武田泰淳の奥様である武田百合子氏の「富士日記」は、単なる日記文学(?)ではない。
昭和39年7月4日から昭和51年9月21日までなんと13年間にわたる日記をおさめた、中公文庫全3巻はそれぞれが500ページ近い大作である。
武田百合子文学にぞっこん惚れてから、朝に夕に晩に、すこしづつすこしづつ読み進めてきた。日記だからどこで切り上げても良いのが便利だった。
最初の方の気負いがだんだん抜けて、リラックスしてくると武田氏の視点は読者に近付いて、まるで自分の生活が切り出されているように思えてくる。
先日NHKラジオで日記を書くことについてあるリスナーが、「自分が死んだ後に読まれることを思って10年間分を読まれても良い文章に書き直した。そしたらそれ以降書く気が失われてしまった」と語っていた。いったい日記とは誰のためにかかれているものなのか分からなくなってしまったとのことだ。
武田百合子氏の富士日記は読み終えて分かったが、壮大な恋愛私小説だった。夫である泰淳氏と娘である花さんを登場させて、食べたものと買ったものを書き連ね、日常の出来事を記す。その日記は時々日がとんでいる。ある年は2日間しか書かれていない。実はその年、泰淳氏が大病を患ったのだと、後から分かる。
そして最後の一日はおそらくその後日体調を崩して泰淳氏が亡くなったと思わせるところで終わっているのだ。そういえば、家族で食べるものが13年間で大変に変化していることもあとから分かる。
これは、なんとすごい文学なのだろう。
ブログの元祖である。
昭和39年7月4日から昭和51年9月21日までなんと13年間にわたる日記をおさめた、中公文庫全3巻はそれぞれが500ページ近い大作である。
武田百合子文学にぞっこん惚れてから、朝に夕に晩に、すこしづつすこしづつ読み進めてきた。日記だからどこで切り上げても良いのが便利だった。
最初の方の気負いがだんだん抜けて、リラックスしてくると武田氏の視点は読者に近付いて、まるで自分の生活が切り出されているように思えてくる。
先日NHKラジオで日記を書くことについてあるリスナーが、「自分が死んだ後に読まれることを思って10年間分を読まれても良い文章に書き直した。そしたらそれ以降書く気が失われてしまった」と語っていた。いったい日記とは誰のためにかかれているものなのか分からなくなってしまったとのことだ。
武田百合子氏の富士日記は読み終えて分かったが、壮大な恋愛私小説だった。夫である泰淳氏と娘である花さんを登場させて、食べたものと買ったものを書き連ね、日常の出来事を記す。その日記は時々日がとんでいる。ある年は2日間しか書かれていない。実はその年、泰淳氏が大病を患ったのだと、後から分かる。
そして最後の一日はおそらくその後日体調を崩して泰淳氏が亡くなったと思わせるところで終わっているのだ。そういえば、家族で食べるものが13年間で大変に変化していることもあとから分かる。
これは、なんとすごい文学なのだろう。
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