利休はそれを「心の一つがね」と呼んだ
茶道において
「理」とは点前の色々なきまりであり
「事」は実際の動作である
茶席においては
「理」は茶席の寸法であり
「事」は建てられる茶席である
これが一歩根源に向かって進むと
「心のひとつがね」が「理」で
他の一切の個別的な「かね」が「事」となる
また
茶道の「心のひとつがね」は
究極においては
根源的な人間の「心のひとつがね」に帰する
利休は
茶道の一つの撃フ「心のひとつがね」をわきまえたのみでなく
これを人間性の根源にまで深め
そこからそれの表現として
茶道を基礎付けた
茶道のこつを悟るということは
同時に人間のこつをも悟ることでなければならない
以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P 211~P221からの抜粋です
最新の画像もっと見る
最近の「座右の書」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事