言語や思惟を絶した
深奥にして微妙な理 すなわち奥義のこと
茶道の玄獅ニは
人間の根源的自覚 つまり悟りと同じこと
仏法と現実の世界 日常の生活は別々のものではない
日常生活そのものが仏法である
茶道の玄獅フはたらきは
「清浄無垢ノ仏ノ世界ヲ表」すものでなければならない
茶道の玄獅ヘ
根源的な玄獅ニ一体不二であるものとして
つねに新しい茶の湯の諸法を創造し
かつ創造したものに拘らないこと
利休に還れとは
利休のつくった過去へかえるということではなく
茶の生きた本質へ還れ
茶道の玄獅ノ還れということである
以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P84~P121からの抜粋です
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