松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆相模原市指定都市10年・できたこと、できなかったこと②監視、要求を超えて

2020-07-18 | 南区区民会議終わる
 最初は、たくさんの傍聴者があった。

 区民会議は、指定都市になると同時に設置された。相模原市の指定都市は、かなり無理をしたので、反対運動も盛んだった。たくさんの傍聴者の大半は、この反対運動の人達だった。彼らが、区民会議に期待したのは、行政の監視である。確かに、行政法の理論によれば、行政は監視の対象である。

 しかし、これは明らかに、時代とずれている。昭和の時代ならばともかく、ときは平成22年である。監視していれば、ハッピーになれるほど、幸せな時代ではない。

 他方、市の職員にとっては、市民は、由らしむべし、知らしむべからずの存在である。市民は、役所のいう通りにしていればいい。ときには、それが逆転し、偉い市民に対しては、多少の無理も融通を利かすことにもなる。これも昭和の時代の発想である。もはや市役所にそんな余力はないではないか。

 これらは、いずれも、一方向の関係である。一方向では、消耗するばかりである。

 1995年を境に、日本は、急降下を始める。相模原市が指定都市になった2010年は、その急降下の真っ最中である。そんなとき、昭和の時代のようなやり方をやっているわけには行かない。今の時代にふさわしい、関係を構築することが急務である。

 その際の私の理論は、協働である。ここで協働とは、一緒に仲良くやるということではなく、みんなが力を出すという意味である。市民も力を出し、行政も力を出す、みんなが、力を出すことで、ジリ貧になっている日本や地方自治を軌道修正していこう。区民会議も、そんな思いで、運営することにした。

 区民会議は、附属機関である。よくある附属機関は重々しく、質疑もほとんどない。そんな会議をやっている余裕は、もはやないので、
①みんなが意見を出せるように円形にする、②意見を出さない人は、出すまで帰さない、③ワークショップは多用する、④行政も混じって一緒に議論するなど、今日の南区の運営パターンは、こうした問題意識から生まれてきた。

 「これはおかしい」という委員がいると、「おかしいのは、私もわかるから、どうしたらいい」と笑顔を聞くようにした。完璧な答えでなくてもよく、一生懸命に答えると、それをヒントに、私もアイディアを付加し、「こんな感じですかね」とフォローに心がけた。

 こうした新しいスタイルに、最初は、みな戸惑ったと思う。それまでは、委員ということで、表面的には大事にされ、はれものに触るように取り扱われた。でも、このスタイルでやり始めると、みな、どんどん慣れていった。当たり前である。参加者は、みな大きな組織の会長である。こうした許容力がないと、会長になれない。その潜在的な力を引き出すのが、区民会議の会長である私の役割である。

 当たり前であるが、みな力を持っている。その力を引き出さないと、もったいない。おまかせでやってきたから、日本は、どんどんだめになってしまった。区民会議も、その力を引き出すというコンセプトで実践されてきた。これはひとつの文化なので、この文化をつないで、さらに強固なものとしてほしいと思う。
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