無会派 大竹功一の独り言

福島第一原発から約80キロの白河市在住。市議会議員7期目。
老病傷保護犬猫たちと暮らしています。

なぜ、障がい者を襲わなければならないのか?

2016年07月27日 23時08分10秒 | 災害・事件・事故
昨日は、132人の方々にアクセスをいただきました。有難うございました。

昨日、体調不良のためコメントをお休みしたにも関わらず、多くの方に訪問していただき、ビックリしています、
今朝6時過ぎまで寝ていたせいか、本日は少し体調が回復したようです。

熊本地震関連ですが、相変わらず報道が少ない。
そんな中、夜の報道番組で、熊本県内の小学校が数日遅れで1学期の終業式を行ったとの報道がありました。
地震の関係で夏休みも例年より短いとのこと。
地震により休校が多かったので仕方がないことですが、子どもたちには可哀想な夏休みになってしまうようです。
しかし、今はすべての人が絶えている時。子どもたちにも我慢してもらい一刻も早い復旧を仕手ほしいと願うばかりです。
「頑張れ熊本、頑張れ九州、頑張ろう福島」

さて昨日、大変不幸な事件が起きました。
重度の重複障がい者が入居している施設を元職員が襲うと言う恐ろしい事件です。
何も抵抗のできない障がい者、19人もの命が無残にも失われ、20数人の方が負傷し今も苦しんでいるとの報道がありました。
犯人の言い分は「意思疎通ができない人間は動物と同じであり、生きていても何の価値もないので安楽死させるべきである」と。
私は「どんな人間にも、存在価値はある。無用な人など一人もいない。なぜなら、その人の生きざまが周りの人々や政治に影響を与え、問題点を浮き彫りにさせることこそ、その人の存在価値である。」と思っています。
障がい者の多くは、望んで障がいを持って生まれたのではない。望んで障がい者に成ろうとしたわけではないのです。
何らかの原因で障がいをもって生まれてしまった。また病気や怪我ののために障がいを持ってしまった。誰も望んでいないと思います。
そんな人たちを、周りの人が「不要」だという権限はありません。ましてや「死んでください」という権限などどこにもないと私は思います。だから我々人間には「人権」があるのです。
私の母は、今の私と同じ52歳の時、脳こうそくを発症し、重度の身体障がい者となってしまいました。
そんな母を約25年介護してきましたが、「死んでほしい」と思ったことは一度もありません。
逆に「一日でも長く生きていてほしい」と願って介護していました。それが「人間」であると思っています。

介護が楽だったわけではありません。しかし、母にどれだけ迷惑を掛けながら育ててもらったかを考えると介護の苦労などその非ではないと私は思いました。
犯人に申し上げたい「自分の両親や兄弟が障がい者でも同じような考えを持てたのか?もし、持てると言うならばそれこそ『人間』ではない。俗にいう『鬼畜』のようなものであると言わざるを得ない。」と
大変悲しい考えであり、事件だと思います。

最後に、亡くなられた方及び親族の皆様にお悔やみを申し上げるとともに、負傷された皆様にお見舞いを申し上げたいと思います。


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