くもり のち あめ

うしろ向き、うしろ向き、たまに、まえ向き。

石田 衣良・著 『40―翼ふたたび』

2009-07-06 15:38:33 | 読書
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あまり実感はないものの、
ものすごく不況な世の中だ。

終身雇用の時代は10年ほど前から崩壊し、
何の仕事をして、自分の将来はどうなるのだろう、
いまの仕事は何歳まで続けるつもりなのだろう、
考えても、考えても、いつまでも答えの出ない問いを毎日のようにし、
なんとか暗い方へ行かないように自分を鼓舞し、
たまに「なんとかなるさ」と心が軽くなったと思ったら、
「日本に明るい未来が待っている気がしない。絶望だ」
と深淵に落ち、「こうなったら海外に永住するしかない」と考えたところで、
海外に永住する方法が、「国際結婚」ぐらいしか思いつかない。

私はどんな30代を過ごし、
40歳になったときどうなっているんだろう。

人生設計はあまりにも漠然とし過ぎているし、
周りの同学年の人たちは一体何を考えているのか気になる。

同じレベルで悩んでいる人もいれば、
もっと高い次元で悩んでいる人もいるだろう。

他人がどうこうとか関係ないかもしれないが、
自分一人ぼっちの世界ではなく、毎日何かしら他人と関わっているわけだから、
比べてしまうのも仕様がないと思う。

30代での経験が40代に活き、
またその先も然り。

失敗ばかりかもしれないが、
家族でささやかな幸せを共有して、
笑って暮せていたらいいな。

それだけでいいのに。



重松 清・著 『トワイライト』

2009-07-06 15:36:16 | 読書
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20歳そこそこの頃、私も小学校の同窓会があった。

小学校6年生の時に転校してしまった私にとって、
彼らとの再会は本当に久しぶりの出来事で、
非常に興奮したのを今でも覚えている。

みんなそれぞれに成長していた。

まだ学生の人もいれば、
小学校の先生になっている人もいた。

お肉屋さんを営んでいる人もいれば、
一級建築士を目指している人もいた。

昔の顔と結びつかないほど美人になった人もいれば、
自分の子供を連れてきている人もいた。

良い感じに大人になったなという人もいれば、
痛い感じの人もいた。

当時、可愛くてアイドル的な存在だった彼女は、
すでに結婚して子供もいた。

お酒に酔った彼女は私に、

「これ食べなさいよ。何?私のたこ焼きが食べられないっていうの?」

と言った。
他人に絡むタイプの酔っ払いだった。

時の流れを痛感した瞬間だ。

あれからさらに8年ほど時が経つだろうか。

あの同窓会の時に連絡先を交換し合った友人たちとは、
同窓会直後はまめに連絡を取っていたが、
気がつくと、もう誰とも連絡を取っていない。

地元で互いに成長しあった仲間同士にはない壁が、
私と彼らの間にあったのかもしれない。

それは私が作ってしまったものなのかもしれないが。

この作品のように、40歳の前にもう一度同窓会が開かれたら、
また違った心境になれるだろうか。

20歳のときの壁を壊せるだろうか。

壊せる壁と、それでも壊せない壁があるような気がする。



奥泉 光・著 『モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』

2009-05-12 18:43:06 | 読書
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私立の女子大(レベルが低い)で、
日本文学の教鞭をとる助教授が殺人事件に
巻き込まれていくミステリー。

この助教授の考え方や生き方が、
ちょっとダメなおじさん風ですごく愛嬌がある。

自身が監修をつとめた本がミリオンセラーとなり、
表紙がツルツルしている女性誌の取材を受けたときなど、
自分の服装や身だしなみのしょぼさに悲しくなると同時に
プッツンしてしまい、自暴自棄になった挙句

