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「会津バス」を再生させる人

2013年01月19日 09時28分54秒 | 話題・Newsなど
企業再生には「ジタバタ感」が大切
ネガティブ思考のすすめ

中里 基 :会津乗合自動車(会津バス)取締役
2013年01月15日

福島の職場から30分くらいバスで走ったところに、猪苗代湖という日本で4番目に大きい湖があります。ちょうど今の季節は、シベリアからたくさんの白鳥が飛来して、湖面はとても幻想的な雰囲気。湖畔付近は大変フォトジェニックです。

猪苗代湖近影。(手前の白鳥と文中の白鳥は関係ありません)

私もにわかマニアで、気まぐれに白鳥を見に行ったりもするのですが、
先日、湖面のすぐそばで白鳥をまじまじと眺めてみると、
高い透明度の元で水面下もうっすらと見えました。

白鳥は、水面での優雅な泳ぎとは裏腹に、
水の下では必死にバタバタしていました。
私の仕事は優雅には程遠いですが、
見えないところで(見えないつもりで)いつもジタバタしている様子は一緒だなあと、
何となく感じ入りました。

改めて考えてみると、企業再生には「ジタバタ感」というのが意外に大切な気がします。

「ジタバタ感」というと何となくネガティブで不安定な響きがありますが、
あたふたするのとは違います。
うまく表現できませんが、
最後の最後まで「この解が最良なのか」と悩み続け、葛藤し続けるような感じです。
もちろんそれとは逆に、
物事に取り組むにあたり「なんとかなるだろう」でどっしり構え、
割り切ることも大事だと思います。

しかしながら私にとって、これまでどうにか企業再生の戦略作りや実行など、
クリティカルな局面での仕事を続けてこられたのは、
「『何とかなる』では不安で仕方ない」「『何とかなる』で済むはずがない」という、
ある種悲観的な「ジタバタ感」にある気がします。

コンサルティング業界に入り今に近い仕事をやり始めた頃、
自分が評価されていたのは、レポートでの誤字脱字が少ないとか、
エクセル分析でのケアレスミスが少ないとかその手のことでした。
能力について褒められた記憶は正直あまりありません。

当時の私は、自分の仕事の完成度がつねに不安で、
最後までジタバタして何度も見直していたわけで、
すなわち「できるかできないか(能力)」ではなく
「やるかやらないか(意志と気合い)」で
どうにか評価が保てていたようにも思います。

その後見習いのアソシエイトポジションから
コンサルタントポジションになり、
さらにどうにかプロマネポジションにもなり、
そのころまでには仕事の範囲もだいぶ変わりました。

でも考えることは一緒で、
プロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを采配していても、
同じようにプロジェクト報告日の前日や当日にこの論点は正しいのか、
分析に漏れはないかということは、
いつもうじうじと悩みジタバタしていました。

ある意味あまり誇れない過去をここまでつづってきましたが、
要するにつまるところ、
私はあまり仕事を前向きな気持ちでやったことがないのかもしれません。
もっというと、コンサル時代は「やらなければ自分が組織の中で生き残れない」、
今の仕事では「やらなければ会社が潰れる」という危機感にも似た思いに
駆り立てられていたような気がします。

大震災の修羅場で抱いた思い

一昨年の痛恨の大震災のときもそうでした。
福島にある当社グループの旅行代理店の旅行はすべてキャンセル。
ノーチャージ(手数料なし)で払い戻しをしました。
当社の高速バスが走行する高速道路は、
しばらくの間緊急車両しか通れず、収支のめどがつかず。
市内を走る当社のタクシーは震災の影響で電話は一時的に不通。
「流し」が少ない地域特性の中で致命的な影響を一時的ながら受けました。

そして何より燃料不足が深刻で、残りの自社タンクの燃料から逆算した中で、
バスがあと何日走るかのカウントダウンが始まりました。
さらには外部環境的には、
再生の起爆剤として期待していた福島に関係する各種キャンペーンは
すべて中止となりました。

仕事に限らず身の回りの生活も同様で、
当時私が宿泊していた会津若松市内のビジネスホテルでも、
エレベーターは暫くの間停止し、燃料が必要なクリーニングはストップ。
当然のようにお湯も出なくなる。
朝食は日に日に内容が乏しくなり、数日後に休止が決定。

震災から明けた週初めに本社会議室のホワイトボードに地図を張り出し、
原発からコンパスで円周を引いて自分のいる場所、
当社の営業範囲が何キロ圏内かを確認したシーンは、
今でも鮮明に記憶に残っています。

