月刊ガバナンス5月号に「市民協働という自治体プロジェクト」という記事を書いたが、どうも発売になったようだ。http://www.gyosei.co.jp/home/magazine/gover/gover_10050.html
今回は、市民協働を自治体(お役所という意味ではない。その名のとおり、市民、議会も含む自治体)プロジェクトいう観点から、見直してみようというものである。
この議論の意義は、協働の定義を明確にしておかないと、なんのこっちゃということになる。
ここに協働とは、市民(広い意味。自治会、NPO、企業も含む)が、公共の担い手となるということである。よく言われる「行政と一緒に活動する」のは、その一形態である。やや言い過ぎになるが、市民が公共責任を担うというのが協働である。
このように位置づけると、自治体全体のプロジェクトという意味が明確になる。行政と並んで市民が公共を担う必要性や、それに向けて行政がとるべき政策も明らかになってくる。また、これまでの行政が行ってきた施策も大きく変わってくるだろう。
その全体像は、まだまだ示すことはできないけれど、もっとも変わるのは、情報提供のあり方である。現在の情報提供は、市民が公共責任を担うのにふさわしいように行われているか。現状では、市民に、行政の施策を正しく理解してもらうための情報提供にとどまっているのではないか(無論これも重要である)。最近では協働広報という議論がそのヒントになるが、協働広報の議論も、行政の広報を市民に任せるという「参加、アウトソーシング」のレベルにとどまっていて、市民が公共的な立場から、行政とは自立して行う広報という点では、さらなる研究が必要だと思う。
以上を踏まえて、政策論で論ずべきは、市民が公共責任を担うにふさわしい情報提供を実現する施策・仕組みである。方向性だけでなく、具体的な答えを提案してこそ、政策論といえるが、残念ながら、力不足で、まだまだ曖昧である。市民と議論する中で、少しずつでも明らかにしていきたいと思う。
ゴールデンウイークに入り、講義も講演会もない。メールもほとんど来ない。後半は角館に行くので、今こそ、大いに原稿を書こう(とはいっても、今日、終えたのは、地方自治法の講義レジュメのみ。30ページで量は多いが、前に進んだことにならない。ともかく原稿をがんばろう)。
今回は、市民協働を自治体(お役所という意味ではない。その名のとおり、市民、議会も含む自治体)プロジェクトいう観点から、見直してみようというものである。
この議論の意義は、協働の定義を明確にしておかないと、なんのこっちゃということになる。
ここに協働とは、市民(広い意味。自治会、NPO、企業も含む)が、公共の担い手となるということである。よく言われる「行政と一緒に活動する」のは、その一形態である。やや言い過ぎになるが、市民が公共責任を担うというのが協働である。
このように位置づけると、自治体全体のプロジェクトという意味が明確になる。行政と並んで市民が公共を担う必要性や、それに向けて行政がとるべき政策も明らかになってくる。また、これまでの行政が行ってきた施策も大きく変わってくるだろう。
その全体像は、まだまだ示すことはできないけれど、もっとも変わるのは、情報提供のあり方である。現在の情報提供は、市民が公共責任を担うのにふさわしいように行われているか。現状では、市民に、行政の施策を正しく理解してもらうための情報提供にとどまっているのではないか(無論これも重要である)。最近では協働広報という議論がそのヒントになるが、協働広報の議論も、行政の広報を市民に任せるという「参加、アウトソーシング」のレベルにとどまっていて、市民が公共的な立場から、行政とは自立して行う広報という点では、さらなる研究が必要だと思う。
以上を踏まえて、政策論で論ずべきは、市民が公共責任を担うにふさわしい情報提供を実現する施策・仕組みである。方向性だけでなく、具体的な答えを提案してこそ、政策論といえるが、残念ながら、力不足で、まだまだ曖昧である。市民と議論する中で、少しずつでも明らかにしていきたいと思う。
ゴールデンウイークに入り、講義も講演会もない。メールもほとんど来ない。後半は角館に行くので、今こそ、大いに原稿を書こう(とはいっても、今日、終えたのは、地方自治法の講義レジュメのみ。30ページで量は多いが、前に進んだことにならない。ともかく原稿をがんばろう)。