うんこだ、うんこをまき散らしてやる
オシャレ雑誌にうんこをまき散らしてやる

と心の中で毒を吐き続けていた。

以前読んだ『鳥類学者のファンタジー』とリンクする話題や登場人物もいて、
おもしろさに拍車がかかってしまった。

相変わらず分厚い本で読みごたえはタップリ。
このくらいの長編のほうが長い期間読んでいられるので好きだ。

でも話の内容がつまらなかったら、それはただの苦痛でしかないはずなので、
本書は自分にとって面白いものだったといえるのだろう。



久坂部 羊・著 『無痛』

2009-02-02 18:57:03 | 読書
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外見の特徴だけで病状を的確に当ててしまう医師が主人公。

純粋にこんなお医者さんがいたらいいなと思ってしまった。

病状を見抜くシーンが、
作中すごく具体的に書かれているものだから、
現実に可能なのではないかと思ってしまう。

あくまでフィクションであり、
現実的には不可能なことなのだろうか。

そこがすごく気になる。

犯罪を犯す人間には、
眉間が「M字」型のように盛り上がる、
「犯因症」というものが出るらしい。

その犯因症がハッキリとしている、
つまり隆起が激しいほど、
大きな犯罪(無差別殺人、通り魔等)を犯す、と。

もしも誰かを殺そうとした場合、
莫大なエネルギーを必要とするらしい。

普通の人間なら、誰かを憎んで殺そうと考えたとしても、
それを実行に移すまでには到底至らない。

その莫大な内に秘めたエネルギーの塊が、
眉間に犯因症として現れるのだ。

犯罪を犯す者はある種の病気、
病を患っている状態であり、
その兆候が作中の主人公のように
外見だけで判断できるのであれば、
犯罪を未然に防ぐことも可能かもしれない。
(現実問題、相当難しいだろうけれど)

外見だけで病気の症状を見抜く主人公の活躍(?)を
読んでいるだけでおもしろかった。

もし自分が病気になって、
複数の病院を渡り歩いた揚句、
この病院ではこう言われた、
あの病院ではこう言われた、
などという状況になるのはものすごく面倒くさいので、
やっぱり上記のようなスーパー町医者がいてくれたら、
すごくありがたいことだ。

いないのかなぁ~

いたらいいなぁ~



打海 文三・著 『ぼくが愛したゴウスト』

2009-02-02 18:32:58 | 読書
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たまに考えることのひとつに、

「この世界は本当に現実なのか?」

「現実じゃないとしたら本当の現実って?」

といった内容がある。

本編の主人公も、
現実と鏡合わせのようにそっくりなのだけれど、
いままで自分が生まれ育った世界とはパッと見少しだけ、
しかし確実に異なっている異世界の自分と入れ替わってしまう。

臆病で、そんなに賢くはないけれど、
純粋な小学生の主人公。

別の世界の瓜二つの家族との交流が
少しホロリとさせる。

この物語のように、
私がいま存在していると思っている世界と、
また別の世界は同時に進行していて、
でも、それすらも実在しているわけではなく、
誰かの想像の、または夢の産物だとしたら。
(FFⅩが一部こんなお話だったような・・・)

つまり、私がここにいるということも、
私の周りの人たちも、親も、兄弟も、すべて、
誰かがどこかで見ている夢の一部であって、
実在しないのではないかということ。

そう、私の人生そのものが誰かの夢オチなのだ。

悲しいような、虚しいような、
んなわけあるかい!と反抗してみたりするが、
でも、結局答えは見つからない。

考えているうちに、
いま感じている現実とか、自分の存在などが
だんだんあいまいになってきて、
私の人生が誰かの夢オチでないという証拠はどこにあるのだろうと
さらに考えを巡らすものの、
どんどん深みにはまって、
頭の中がドロドロになっていく。

「まぁ、たぶん現実」

と、どんなに考えても答えなんて出るわけはないので、
いつもあいまいに結論付けて終わりにしているの。

普段は大丈夫だが、
心が病んでいるときにこういうことを考え出すと、
自分が分裂してしまいそうで少し怖い。

私はここにいるのだろうか。

周りの人は「いる」というだろう。

それだけだ。

周りの人が「いる」というから、
私はいるのだ。

それがすべてだ。

それでいいんだ。

おそらく。



伊坂幸太郎・著 『魔王』

2008-11-12 15:58:13 | 読書
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自分が強く念じた言葉を、
他人の口から言わせることができる主人公。

