くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

インターハイ

2008-07-29 16:23:44 | 日記
今年のインターハイ(全国高校総体)は埼玉県で
行われているようだ。

八潮市は女子ハンドボールの試合会場となっている。
どうりで朝から八潮駅にたくさんの女子高校生がいるわけだ。

川口市の青木公園(青木町公園総合運動場)では
ソフトテニスの試合が行われるようなので、
週末に見学してこようかな。

全国の高校生ナンバーワンがそこで決まるわけだし。

自分はと言えば中学・高校とソフトテニスを6年間続けてきたけれど、
中学生のときは地区ベスト16どまりで県大会にも出場できず、
高校生のときはなんとか県大会までは出場したものの、
1~2回戦勝ちぬけたか抜けないかとかそういうレベルで、
特に誇るべき結果は何も残っていないというのは
いざ振り返ってみると何ともさびしいものだ。

中学生のときは顧問の先生が実力者で非常に熱い人だったため、
かなり真剣に取り組んでいた。
逆にそれがプレッシャーでもあり試合のときの緊張感は半端ではなく、
その期待に応えることもできなかった。
ちなみにその後、自分たちの一つ下の後輩世代がすさまじい活躍をして、
地区大会で優勝したり、県大会(出られるだけでも相当凄いのに)
でも勝ち進んだりで、
これもまあ先輩である我々の教育・指導の賜物だなと、
自分の成績は棚に上げて誇らしく思ったものだ。

人間の小ささはこの頃から変わってなさそうだ。

高校時代は顧問の先生はそんなに熱い人ではなかったが、
かと言っておちゃらけているというわけでもなくて、
楽しく、そして真剣にソフトテニスに取り組くむことができた。

おかげで緊張感から解放され、試合でも中学時代に比べたら
力まずにプレイできたのは良いのだが、
やはりその程度の努力しかしていない人間とそうでない人間
との間にある壁はハッキリとしていて、
成績はと言えば上に書いたとおりだ。

暑い日が続いているから、
選手たちは体調管理に気をつけて、
日ごろの練習の成果をいかんなく発揮してもらい、
ぜひこれからの人生の糧にしていただきたい。

とまあ、開会式のときの偉い人の挨拶みたいに
なってしまったが、とにかくみんな力の限りがんばれ!

あ、いま思い出したのだが、
中学校時代に行われた市内大会(市内の中学校だけの大会)
で優勝したんだ!
賞状が自分の部屋に飾ってあったっけ。

でも他の中学校とは明らかに温度差があって、
たしか1~3位まで我が校の生徒で締められていた気がする。

「優勝」という2文字はこれが最初で最後。

小さな小さな1等賞。

なんともならない

2008-07-28 17:25:13 | 日記
ボ~ッとしながら鼻毛を抜いていたら、
真っ白く輝く鼻毛がたまに混じっていて、
以前日記にも書いたけれど、
やはり何度見ても溜息がこぼれる。

もうあの鼻毛は永遠に、
私の体が朽ち果てるまで白いままなのだろうか。

やらなければならない仕事の量と、
やる気が反比例しており、
やる気に関しては鼻毛が原因なのか、
それとも夏のうだるような暑さが原因なのかは定かではないが、
そうは言っても、私のやる気が低いと
流れる時間の速度が緩やかになるとかそういうことにはならず、
やる気があっても、なくても、
馬鹿みたいにまっすぐ時間は進み続けているわけで、
相変わらず気の利かないやつだ。

アホみたいにやる気が湧き出て、
もっと仕事したい!もっと仕事したい!
となる方法はないだろうか。

少なくても1日の1/3、下手すれば1日の1/2の時間を
「仕事」と呼ばれるモノに費やしているのだ。

なんとかならないか。

夏の奇声

2008-07-25 15:50:49 | 日記
夏ってこんなに暑かったかしら?

