通に生活しているだけで本当に大したものだと思う。
いつか自分がそこから脱落してしまうようで怖いんだ。
ちょっと気を抜いてしまったら、
一度脱落したら、
二度と上がってこられないのではないかと思ってしまう。
もうあんな嫌な思いは二度とごめんだと、きっと思うはずだから。
そんなときに秦基博の「やわらかな午後に遅い朝食を」を聞いたら、
やたら胸にしみ込んで、
ちょっと泣きそうになってしまった。
普段はさらっと聞き流してしまう音や言葉も、
精神状態によっては琴線に触れるほど入り込んでくる。
気持ちよ、君は一体誰なの?
仲良くできたらいいのに。
逆にどん底まで落ち込んだり、
それはそれは山あり谷ありで、
気持ちは自分の持ち物というより、
他人のモノ、いや、他人そのものという感覚で、
支配したくてもできなくて、
さんざん振り回されて、
話し合おうとしても相手にされなくて、
かまってほしそうな時は逆にこっちが会いたくなくて、
女性よりも、宇宙よりも、深海よりも謎だらけだ。
最近で言えば5月~6月は最低だった。
特に6月は近年まれにみる落ち込みようで、
心配してくれた上司が手紙をくれたりした。
実はまだその手紙を読んでいない。
とっておこうと思うんだ。
もっと落ち込むようなことがあったときのために。
7月~8月は上向きだった。
9月はそんなに悪くなかったけれど、
格段良いというわけでもなく、
下り坂への入り口のような気がする。
最近また自分のやってることが、
全て無意味に思えてきて、
でも8月に第一子が誕生したので頑張らなくちゃいけなくて、
それは自分を犠牲にしてでもがんばるけれど、
仕事やらに「子供のためにがんばる」という意味を与えなければ、
また6月のような精神状態になってしまうかもしれない。
自分だけじゃない、
みんな色々なものに耐えながら仕事を続けている。
街ですれ違うたくさんの人たちが、
毎日心をすり減らしながら生きていると思うと、
みんなすげーなと思う。
降りたくても降りられない人、
生きていくために仕方なく働いている人、
肉体労働で体がボロボロになったり、
人間関係で気持ちがボロボロになったり、
日本の社会で生きているだけで、
普通に生活しているだけで本当に大したものだと思う。
いつか自分がそこから脱落してしまうようで怖いんだ。
ちょっと気を抜いてしまったら、
一度脱落したら、
二度と上がってこられないのではないかと思ってしまう。
もうあんな嫌な思いは二度とごめんだと、きっと思うはずだから。
そんなときに秦基博の「やわらかな午後に遅い朝食を」を聞いたら、
やたら胸にしみ込んで、
ちょっと泣きそうになってしまった。
普段はさらっと聞き流してしまう音や言葉も、
精神状態によっては琴線に触れるほど入り込んでくる。
気持ちよ、君は一体誰なの?
仲良くできたらいいのに。
おめでとうございます☆
人生いろんなことがあります、自分が解らなくなる時も・・・
でも傍に大切な人がいて、その人にとっても自分は大切な人間なんだ、
と思えたら・・・
今この時を幸せな時間に出来るんではないでしょうか・・・
おもいっきり笑ってみて、きっと元気になるよ^^
いま自分がこの世からいなくなってしまったら、
妻はもちろん、親も、兄弟も、友達も、
たぶん悲しい気持ちになると思います。
頭では分かっているのですが、
自分がいなくなったとしても、
地球は回り続けるし、
仕事も誰かが引き継ぐだろうし、
残された人たちの悲しみも次第に薄れ、
ほら、やっぱり必要なかった、
と囁く人が自分の中にいるんです。
でも、もし自分の娘がそんなことを考えていたら、
世界中の誰が何と言おうと、
お父さんにとってお前は必要な存在で、
お父さんの命よりも大切なものなんだよ
と言えます。
だから私の親にとって、
私という存在も、
そうなのかもしれないなというのが心の支えです。