以前の日記でも書いていたようだが、
事の発端は6年6か月ほど出向していた派遣先での仕事を終え、
自社に戻った時から始まった。
『これからはリーダーの立場で仕事をしてもらう』
と上司に告げられていたのだが、
環境の変化からか、全くもって何のやる気も起きなくなってしまったのだ。
出張に行っても、自社にいても、まったくやる気が起きない。
本当に無気力な状態になってしまった。
大昔に使用していた特殊な開発ツールを利用しての開発案件に取り掛かっていたのだが、
(自分しか使用できる人がいなっかったため)
プロジェクトリーダーは他案件で大炎上を起こしていて、
自社のメンバーはみんなその案件にまわされて、
客先で3徹するなど惨たんたる状況。
自分はといえば食欲が全くなくなり、
夜も全く眠れなくなり、
異常なまでの倦怠感にさいなまれていた。
困ったときに相談できる相手もおらず、
9月のシルバーウィークで完全に糸が切れた音がした。
何の前触れもなしに、
17年共にした社長に退職する旨のメールを出してしまった。
妻に退職することを告げると、
妻「次の転職先決まってるの?」
自分「まだ決まっていない」
妻「何考えてるの?次が決まってから退職するのが当たり前でしょ?」(正論)
自分「アルバイトでもなんでもするよ」
妻「ふざけないで。土下座してでもいいから今から会社行って残してもらって」(正論)
上記のようなやり取りが重苦しい雰囲気の中、
小一時間ほど続いただろうか。
たまりかねた自分は家を出た。
もちろん会社に行く気はない。
葛西臨海公園をふらついたり、
あてどもなく街をさまよったりして、
夜に帰宅した。
妻「会社行ってきた?」
自分「行ってない」
妻「いい加減にしてよ!子供だっているんだよ!?」(正論)
何もしゃべる気にもならなかった。
何のやる気も起きない、八方ふさがり、袋小路に追い詰められた自分は、
もう死のうと思った。
電車に飛び込むか、大通りでトラックの前に出るか、
高いところから飛び降りるか、ロープを買って首を吊るか。
頭には浮かぶけれど、それを実行に移す気力もなかった。
死ぬ前に一度だけ精神科だか心療内科を受診してみよう。
誰にも伝わらないこの気持ちを最後に聞いてくれる人が欲しかった。
その時はなぜか九段下あたりを歩いていたので、
最寄りの病院に電話をしてみた。
受付「初診ですか?」
自分「はい」
受付「そうすると1か月後の〇月〇日になります」
自分「そうですか。わかりました。ありがとうございます」
ガチャ
1か月後なんて確実に死んでるよと思った。
予約のいらない病院を調べた。
たまたま近くにあったので行ってみることにした。
行ってみると待合室には誰もおらず(平日の日中だったし)、
すぐに診察室に通された。
初老の先生は左足を骨折しているようで足首から膝にかけてギブスをしており、
机の下に丸椅子を置いて、その上に左足を投げ出すように乗っけていた。
自分の身に起こったことをすべて話した。
話しながら涙ぐみそうになったのを覚えている。
この人が自分の話を聞いてくれる最後の人になるのか、
とも思った。
そこで初めて傷病手当金という制度を知った。
今のお給料の6割にはなってしまうけれど、
それを受け取りつつ休職することができるんだよ、と。
いま診断書を書いてあげるから、
会社に出してもいいし出さなくてもいいから、
もう一度会社に相談してごらん、と。
抗うつ薬と睡眠薬も処方してもらった。
身内からなんの同情も、何かあったの?と問われることもなく、
一方的に責められ(正論)、会社にも一方的に辞めると伝え、
もうすべてが終わった、あとはどうやって死のうかと考えていた自分にとっては、
首の皮一枚でなにかとつながれたような気がした。
つづく。
事の発端は6年6か月ほど出向していた派遣先での仕事を終え、
自社に戻った時から始まった。
『これからはリーダーの立場で仕事をしてもらう』
と上司に告げられていたのだが、
環境の変化からか、全くもって何のやる気も起きなくなってしまったのだ。
出張に行っても、自社にいても、まったくやる気が起きない。
本当に無気力な状態になってしまった。
大昔に使用していた特殊な開発ツールを利用しての開発案件に取り掛かっていたのだが、
(自分しか使用できる人がいなっかったため)
プロジェクトリーダーは他案件で大炎上を起こしていて、
自社のメンバーはみんなその案件にまわされて、
客先で3徹するなど惨たんたる状況。
自分はといえば食欲が全くなくなり、
夜も全く眠れなくなり、
異常なまでの倦怠感にさいなまれていた。
困ったときに相談できる相手もおらず、
9月のシルバーウィークで完全に糸が切れた音がした。
何の前触れもなしに、
17年共にした社長に退職する旨のメールを出してしまった。
妻に退職することを告げると、
妻「次の転職先決まってるの?」
自分「まだ決まっていない」
妻「何考えてるの?次が決まってから退職するのが当たり前でしょ?」(正論)
自分「アルバイトでもなんでもするよ」
妻「ふざけないで。土下座してでもいいから今から会社行って残してもらって」(正論)
上記のようなやり取りが重苦しい雰囲気の中、
小一時間ほど続いただろうか。
たまりかねた自分は家を出た。
もちろん会社に行く気はない。
葛西臨海公園をふらついたり、
あてどもなく街をさまよったりして、
夜に帰宅した。
妻「会社行ってきた?」
自分「行ってない」
妻「いい加減にしてよ!子供だっているんだよ!?」(正論)
何もしゃべる気にもならなかった。
何のやる気も起きない、八方ふさがり、袋小路に追い詰められた自分は、
もう死のうと思った。
電車に飛び込むか、大通りでトラックの前に出るか、
高いところから飛び降りるか、ロープを買って首を吊るか。
頭には浮かぶけれど、それを実行に移す気力もなかった。
死ぬ前に一度だけ精神科だか心療内科を受診してみよう。
誰にも伝わらないこの気持ちを最後に聞いてくれる人が欲しかった。
その時はなぜか九段下あたりを歩いていたので、
最寄りの病院に電話をしてみた。
受付「初診ですか?」
自分「はい」
受付「そうすると1か月後の〇月〇日になります」
自分「そうですか。わかりました。ありがとうございます」
ガチャ
1か月後なんて確実に死んでるよと思った。
予約のいらない病院を調べた。
たまたま近くにあったので行ってみることにした。
行ってみると待合室には誰もおらず(平日の日中だったし)、
すぐに診察室に通された。
初老の先生は左足を骨折しているようで足首から膝にかけてギブスをしており、
机の下に丸椅子を置いて、その上に左足を投げ出すように乗っけていた。
自分の身に起こったことをすべて話した。
話しながら涙ぐみそうになったのを覚えている。
この人が自分の話を聞いてくれる最後の人になるのか、
とも思った。
そこで初めて傷病手当金という制度を知った。
今のお給料の6割にはなってしまうけれど、
それを受け取りつつ休職することができるんだよ、と。
いま診断書を書いてあげるから、
会社に出してもいいし出さなくてもいいから、
もう一度会社に相談してごらん、と。
抗うつ薬と睡眠薬も処方してもらった。
身内からなんの同情も、何かあったの?と問われることもなく、
一方的に責められ(正論)、会社にも一方的に辞めると伝え、
もうすべてが終わった、あとはどうやって死のうかと考えていた自分にとっては、
首の皮一枚でなにかとつながれたような気がした。
つづく。