作中、ハッキリとは書かれていないが、
どうやら他の特殊能力を持った人物もいたりで、
高校生の頃に読んだ、飯田譲治の『NIGHT HEAD』
が思い出された。

本作の冒頭にも出てくる、
混雑した車内で、立ったままの老人を無視して仰々しく座っている
若者に対して、主人公が老人に言わせた言葉。

「偉そうに座ってんじゃねえぞ、てめえは王様かっつうの。ばーか」

確かに電車通勤をしていると、
たまにこういった状況に出くわすことがある。

混雑してきているのに足を組んだまま座っている人や、
優先席で眠りこける、明らかに優先されそうにない人。

空いている優先席に座るのは勝手だけれど、
それを必要としている人が乗車してきたら譲るのがマナーだと思うのだが、
優先席で眠っている人を見ると、
はなから譲る気ゼロなその姿勢に少しイラッとする。
寝るんなら優先席に座るんじゃねーよ、と。

気にくわない乗客批判になってしまったが、
他人の口から何かを言わせる能力というのも
なかなか使いどころが難しい。

本作のように、
政治家に何かを言わせようとすれば
それは大きな影響力があるかもしれないけれど、
日常生活においては、
やはり自分の口から言えないような悶々とした
気持ちを他人に代弁してもらうことぐらいしか
思い浮かばない。

それも大体怒りの素やストレスを発散する形が
すぐに思い浮かぶ当たり、
やはり自分にもストレスが蔓延しているという証拠なのだろうか。

特殊な力を良いことに使って、
みんなが幸せになればいいと簡単に思うけれど、
幸せの形はみんな違うし、
きっとそんなことはできないだろうな。

人間の社会は複雑だ。
たまにそれがおもしろくもあるし、
面倒くさくもある。



萩原浩・著『メリーゴーランド』

2008-10-30 16:13:41 | 読書
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この本の中に出てくるまた別のお話、
「豆男」は誰しもが印象に残る話ではないだろうか。

「千年先までそうしてろ」

というセリフがすごく心に残る。

先日、車を運転していて、
100mほど先の信号のない見通しの悪い交差点で、
原付が結構な速さで右から左へと横切った。

他の車も来るかもしれないと思って、
交差点の前で減速して止まったら、
ちょうど2台の車が原付と同じ方向からやってきた。

自分は停止していたので、
その2台の車を先に行かせることにした。
車幅からしておそらく私の車線のほうが優先なのだが、
別に急いでもいなかったし。

そうしたら私の2台後ろの車がクラクションを鳴らした。
私にはそのクラクションが「早く行け、ボケが」
と聞こえてしまって、
一瞬頭に血が上りそうになってしまった。


頭に血が上りかけた私は、
「2台車を先に行かせるだけの、たった数秒のロスが
 くだらないお前の人生にどんだけの影響があるんだよ
 このオタンコナスが」
と、知りもしない相手に対して、
ひどい言葉を心の中で叫んでしまった。

普通に自動車に乗って、
道を譲っただけなのに、
なんでこんな不快な気持にならなければいけないのだ、
もう2度と車なんて運転しねえ、
ちくしょう、
とさえ思った。
車を運転しないのは嘘だけど。

クラクションを鳴らした相手も
たまたま手が当たっただけかもしれないし、
もしかしたら私に向けられたものではないのかもしれないのに、だ。

クラクションの音というのはどうしてこうも
人の気持ちをクシャクシャにさせるものなのか。

危険を知らせるためのものだから、
相当不快でドキッとさせるように作ったのだろう。

そういうシーンに出会ってしまった際の呪文が、
「親の死に目」「親の死に目」「親の死に目」と、
親の死に目にあえなくなりそうでめっちゃ急いでいると
想像するといいらしいが、
怒りが先行してしまってなかなかそういう風には思えないものだ。

「出産に立ち会えない」「出産に立ち会えない」「出産に立ち会えない」
妻夫木聡のような好青年が、
妻の出産に立ち会うためにめっちゃ急いでいて、
すごく申し訳ないと思いながらクラクションを鳴らしてしまった
と想像したらすこしなごみそうだ。

