択一性と排他性が必然的に伴っている
他を批判するとか排斥するとかいう場合は
全く私利私欲を離れて
流儀の本質から来る純粋なものであるならば
批判・否定ということが
かえって茶道自体の鍛錬でもあり試練でもあり純化でもある
その場合は
茶道が自分自身を表現する仕方の訓練でもあり
選択でもあって むしろ望ましいことである
既成の流儀に入るということは
単にその流儀に盲目的に隋順するとか
己を空しゅうして投げ入れることに
終わってしまってはいけないのであって
その中に入りながら
しかもそれにとらわれないで
常にそれを習いながら自己批判して
本当の意味で
新しい流儀を創造していかなければならない
以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P 153~P163からの抜粋です
最新の画像もっと見る
最近の「座右の書」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事