松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆合意すること、合意したことを守ること(三浦半島)

2013-05-15 | 1.研究活動
 市民性の条件は、合意すること、合意したことを守ることである。

 憲法改正論が賑やかである。当面の争点は、憲法改正の発議要件である「総議員の3分の2以上」を過半数に改めたらどうかというものである。3分の2という数は、世界に比しても、きわめて高く、その結果、本来必要な憲法改正をも妨げているという理由である。
 
 本当だろうか。3分の2というと、ずいぶんと高そうにみえるが、考えてみると66.6%である。100人中67人である。常識的にみても、憲法という基本ルールを変えるのであるから、そのくらいの人が、「現状はおかしい、やはり変えよう」と思わないと、やってはいけないのではないか。過半数の51対49くらいに拮抗していると、ちょっとしたことで数字は逆転する。重要なことは、あわてて即決せず、少し様子を見て、ちょっと落ち着いたところで決めるのが一般的ではないか。

 必要な憲法改正ができない本当の理由は、発議要件の数の問題ではないと思う。例えば、プライバシー権であるが、この時代、多くの人が、プライバシー権をきちんと憲法に規定したほうがよいと考えるだろう。環境権ならば、ほぼ全員が、憲法に規定しようということになる。67%の賛成は、難なくクリアする。

 でも、憲法改正に至らないのは、どのように変えるか、具体的対案の合意が難しいからである。プライバシー権を憲法に規定することは良いが、では、どこまで保障するかで意見が分かれてくる。環境権も、大事なことはだれしも認めるが、経済との調和をめぐっては、どこまで保障するかで意見が分かれてくる。つまり、具体的対案をつくる段階で四分五裂してしまうから、憲法改正とならないのである。
 したがって、ポイントは、どうやって、妥協を重ねて、具体案をつくっていくのかであって、それをすっ飛ばして、過半数で解決しようとういうのは、問題が違っている。

 これは民主主義の根っこのところである。私たちの民主主義は、互いの尊重、他者への寛容、討議による合意形成、そして合意されたことを尊重・遵守することが前提であるが、そこがうまく実践できていない。それが憲法改正問題として表出しているのだろう。

 細かな違いを言い立てれば、百人百様となるが、その違いを解きほぐし、乗り越えながら、程よいところに決定していくのが、私たちの民主主義である。実際、よく議論していくと、選択肢はさほど広くないことが分かる。現実を踏まえて地に足がついた議論をすれば、五十歩百歩の差しか出てこないからである。そうした議論をせずに、これまでポジショントークを繰り返してきた。威勢はよいが、何も変わらないから、現状はどんどん悪くなる。適切な対応が打てずに、手遅れになる場合も出てくる。もうそろそろ、それを卒業しようというのが、今回の憲法改正論議の本質だと思う。

 そして、大いに議論したうえで決まったことは、みんなで尊重・遵守するというのも私たちのルールである。課題が残るかもしれないが、それは合意を前提に、さらに発展的に解決していくことである。もう一度、議論をひっくり返すのは、一般の耳目を引くし、なにか颯爽としているが、それでは、結局、何も決まらず、これでは、いつも振り出しの連続となる。結局、何も決まらないことだけが残っていく。

 いずれも簡単なことではないかもしれないが、今回の憲法改正論議では、こうした私たちの基礎能力が、問われているのだろう。がんばりどころなのだろう。
 
 ちなみに、わが家の場合、大事な決定は、全員合意である。考え方の違いがある場合もあるが、多くは話し合う中で解消する。それでも、迷う場合があるが、その場合は、連れ合いの判断に従う。みんな、連れ合いの判断は、無難であるが、間違いがないと信じているからである。これは我が家の場合で、最終判断者は、家庭ごとでさまざまだろうが、こんな合意と遵守は、どこの家庭でもやっている。民主主義というと難しいことのように思うが、基本は同じである。
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