表千家一期一会

会津の旅『麟閣』

先週の土曜日9月23日に
京都で前泊し
翌朝新幹線に乗って東北に向かい
24日から26日まで二泊三日
福島県会津若松に滞在していました

以前より
いつか必ず訪れてみたいと思っていた
千少庵の匿われた地
『会津』

その場所は
利休亡き後の三千家にとって
まさに「よみがえり」の地であり
そして千家茶道にとっての
黎明期を象徴する場所であります

千家流の
末席に連なる者の一人として
一度は訪ねたいと思っていた
その場所に今秋
ついに足を踏み入れることができました

写真を見ながら
今回の旅を振り返ってみたいと
思います

よろしければ
しばしお付き合い下さいませ

「やまびこ号」に
初めて乗りました!

豊かに実った田園地帯と
会津磐梯山

鶴ヶ城

この城内に
麟閣があります

「麟閣」は
すっかり観光名所となっていて
なんだか驚きました


「天正19年茶道の祖・千利休は
豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられました
その時の会津藩主・蒲生氏郷が
利休の茶道が途絶えるのを惜しんで
その子少庵を会津にかくまい
徳川家康とともに
千家復興を秀吉に願い出ました
その結果
 少庵は京都に帰って千家を再興し
宗左・宗室・宗守の三人の孫によって
表・裏・武者小路の三千家が興され
今日の茶道の基礎が築かれました
麟閣は少庵が会津に匿われている間
蒲生氏郷の為に造ったと伝えられています

戊辰戦争の後 城下へ移築されていましたが
平成2年に建造当初の地に移築・復元されました」
(看板の文章より)

表門
扁額は裏千家15代家元
鵬雲斎千宗室

脇門
扁額は武者小路千家14代家元
不徹斎千宗守

寄付

腰掛待合

蒲鶴亭(ほかくてい)


パンフレットの図より


六畳の鎖の間(蒲鶴亭)


麟閣のにじり口

麟閣の相伴席側から
点前座を見たところ

麟閣のにじり口から
点前座を見たところ
奥に水屋も少し見えます
赤松の床柱は
千少庵が削ったと
伝えられているそうです

麟閣の扁額は
表千家14代家元
而妙斎千宗左

呈茶席にて
麟閣を鑑賞しながら一服・・・



秘境・芦ノ牧温泉

今回の旅の目的は
千少庵の茶室「麟閣」を
訪ねることでした

実際に足を運んでみて
交通機関の無かった時代
京都からは
本当に遠い所だったのだろうなあと
実感しました

今回は鶴ヶ城の他にも
博物館や武家屋敷などにも出かけ
会津という地域の歴史を
古事記の時代から
戊辰戦争にいたるまで
広く学ぶことができました

これまであまり知らなかった
会津という土地に
なんだか親しみが湧いてきました

また個人的には
たまさか本日67歳の誕生日の朝を
千家再興の地で迎えたことで
これからの茶道人生において
勇気を与えていただいたような
気がいたしました

コメント一覧

omotesenkeichigoichie
雲や先生
いつも、ありがとうございます。
来週は、拙い席ですが、お目もじ楽しみにお待ちしております。
雲や
楽しい旅ですね。いいですね。
お誕生日おめでとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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