風は吹けどもドライヤーの熱風を浴びているようで、
さすがに朝食にバナナ一本だけだとエネルギーが足りないのか、
会社にたどり着く前に足取りが重くなりフラフラだ。

話は変わって昨日、帰りの電車内での出来事。

自分は座席に座っていた。
その自分の前に立った男性は眠たそうで、
吊革につかまった方の腕に頭を持たれかけ、
立ったまま眠りかけていた。

しばらくするとどこからともなく

「ぃぃぃいいいやっあ!」

という奇声が聞こえてきた。

酔っ払いか?それとも何?
すこしドキドキしていたらまた同じような
奇声が聞こえてきた。

「ぅぅぃぃぃいいや!」

2回目でハッキリと分かったことがある。
その奇声は自分の目の前に立っている男性が発していたのだ。

直後、その男性が鼻をすすっていた。

もしかして、

「泣いてるのか?」

と思った。

ダウンタウンの松本人志がときどき
全然関係ないタイミングで浜ちゃんにそうつぶやいて、
「泣いてへんわ」と笑われながらツッコまれているシーン
が頭に浮かんだのだが、そんなことはどうでも良い。

いまは奇声の謎解明が先決だ。

くしゃみか?

くしゃみを我慢して変な音が出ている人がたまにいるが、
その類かとも思った。

泣いてもいない、くしゃみでもない・・・でなければ・・・

そうして辿り着いた最悪のシナリオが、
「気持ちが悪くて吐きそう」だ。

あの奇声、実はもうお口の中までせり上がってきている!?

ぞっとした。
背筋が凍りつくほど。

今この場でリバースされたら、
私は地獄のシャワーをすべて浴びることになる。

その最悪のシナリオを思いついてしまってから
自分が降りる駅に着くまでの9分という時間の長いこと、長いこと。

気が気ではなかった。

帰宅ラッシュで大混雑の車内、
顔を上げてその人の様子をうかがうのも怖かった。
なぜなら「もうダメ、我慢できない」という顔をしていたとしても、
この身動きが取れない状態の車内ではどこにも逃げ場がないからだ。
おまけに顔を上げれば顔面シャワー(すみません)になりかねない。

どうしようもなかった。
運を天に任せるしかなかった。

結果、何事もなく無事に電車を降りることができたのだが、
なんとも生きた心地がしなかったというか、
ハラハラドキドキで精神的にかなり疲れてしまった。

結局何だったのだろう、あの声を発する原因となったものは。
今となっては確認のしようもない。

今夏の不思議その1だ。

イライラ弾き語り

2008-07-25 14:58:12 | アコースティックギター
昨日は足立区の花火大会だった。
何とか見られるようにと仕事を早めに切り上げるつもりが、
間の悪い出来事が突然起こったりで
ズルズルと結局22時過ぎまで会社にいることになってしまった。

うまく事が運ばないことにイライラしたので、
会社に置いてあるミニアコギを片手に大声で弾き語った。

めちゃくちゃ声を張って唄った。
まるで舞台俳優のように。

もしこの声が外部にだだ漏れだったら
間違いなくご近所から苦情がきて
警察出動の騒ぎだろうなと思ったが、
そんなの関係ねえ。
(気持ち古い)

会社で大声で弾き語るのは非常にストレス解消になる。
もうミニアコギじゃ満足できないので
マイギターを持ち込みたいくらいだ。

会社用に置きアコギを買おうかと真剣に考えている。

----- 弾き語った楽曲リスト -----

■19
 ・あの青をこえて
 ・瞬間概念
 ・あの紙ヒコーキくもり空わって
 ・大自然
 ・すべてへ
 ・卒業の歌、友達の歌。
 ・蒲公英 -たんぽぽ-

■スキマスイッチ
 ・藍
 ・奏

■尾崎豊
 ・15の夜
 ・僕が僕であるために

■日立のテレビCM
 ・この木なんの木



因果応報?

