2014年の増田レポートでは、東京の豊島区が消滅可能性都市とされた。
1,豊島区が消滅可能性都市とされた理由
豊島区と言えば池袋である。新宿、渋谷に続く、にぎやかな街である。そこがなぜ消滅。常識的に考えても、東京一極集中のおおもとである23区の豊島区が、消滅可能性都市というのはおかしい。そこに、消滅可能性都市論の限界があるのだろう。
池袋と言えば、怖い町というのが、私たちのかつてのイメージであった。池袋にある立教大学は、私たちのころは、勉強は苦手だけど、体育は得意な硬派な大学のイメージだった。長嶋さんが立教であるが、いかにも立教の出身と思ったものだ。
バブルの前までは、都心から郊外に人が流れた。サラリーマンは、郊外の一戸建てに住むのがトレンドとされた。加えて、池袋は怖い町的なイメージで豊島区は人口を減らした。
バブル後、都心回帰が始まるが、そのなかで、池袋は、その硬派のイメージが後を引いて、若者、とりわけ女性が戻ってこず、都心回帰の流れに乗りの遅れた。
創成会議試算は、2010~15年にかけての社会純増減数がその後も続くと仮定したもので計算しているが、この頃になると、豊島区も人口増加しているが、その前とあまりにトレンドが乖離しているために、2005年~2010年の数も入れて補正したらしい。その計算結果、23区唯一の消滅可能性都市となったようだ。
2.消滅可能性都市を脱する
10年後に発表された新増田レポートでは、豊島区は、消滅可能性都市を脱した。すでに人口急増のトレンドと、豊島区自身が、消滅可能性都市の「悪名」を脱すべく、女性にやさしいまちを標榜して、その豊富な財源を背景に、重点的な政策を展開するから、あっというまに、消滅可能性都市の「汚名」を免れることになる。
3.東京一極集中を展開して消滅可能性都市を脱する
女性にやさしい町は、人のやさしい町なので、その政策意図は理解できるし、消滅可能性都市という「悪名」を脱すべく、政策努力を進めるということは理解できる。
それだけ、この消滅可能性都市論は、インパクトがあるということだろう。消滅可能性を乗り越えるべく努力することは、大事なことであるし、その結果、自治体全体の政策水準をあげるというプラスの効果もある。
ただ、豊島区のケースは、自然増による人口増加ではなく、社会増、つまり、さまざまなサービスを上乗せした結果として地方などからの人口獲得しての結果による人口増である。
4.消滅可能性都市論は、むしろ東京一極集中を加速させる
これは皮肉な話であるが、増田レポートの主眼のひとつが東京一極集中である。豊島区のケースは、東京一極集中を加速する形で、消滅可能性都市論が機能したということである。
言い換えると、人口の奪い合いは、財政力が豊かで、生活の社会基盤が充実している町に人を引き寄せるということである。財政力や社会基盤では、東京が群を抜いている。消滅可能性論は、むしろ東京一極集中を加速させるという側面を豊島区の事例は証明していると思う。
5.そもそも夜間人口で消滅可能性を論じることが一面的なのだろう
豊島区が、女性のやさしい町という政策を実施しなかったとしても、人口の都心回帰で豊島区の夜間人口(住民票人口)は増えていくだろう。かりに、夜間人口が増えなくても、豊島区は消滅するのか。多くの若者が池袋に集まり、これからも集まっていったら豊島区は消滅などしないだろう。
夜間人口が増えればまちの活性化が進むという設定自体がズレているというのが、豊島区の消滅可能性都市の教えではないか。
6.区域で限るのは自治体側の論理・区域で人の奪い合いをするのは愚の骨頂
区域は地方自治体の3大要件のひとつであるが、人は、自治体の範囲とは別に暮している。私も、三浦半島に住んでいるが、仕事は相模原だった。地方創生のときにやった人口ビジョンでは、人がどう動くかの調査をした。その結果、多くのまちは、たくさんの市民が市外に働きや学校にでかけ、他方、たくさんの人が、こちらの町に働きにくるということが分かった。
それが住民側から見た地方自治なのだろう。それを区域で区切って、人口の奪い合いをするのはあくまでも自治体側の論理である。この人口ビジョンから学ぶのは、自治体の区域だけで、地方自治をするのは、もう時代遅れということである。
そもそも、自治体の区域を基準に人の奪い合いを進める結果になった増田レポートは、むしろ地方自治体を弱らせることになったのではないか。注力すべきは、人口の獲得という手段ではなく、まちの活性化はどのように行うのか本来の目的を見据えて、真正面からぶつかっていくための政策を提案することではなかったのか。