思い返せばそのときの私の思いは、
「会社を救うために、あるいは福島に貢献するために何としてもやってやる」
という勇ましい前向きな思いではありませんでした。

私にあったのは
「今この状況にある自分にはもはや逃げ出す選択肢も、やらない選択肢もない。
消去法的には腹をくくってやるしかない」
という何ともいえない悲壮感です。
自分の周囲のメンバーや社長を見て平常心である様子に感銘を受け、
そして一方の自分は平静を装いながらも
腹の中は逃げ出したい情けない気持ちも少なからずあり、
そのような葛藤の中で必死にジタバタしながら仕事をしていたように思います。

失敗が怖いからジタバタするのではない

私は一事が万事この調子なのですが、そんな自分でも1つだけ指摘しておきたいのは、
企業再生で必要と感じる「ジタバタ感」は、
失敗を恐れるとか、
チャレンジはしないというのとは違うようにも思います。
むしろ逆といってもよいかもしれません。

まず、失敗が怖いからジタバタするのかというとそうではなく、
どちらかというとリスクをテイクしたうえで実行することが前提にあり、
だからこそ失敗を最小化する方法をできる限り考えているような気がします。
だからこそ相当慎重に、つまりジタバタする必要も出てきます。

また、チャレンジしないというのとも少し違います。
なぜならチャレンジしないで安全運転する場合には、
当然ジタバタする必要自体がないわけです。
だからチャレンジとジタバタ感はつねに同時に存在するような気もします。

企業再生においては、
現状の組織のポテンシャルを超えたある程度のストレッチ(チャレンジ)が
時として求められるため、
いくつかの局面で
「言っていることはわかるが、実現するのは難しい(だから無理だ)」
という趣旨のことを言われることがあります。

もちろん自分の提案力の未熟さゆえに
共感してもらえないこともあるでしょうが、
でもそんなとき私は逆にこうも言いたくなります。
「簡単なことだけやって成功した人や会社が、今までに1つでもあるのか」と。

実現可能なことは皆やれるから(競合がひしめき)
成功にはつながりにくく、
成功につながりそうなことは皆できないと思っていてこれも成功につながりにくい。
言うまでもなくどちらも当たり前です。

でも難しくてほかがやらないことは競争が少ないはずで、
だとすると難しい事こそ、
実は逆に成功確率が高いとは言えないでしょうか。
だからこそ、「ジタバタと」考え抜いて少しでも成功に近づこうとすることが
意味を持つのだと思います。


企業再生はエキセントリックな人にはできない

要するに絶対安全なバスは走らないバスでしかありません。
バスを走らせることを前提に、
どうすればその危険を最小化できるか、
その安全を最大化できるかを考える。
それこそがジタバタすることの本質ではないでしょうか。

またジタバタすることの裏側にある態度は、
何事にも真剣で真面目であるということだと思います。

成果を上げようと意識すると、
人によっては派手なものや当たり前でない施策に大きく張ることから手をつけたくなりますが、
企業再生においてこれはタブーです。
まずは止血する。
多くの場合施策の順番はより確実性が高い順で、
そういう内容は見た目つまらなく地味で当たり前のことが多いです。
当たり前のことをやるということは、
裏を返せば当たり前でないことはやらないということです。

そして何より企業再生はエキセントリックな人にはできません
コンプライアンス意識が相当あり(「普通に」ではなく「相当に」)、
当たり前の施策を飽きもせず順番に粘り強く打ち、
そのプロセスの中で、施策が合っているか否かに逡巡しながらも、
真剣に真面目にジタバタし続けることが大事だと思います。

私は、自分の能力についてとても悲観的にとらえていますが、
何事にも真面目で真剣であること、
そしていつも最後までジタバタするという性格だけは、
自信があるというかはっきりとわかっています。

だとすると、自分は意外と今の仕事に向いているのではなかろうかと、
今回の原稿を通じて少し楽観的になれそうで、
でもそんな調子に乗っていてはいけないと
自分を戒めているところはやはり悲観的だなあとも思います。

中里 基 氏: 経歴
戦略コンサルタントを経て、現在、会津のバス会社の再建を手掛ける著者が、企業再生のリアルな日常を描く。「バス会社の収益構造」といった堅い話から、 「どのようにドライバーのやる気をかき立てるのか?」といった泥臭い話まで、論理と感情を織り交ぜたストーリーを描いていく。

※ 本文は筆者の個人的見解であり、所属する組織・団体を代表するものではありません。

http://toyokeizai.net/articles/-/12478より