2008-07-24 21:55:36 | 日記
仕事が終わって帰宅する。
地元の駅で電車を降りて自転車の置いてある駐輪場に向かう。

同じように電車を降りてそれぞれの場所へと
向かう群衆がある。

すると必ずと言っていいほど誰かが歩きながら
タバコに火を付ける。

一人だけのときもあれば、二人のときもあるし、
もっとのときもある。

20~30m程離れていても自分が風下にいれば匂いですぐにわかる。
目を凝らすと暗闇でオレンジ色の光がフラフラと泳いでいる。

自分がタバコを吸わない人間だから、
余計に敏感に感じてしまうのかもしれない。

しばらくするとそれを当り前のように道に投げ捨てる。
投げ捨てたままで火を消さない人もいる。

すると自分の中から悪魔のような声が聞こえてくる。

燃えちゃえばいいのに
ポイ捨てされたタバコの火が原因で
お前の家が火事になって
大切な人をすべて失っちゃえばいいのに

と。

自分でもなんてことを考えているんだと思う。
でもそういう場面に出くわすたびにいつも思ってしまう。

たかがタバコだろ。
たかがタバコの煙を吸わされただけだろ。
たかがポイ捨てだろ。

そうかもしれない。

でも逆に言えば、いちいちイライラしてしまう、
イライラさせられてしまうということは、
因果応報、カルマの法則、
つまり昔どこかで自分が誰かに対して同じように
イライラさせたり迷惑がらせたりした結果、
自分に跳ね返ってきているのではないだろうか。

などと考えたりして、
普段の自分の言動を省みたり、
前世やさらに昔の自分がしたことだとしたら
いったいどれだけ毎日人に迷惑をかけ続けていたのだ・・・
と自己嫌悪に陥りそうになるのだが、
前世とかいわれてもいまさらどうしようもないじゃんかと
やっぱり逆切れしてみたりで非常に心が忙しい。

そうは言ってもやはりタバコの煙は吸いたくない。

自分の家で、もしくは密室で、思う存分吸ってもらいたい。
吸い殻も適切に処理していただきたい。

そう思わずにはいられない。

他人のタバコの煙ごときでいちいちイライラしていたら
本当にキリがない世の中だ。

やっぱり因果応報なのかな・・・。

はぁ。

兵器

2008-07-16 15:32:23 | 日記
『MEN'S Biore』のCMは何度見てもすごい。

「汗くさい男の子って苦手だな」

「だよな」

「加藤君!加藤クンクン!」

あまりにも興奮しすぎた私は、
振り上げた手がテーブルに置いたコップに当たってしまい、
お茶をカーペットにぶちまけたことすらある。

何度も見ているCMなのに、
なぜ興奮してしまったのだろう。

「苦手だな」と言っていた娘が、
「クンクン」などと言いながら抱きついてくるという
状況に興奮しているのだろうか?
MENS側からしてみれば、してやったり、みたいな。

それとも相武紗季が「クンクン」している姿が
一見かわいらしいなと思えるのだが、
よくよく考えてみるとかなりあり得ないことで、
深層心理では、そんなことまで!的に考えているからだろうか。

この表現しがたい得体の知れない感情はなんなのだろう。

大体このCMを見終わったあと私は、

ニヤニヤしながら「くっそ~相武紗季め~!」

とつぶやいているようなので、
そのあたりに答えがあるのかもしれない。

ちなみに妻に相武紗季の役をやってもらい、
同じ状況を再現したのだが、
何の感情も湧かなかったのは言うまでもない。

再現が終わった後、真顔でお互いがそれぞれしていた作業に戻る。
夫婦間の空気も若干おかしくなるので
これからやろうとしている人にはおすすめしない。

下手をすると家庭崩壊だ。

それだけの破壊力を持っている相武紗季という人物。
いや、相武紗季という名の人間兵器。

これはもうそういうレベルだ。

しかも直接手を下すわけではなく、
間接的に、イメージだけで相手を滅ぼすことが可能なのだ。

あっぱれだ。


ナス

2008-07-16 15:19:16 | 日記


先週末は北千住のカフェに足を運んだ。

我が家の最先端情報誌である『足立区Walker』に載っていた
お勧めカフェに行ってみることにしたのだ。

北千住駅の西口から出て線路沿いに、
荒川の土手とは反対方向へ歩く。

小学生の時、北千住のアニメイトに行くのにこの道を歩いたっけ。

今まで見たこともないドラゴンボールの下敷きが売っていたり、
アニメのポスターとかもたくさんあって、まるで夢のようなお店だと
小学生の私は大興奮だった。

ノスタルジックな気分になっていたら出鼻をくじかれた。

最初の目的地、『Cafe' Kova Garden』は日曜が定休日だった。
喫茶店がなぜ日曜日に休む!?
『Kova』という名前にも親近感を覚えていたのに!!
などと勝手に裏切られたと思い込んでイラッとしそうになったのだが、
そりゃ日曜日は誰だって休みたいよな、
平日休みだと周りの人となかなか都合が合わないだろうし
と、やはり勝手に思いなおし、次の目的地へ向かうことにした。

