くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

2009-04-12 00:52:49 | カメラ・写真
先週の土曜日に花見に行ってきた。

場所は昨年と同様、用水沿いの桜並木。



隣の市に鉄道の駅が新設され、
人口が増えたせいなのか、
昨年よりも人がたくさんいたように感じる。



それでも出店が立ち並び、にぎやかになっている場所から
歩いて少し遠ざかれば、人影もまばらになり、
静かすぎず、にぎやかすぎずで、
すごくいい感じだ。





桜の花をたくさん咲かせて、
まるまると太った枝もいいが、
まだつぼみだったり、少しだけ花が咲いている枝も好きだ。





日が傾きはじめて、
桜色と夕陽の橙色が混ざりはじめると、
頭の中にある桜のイメージとは少し違ったものが見えてきた。

昼間の元気で明るい雰囲気から一変、
落ち着いていて、艶っぽい大人の雰囲気を醸し出してくる。

昼と夜で顔が違う、特命係長(女性版)みたいだなと思った。



その表情を見つめていると不思議な気持ちになる。

自分の娘はいつまでも子供だと思っていたのが、
気がついたら立派な大人になっていたときのような、
現実に時は流れているのだけれど、
それをうまくとらえられていない感じ。

嬉しいような、寂しいような、
自分だけ置いてけぼりをくらったような気持ちだ。



今年もすでに桜の季節が終わりを迎えようとしている。



関係ないが、夕間暮れの裸電球。
なんだか哀愁が漂っていた。



また来年会いましょう。



ストレスとか

2009-04-08 23:26:10 | 日記


行きはよいが帰りはつらい。

通勤電車。

行きは当駅始発の電車に乗っているので、
すごく快適だ。

しかし帰りはそうはいかない。

多くの他人と密室で、
息のかかりそうな距離で過ごさなければならない。

イヤフォンから漏れる聞きたくもない音楽。

開きっぱなしのだらしない口で、
クチャクチャとガムを噛み続ける咀嚼音。

ここはお前の部屋かと思うほど
普通に携帯電話で会話しちゃってるやつ。

うたたねしている親父のヘッドバッド。

仕事でストレスを感じ、
帰りの電車でもストレスを感じ、
そうしてたまりにたまったストレスの行き場もなく、
行き場のないストレスが鼻毛のメラニン色素を奪ってゆくのだ。

家に着くのは深夜1時を過ぎ、
夕飯を食べて、
一瞬ボ~っとして、
お風呂に入ったら3時を過ぎる。
明日も仕事だから4時までには寝たい。

自宅で活動している時間は正味2時間強ということか。

なんとまあ。

こんなことでは子供が生まれても、
接する時間があまりにも短すぎる。

そんなの嫌だ。

お金もなくなって、健康も損ない、
世界中のすべての人から嫌われたとしても、
命をかけて守り、守られ、支えあっていくもの、
それが家族だと私は思うのだ。

だから家族とはなるべく長い時間一緒にいたい。

昨年母方の祖母が亡くなったときに私の母は、

「やっぱり親が死ぬって特別だわ。
 旦那が死んでもこんな気持ちにはならない気がするもの。
 血がつながっているのと、つながっていないの違いかねぇ~」

などと言ってくれた。

嫁にとっての旦那、
旦那にとっての嫁、
そしてそれぞれの親。

家族は家族でも、
やはり血のつながりは越えられない壁なのだろうか。

この先私の父が大往生を迎えた際には、
(父と母のどちらが先に逝くか分からないが)
もう一度聞いてみよう。

あのときおふくろはこんなこと言っていたけど、って。

「やっぱり親の方がきつかったわねぇ~」

なんて笑顔で答えそうで怖い。

2009-04-05 02:43:14 | 日記


AM 2:41

また仕事でこんな時間になってしまった。

土曜日なのに。

まだしばらくはこんな日々が続くのだろう。

さすがに少し疲れてきた。

体というより心が。

世の中は自己中心的に回っている。

機嫌が良ければなんでも楽しい。
そんなときはつらいことがあったとしても、

「まぁなんとかなるっしょ」

「つらいことこそ俺を成長させる糧だ!」

と思える。
実に前向きだ。

機嫌が悪かったり、心が疲れてくると、

「毎日つらいことばかりだ」

「楽しいことなんて何もない」

「なんで生きるってこんなに大変なんだ」

と嘆いたりする。
実に後ろ向きだ。

つまり私の身に降りかかる事象に、
「つらいこと」なんてものは存在しないのだ。

私の心持ち次第で、
「つらいこと」は「楽しいこと」に変わり、
「楽しいこと」が「つらいこと」に変わってしまうからである。

この世界は私が作りだすものなのだ。
常に私を中心に回っている。

生きてるだけで楽しいことばかり。

死んでしまったら、
きっとこんな楽しい思いはできない。

楽しいんだ。

生きているだけで。

世界は自分のものなのだから。