議会基本条例は、ほぼ3分の1の自治体で制定された。なぜ、急速に制定されることになったのか。
議会基本条例は、2006年の栗山町が最初である。その後、急速に制定自治体が増え、2014年9月8日現在で、571自治体、道府県を含む全自治体の31.9%で制定されているという(自治体議会改革フォーラム)。これに対して、自治基本条例は、2000年4月のニセコ町まちづくり基本条例が最初で、現在では約300の自治体が制定していると思われる(何をもって自治基本条例とするのかが明確でないため、議会基本条例のようなカウントが難しい)。
ここで言えるのは、自治基本条例のほうは、ゆっくりと増えているのに対して、議会基本条例のほうは、加速度的に増加しているという点である。この違いは、どこから来るのか。
過日に行われた自治基本条例実践セミナーでは、自治基本条例について博士論文を書いた田中富雄さんは、「議会基本条例については、議会の自らの存在にかかる危機意識(=議会の自らに対する批判の存在の認知)が条例制定の急速に広がる背景」となったと指摘している。
実践セミナーの時は、もう少し突っ込んだ話になり、要するに、行政はいろいろと批判されるが、やはり住民にとって、なくては困る存在であるのに対して、議会・議員のほうは、市民にとっては、その存在意義や役割がよくわからず、それゆえ、行政不要論は起こらないが、議会・議員不要論が起こってくるというものであった。なかなか、面白い指摘だと思う。
条例が制定されるのには、ニーズとトリガーが必要になるが、議会基本条例の場合、その両方共が、強く存在するということである(他方、自治基本条例は、なぜ、必要なのかという部分を明確に認識できない自治体があり、それが自治基本条例の制定数が伸び悩んでいる背景にある)。
ただ、仮に存在証明として、議会基本条例をつくっても、薬が効く時間はいっときであるので、すぐに、今ある議会基本条例を本格的に活かすことが必要にときが来る。その際には、難しく考える必要はないと思う。議会・議員は、なくては困るのだから、素直に、なぜ、私たちは議員を選ぶのか、その必要性の原点に戻って行動すれば、いいだけだと思う。
ちなみに、議会・議員の役割として、行政のチェック役という意見もあるが、私たちは、チェックのために、議員を選んでいるのだろうか。チェック役だけで20人も30人も選らんでいるとしたら、お金の無駄である。実際、チェックでやってきた結果、何をやっているかわからないと呆れられ、批判ばかりで対案がないと逆に批判されるようになった(特に学生たちは、口だけ男(女も)は相手にしない)。
そもそも行政が違法、不当なことを常に行うという前提は非現実的である。今日では、コンプライアンスが徹底しすぎて、やりすぎより、やらなさすぎのほうが心配だからである(私が横浜市に入ったころ、先輩から、法を破るのが自治体と教わった。だから、日本でも公害立法ができた)。
話が広がってきたので、ここで止めるが、やはり、議会・議員にとって必要なのは政策提案である。そこから、チェックも生まれてくる。