クラクションの音を電子制御にし、
周りの状況をカメラ等で取り込み、即座に画像解析して
そのシーンに適切な音色と音量に自動調整して
出力するようにしてもらいたい。

狭い路地で自転車や歩行者に鳴らしたとしても、
「テンテケテンテンテンテテテテテテ(エレクトリカルパレード)」
というメロディーしか流れないのだ。

しかし本当に危険な状況でクラクションを鳴らしたのに、
テンテケテンテンテンテテテテテテ♪
だったらどうだろう。

ちょっとおもしろいからいいか。

とにかく関係ないところでクラクションを鳴らしまくるような
自己中心的過ぎる輩には、

「千年先までそうしてろ」

と言い捨てて、そこでおしまいにしたい。
いつまでも嫌な気持ちを引きずらないために。



梶尾真治・著 『精霊探偵』

2008-10-07 15:54:49 | 読書
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※ネタばれ注意

事故で妻を亡くした主人公が、
事故後に他人の背後霊が見えるようになってしまい、
探偵のまねごとをしているうちに大きな事件に
巻き込まれていくファンタジー。

背後霊が語る悲しみとか強い思いが軸になるのかなと思ったのだが、
物語の中では背後霊は多くを語らず、
人類を侵略しようとするいにしえの妖怪(悪霊?)や
異空間が出てきたりで、
もう完全にファンタジーだった。

入り方を間違えてしまったので、
読んでいる途中でもなかなか方向転換できず、
気がついたら終わってしまっていた。

そんな感じだから、
最後のどんでん返しも私にとっては
あまり効力を発揮せず、
残念だった。

なんだか寂しい読書感想文・・・。



重松清・著 『疾走』

2008-09-24 15:52:45 | 読書
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随分前から本屋さんで目にしていた表紙。

すごいインパクトで、
ちょっと怖い感じの絵だけれど、
内容も同じようにインパクトがあり、
かなりハードだった。

朝から通勤電車で読むには向いていなかったかもしれない。

差別、いじめ、狂っていく兄、崩壊する家族、
サディスティックな暴力や性描写、
15歳の少年に降りかかるにしては
あまりにも残酷すぎる話だった。

痛々しすぎるため、
本を読んでいるだけで
暗い気分になってしまった。

まさに生き地獄のような現世を
駆け抜ける主人公。

あまりにも残酷すぎて、
自分を主人公に置き換えることが
なかなかできなかった。

もし自分だったらとっくに壊れていただろう。

疾走できなかった気がする。

作中の神父さんの言葉が印象的だった。

『あなたは、あなたにとって都合のいいことしか、
 いい面しか見せないお兄さんが好きなのですか?
 お兄さんは、いいところも、悪いところも全部含めて
 お兄さんなのですよ』


手元に本がないので正確ではないのだが、
そんなような言葉だった。

人を愛するって、
いいところも、いたらないところも全部ひっくるめて
その人自身を、全てを受け入れなければ、
それは本当に愛しているっていうことにはならないんだなと、
あらためて考えさせられた。

ついつい人に対してはいい面ばかり求めてしまい、
なおかつ嫌だなと思うところはいやに目についてしまって、
説教じみたことを言ってしまったり、
相手の嫌な部分を自分の中で増幅させがちだ。

でもそうじゃないんだ。

相手のすべてを受け入れる。

なかなかできないことだけれど、
心にちょっとした余裕を持つことと、

「ちょっとまて、人に言う前に、
 自分だってそういうところがあるんじゃないか?」


と自らを省みることがができるようになれば、
少しずつでも変われるだろうか。




重松清・著 『流星ワゴン』

2008-08-21 14:18:37 | 読書
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疲れることばかりだ、
もう死んでしまってもいいかな・・・。

そう思っていた主人公の前に現れたのは
不慮の事故で5年前に死んだ親子が運転するワゴン。

ワゴンが連れて行ってくれるのは過去の自分の大切な場所。

未来をすべて知っている自分が
過去の自分に戻る。

未来を変えてやる、
あのときと同じ過ちは繰り返さない、
そう思っていても過去の自分の行動をなぞるだけになってしまう主人公。

『分かれ道は、たくさんあるんです。でも、そのときには何も気づかない。
 みんな、そうですよね。気づかないまま、結果だけが、
 不意に目の前に突きつけられるんです』