第二の目的地である『千住宿 珈琲物語』はちゃんと営業していた。
カウンターの壁一面に食器棚が置いてあり、ものすごい数の
多種多様なコーヒーカップが並んでいた。

注文したコーヒーが運ばれてきた。
妻のカップは黄色で猫のイラストが入っていた。
私のカップは黒に近い紫色でナスの絵が描かれていた。

「なすび」と言って妻は笑った。

良く見てみると、妻が今日着ている服はからし色で、
私は黒のポロシャツだった。

もしかしたらマスターは服の色に合わせて
カップを選んでくれたのかもしれない。

いや、そうでなくてはならないのだ。

顔つきや風貌、雰囲気で選ばれていると思ったらやるせない。

「ナスのような男」

そういうことになってしまう。

今度は違う色の服を着て行こうと思う。
どんなカップが出てくるのか楽しみだ。

次回もなすびのコーヒーカップが出てきたら
私はこの店に通い続けてやる。

あえて、だ。

荻原浩・著 『明日の記憶』

2008-07-08 14:27:05 | 読書
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若年性アルツハイマーを患った主人公。
日に日に進行する症状。

娘の結婚式まではなんとか踏ん張るのだと、
短期記憶の領域を病に侵されながらも、
同僚、客先、自分の発言、すべてのことをメモに取り続け、
病気のことは悟られないように懸命に働く。

しかし時間が止まらないように、
アルツハイマーの進行も止まらない。

色々なことを忘れてゆく。

道、場所、今まで出会った人たちのこと。
そして最後には家族の顔、妻の顔すらも。

もし自分の身に同じことが起こると
想像しただけで、すごく怖い。

記憶がなくなったら自分が自分じゃなくなってしまう。

唯一の救いは、周りの人間は自分のことを覚えている
ということかと思ったが、結局自分自身がその人たち
のことを覚えていないのだから
まるで意味がない気がしてきた。

もしかしたら生きていく上で一番怖いことかもしれない。
そしてそれは実際に起こりうることなのだ。

小説に書かれているとおり、
アルツハイマーは自分自身だけでなく、
家族や周りにも多大な影響を与えることになる。

何よりもそれが怖い。

自分は普通にしているつもりが、
結果周りに大きな負担を与えていること、
そして大きな負担を与えていることに私自身が
気がつかない、ということがだ。

それでも人間は生きていく。
60兆個の細胞は生き続けようとする。

どうしろっていうんだ。
そんな気持ちになるだろう。

あわれで、みじめで、涙が出てくるだろう。

それでも、

それでも生き続けなきゃならない。

人は支えがなければ生きていけない。
生まれたときも誰かが手を差し伸べなければすぐに死んでしまう。
成長して大人になっても、病気になればひとりではどうしようもない事態に簡単に陥る。

理解しあい、支えあい、助け合う。
それがなくなってしまったらどうなってしまうのだろう。

普通に生活しているだけでも不安になるときがある。
もしかしたら日本中のほとんどの人が未来を思って不安な気持ちを
抱かずにはいられないのではないだろうか。

誰だってまだ訪れていない未来のことを考えて不安になんてなりたくない。
明るくて希望に満ち溢れた未来を想像したいはずだ。

でもそうはさせてくれない何かが世にはびこっているのも確かなんだ。

若年性アルツハイマーという病気から考えさせられることがたくさんあった。



不毛

2008-07-07 20:49:52 | 日記
昨日、駅前にある美容院に行ってきた。

このお店にお世話になるのは3回目だろうか。

私は来店するにあたって心に決めていたことがある。

『シャンプーをしてもらっているときに、かゆいところはないかと聞かれたら
 正直にかゆいところを告げる』

ということを。

以前テレビで見たことがある。

関西の美容院と関東の美容院、
シャンプーのときにかゆいところを聞かれて
お客さんがどのような反応をするかのチェックだ。

関西の美容院ではほぼ全員がかゆいところをガンガン指摘していた。
一方関東ではほぼ全員が「大丈夫です」と答えていた。
関東では美容院から出てくるお客さんにインタビューを行った結果、
「かゆいところはあったけれど、なんとなく言いづらかった」
という意見が多かった。

