松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地方自治論3 幕末から明治、日本にやってきた外国人は何に驚いたか

2014-04-29 | 1.研究活動
 地方自治論の3回目は、「幕末から明治、日本にやってきた外国人は何に驚いたか」を話した。受講者が思いのほか少なかったので、シラバスから大きく離れ、地方自治の基礎から話している。

 幕末から明治にかけて、たくさんの外国人が日本にやってくる。その記録がたくさん残されているが、外国人の目から見て、驚いたことは何か

 まず、日本人に識字率の高さ。車夫のような身なりの人も新聞を読んでいる。当時、武士だけでなく、商人も農民も字が読めた。
 犯罪が少ないのも驚いたようだ。家にカギをかけるという風習もなかった。そこで、地方からサガジョに来ている学生に聞いてみる。「お宅では鍵はかけますか?」「私は秋田ですが、確かに夜寝るときしか、家のカギを掛けません」。なるほど。そういえば、わがゼミ生で今年、隣町の役場に入ったRisaも言っていた。Risaの家は、厚木の大きな農家であるが、「家にカギをかける習慣がなく、カギは外出の時、外からかけるもの」といって、驚いたことがあった。

 つまり、高い市民力と地域の安定性は、外国人にはショックのようだった。

 よいことばかりではなく、西欧人から見て、軽蔑の対象となることもあった。
 公衆便所のはじめは、わが横浜である。日本に来た外国人にとって、辻々で見られた立小便は驚きの対象だったようだ。
 そこで、西欧に追いつけ追い越せの日本は、あわてて禁止令を出し、公衆便所をつくる。だから横浜が最初の公衆便所である(ちなみに、昭和の初期まで、糞尿は、取引の対象だった。化学肥料ができて、廃棄物に変わる。以前、関東学院で、リサイクルの授業を持っていた時、いつもここから話をした。深みにはまりそうなので、今日は、ここまでで止めた)。

 混浴も驚きの対象だった。日本人は、「男女7歳にして席を同じくせず」と思われているが、これは武士の世界だけのことで、市井の人たちは、男も女も一緒に銭湯に入った。混浴が当たり前だったのである。
 外国人からは、何か間違いが起こらないのかと聞かれるが、「たまにはそういうこともある」と日本人は鷹揚に答える。話しながら、以前、岩手の夏油温泉での混浴の洞窟風呂での体験を思い出した。でもやめておこう。夜這いや村祭りの夜の、性の鷹揚さにも触れようかと思ったが、どんどん話がずれそうなので、これも止めておいた。

 さて、言いたいのは、こうした高い市民力と地域の安定性をつくっているのは、地域の力、地方自治という話である。

 もう一つの本題が、そうした自治が急激に質を変えていくところである。廃藩置県、三新法(郡区町村編制法,府県会規則,地方税規則)等の難しい話が続くが、メインは、山県有朋である。 
 山県有朋は、中間の出身である。ただ、中間といってもいろいろあるようで、特に専門ではない私は、大名行列の奴さんの振る舞いを教壇で示し、イメージをつかんでもらった。山県自身も、権力者である武士から理不尽な目にあうことも多かったろうが、出世とともに、中央集権的で権力の権化、権謀術策の政治家となっていく。政敵を罠にはめ、追い落としていく。この冷徹さは、ある意味すごい。
 
 その山県が、日本の地方自治の父とは、ずいぶんミスマッチ感が強いが、しかし、やはり山県である。彼が地方自治に入れ込むのには訳がある。山県は、政府が、国会開設を迫られるなか、自由民権運動の防波堤として、地方制度の再編・強化を行うのである。天皇を中心とした国家体制を守るために、地方を使うのである。
 ここが今回、一番言いたいところである。地方自治の国家との関係は、微妙な立ち位置になる。

 「地方自治のよさを伸ばし、そのためには何に注意すべきなのか」次回以降、そんなことを考えたいという話になった。

 

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