確かにそうだと思う。
そうやって後悔したりして生きている。

『同じ星空でも、星座を知ってるひとと知らないひとでは、
 ぜんぜん見え方が違うんだろうなあ、って。
 星座を知らないとぜったいにつながりっこない、遠く離れた二つの星だって、
 いったん知ってしまうと、他につなげようがない気がしちゃうんですよね。
 ひとの人生も同じだと思うんですよ。』


結果を知っていても何もできなかった、
つらい過去をなぞるだけでもう嫌だと言った主人公に
投げられた言葉だ。

大切な場所、
何か後悔を残した場所、
たとえ悲惨な未来は何も変わらないと分かっていても、
それでも悔いのないように、
そこでできる限りのことをしなければならない。

きっとつらいだろうな。
つらいと思う。

その過去に自分と同い年の父親も現れる。
ほとんど絶縁状態だった、
現在では病床で昏睡状態の父親が、
自分と同じ年齢の姿で現われてしまうのだ。

子供の気持ちを分かってやれなかった父親、
父親の気持ちが分からなかった子供、
愛情を持って接していたはずなのに、
どこかですれ違ってしまっていて、
気がついた時にはどちらからともなく離れていく。

私は別に親父と仲が悪いとかそういうわけじゃないけれど、
面と向かって、サシでお酒を飲みながらお互いのことを
話し合ったことなんてない。

テレビを見ながらのどうでもいい話や、
軽口ばかりたたいている親父しか知らないから、
だから聞いてみたいんだ。
真剣に。

「僕が生まれたとき嬉しかった?」

「僕が成長していく姿はどういうふうに見えていたの?」

「僕が成人した時は何を思った?」

「僕の結婚式では何を考えていたの?」

結婚式の最後、招待客のお見送りの時は
私と妻とお互いの両親が出口に並んで見送ったわけだが、
私の祖父と兄弟のようだった人、
(祖父をアニキ、アニキと呼んでいた)
つまり親父にとっては叔父さんのような存在だった人が
涙を流しながら親父と握手をしていて、
その瞬間、親父は顔をクシャクシャにして泣いていたように見えて、
いままでそんな顔は見たことがなかったから私も混乱してしまって、
でもおそらく私が見た親父の涙はあれが生まれて初めてだ。

この先、自分にも子供が生まれたとき、
同い年の親父と出会えたらどんな話をするだろう。

友達になれるだろうか。

小説の中の父親は広島弁だから、
義理のお父さん(妻の父親)が激しく思い出される。

お父さんも本気を出したらこんな言葉遣いなのかなぁ
と微笑ましくなる。
普段から広島弁だけど、たぶん私と話しているときは
多少なりともセーブしている気がするからだ。

それにしても小説で涙したのはこれが初めてじゃないだろうか。
やはり父と子という関係、感情移入せずにはいられないのだろう。

子を思う親の気持ち。
心の底から愛しているのに、
なかなか伝わりにくいものなんだな。

それが伝わらないまま、分かり合えないままこの世から去るとしたら、
それはやっぱりすごく後悔するだろうな。
だから死に際、枕もとに立ったりするのだろうか。

正直に自分の気持ちを伝えられないっていうのは、
すごくよくわかるけれど・・・。

恥ずかしいというか、なんというか、
そんなん言わんでもわかるじゃろ?みたいな。
茶化して逃げ出したくなるんだ。

まぁ、そういう姿勢が対女性にしても問題になってくるわけで、
女性は態度や言葉で示してくれないと納得しないそうなので、
親子だけの問題ではなさそうだ。

38歳になった時、約9年後、この小説の主人公と同じ年齢になった時に
もういちどこの本をキチンと読み返してみようと思う。

というより、生まれて初めて、同じ本を最初からまた読み直している。
いろいろと思い出深い一冊になりそうだ。