テレビなのでどこまでが真実なのかは定かではないが、
いささか間違っているようにも思えなかった。

なぜなら私自身が「かゆいところはあったけれど、なんとなく言いづらかった」
と常々思っているからだ。

自分を変えるのだ。

大きな一歩を踏み出すのだ。

そんな気持ちで今回はシャンプーのときを待った。

美容師さんと呑気に会話をしている場合ではない。
これは戦いなのだ。
そう自分に言い聞かせ、
私が少し饒舌になってしまった会話のテーマ(ビアガーデンと日本酒に関して)で
盛り上げようとしてくれている美容師さんとの会話も
ぶった切り(嫌な客だ)、精神統一をはじめた。

カットが一通り終わって、
いよいよそのときだ。

シャンプー台に寝かせられ、
その時は刻一刻と迫る。

髪をお湯で湿らす。

シャンプー液を付ける。

泡立てられ、洗髪が始められる。

シャンプーしてもらっているだけなのに
心臓がバクバク(気持ち悪い客)だ。

別のシャンプー台の会話が聞こえてきた。

「かゆいところはありませんか?」

「大丈夫です」

腰ぬけどもめが。

私は今日生まれ変わる。ふふ。

そう思うと同時に頭のかゆいところを探すのに
意識を集中する。
かゆいところがないという理由でこの戦から撤退するわけにはいかないのだ。
臆病な自分とサヨナラするのだ。
意地でもかゆいところを探す。
いや、もはやかゆいところなどなくてもいいのだ。
ハッキリと言ってやるのだ。

そしてその時は訪れた。

「かゆいところはありませんか?」

「つ、つむじ周辺」

言いきった。
勝った。
そう思って安心した次の瞬間、

「つむじ周辺ですね?」

美容師さんから確認の言葉を投げかけられてしまった。
突然の出来事に焦った私は、

「あ、はい・・・すみません」

となぜか謝ってしまった。

「いえ、大丈夫ですよ」

美容師さんに「別に謝らなくてもいいですよ」というニュアンスで
やさしくフォローされてしまった。

負けた、と思った。

つむじ周辺を丁寧に洗われながら、
かゆいところをかいてもらっているという
天にも昇る気持ちよさと、
歯がきしむほどの悔しさと恥ずかしさが交錯する。

泣いていたのではない、
リンスが少ししみただけだ。

背水の陣、ノーガード戦法で挑んだ攻めのはずが、
相手が思わぬカウンターを被せてきたため、
防御しようとしてしまった。

自分はいつまでたっても自分だった。
不毛な戦いはもうやめようと思ったが、
失敗は誰にでもあることだ、
しかし2度同じ失敗は繰り返さない。

もう一度、次は臆せずハッキリと言いきってみせる、

「つむじ周辺だ」

と。

再会

2008-07-02 22:44:28 | 日記
仕事で23時上がりが定番になってきた。
終電じゃないだけまだマシか。

久しぶりのこの感覚。
目の疲れと肩のこり、そして腰の重さ。

なんとなく嫌ではないのが不思議だ。

ずいぶんと会っていなかった旧知の友との再会、
「おぉ久しぶり~!また会えたなぁ」的な感覚。

どこかのサイトで目にとまった書き込み。

『飛び降りも、首つりも、電車に飛び込むのも
 全部怖くて自分にはできそうにない。
 だから働きまくって過労死してやろうと思います』

すごく印象的で心に残っている。
ネガティブなようで実はすごいポジティブ。
死を望んでいるけれど、
そこへ至るまでにすごく濃い生を歩もうとしている。

きっとこの人は過労死へ向かう途中ですごく大きな
ものを見つけるような気がする。
そして過労死はしないような気がするのだ。

なんだかこの言葉がかっこいいとさえ思ってしまった
私は異常なのかもしれないが、
そう思ってしまったのは事実なのだから仕方がない。

ちなみに私が死を望んでいるというわけではないので
誤解しないでほしい。

『おぉ!上等ですわ!過労死したりますわ!!』

ぐらいのテンションでいられたら、
押しつぶされないで済むかもしれないと思ったのだ。

テンション、あげてこ。