松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆弁護士懲戒請求事件のその後・今回がきっと最終回(三浦半島)

2019-05-21 | 1.研究活動

 何度か書いた弁護士懲戒請求事件が、ほぼ一つの結末に近づいてきた。その全体像も見えてきたようだ。

 これは、朝鮮人学校への補助金をめぐって、これに意見した弁護士会が、死刑しか罰条がない外患誘致罪に当たるとして、弁護士が懲戒請求された事件である。

 このテーマを取り上げているブログ等によると、おおむね全体像は次のようである。

 まず、誰かが「余命三年」というブログを立ち上げた。テーマは外国人特権などであるが、さまざまな記事を寄せ集めて、書いていたようだ。

 余命三年というネーミングも、ある種、中高年の共感を得る秀悦なものであるが、内容が「不公正・不正義」を問うものなので、中高年を中心に、共感する読者が増えていく。中高年がボランティアをする動機は、社会への恩返しである(他方、若者は自分を変えたいである)。いい社会にしたいという思いである。そこから、ブログに共感していく。

 そこに、出版社が目をつける。本が売れない時代である。小さいけれどもコアなマーケットがある。

 政治家が目をつける。ネトウヨと呼ばれる人は、国民全体の2~3%と言われているが、1億2000万人の3%である。参議院の全国区ならば、1人や2人は当選できる。

 活動家が目をつける。カンパである。10万人が1000円カンパすれば、1億円である。

 このビジネスモデルは、実は、ずっと以前からある。今回の場合は、外国人特権であるが、ここに平和や沖縄が入れば、もっと、大きなビジネスモデルとなる。それを模したものだろう。

 本を買う人、投票する人、カンパする人は、自分なりの正義のために賛同している人たちである。多くは普通のおじさん、おばさんたちで、差別はいけないと思っているし、外患誘致罪で弁護士を本当に死刑にしようなどとは思っていない。ただ公正や正義を取り戻してほしいという思いから共感しているだけである。

 このビジネスモデルが継続するには、常に新しい正義がなければいけない。沖縄ならば、沖縄の民意に反する政府の海の埋立である。ところが、こちらの方は、スジが悪いので、無理をすることになる。差別心を煽ることで正義を際立たせ、外患誘致罪を持ち出すことで、正義の行動だと思わせる。

 このビジネスモデルが成功するには、普通の市民の公正や正義の思いの範疇内で行動するのが鉄則である。当初、想定したのは、弁護士会へ外患誘致罪に相当するとして懲戒請求する→あまりにも荒唐無稽なので却下される→「却下するとは何事だ。弁護士会はやはり不正義だ」というシナリオだったと思われる。

 実際、懲戒請求には、1000人の中高年が署名したが、「匿名」だと聞かされていたとのことである(それは却下されて表ざたにならないという想定である)。

 ところが、意外にも、弁護士会は弁護士法に基づいて、まじめに受理し、それを名指しされた弁護士に通知した(第一の誤算)。

 名指しされた弁護士も、通常ならば、あまりに荒唐無稽だし、相手側を訴えても、採算割れするので、裁判にはならないはずであった。ところが、懲戒請求を求められた弁護士が、懲戒請求されるいわれはないと、反論し、カンパを集め、裁判に訴えるという行動に出たことで、シナリオが狂うことになる(第二の誤算)。

 裁判になると、当初は、30万円や55万円の損害賠償という判決が出るが、積み重なってくると、3万円や10万円という判決になる。たしかに金額的には、損害といっても、3万や10万円くらいかもしれない。本来ならば、お金ではなくて、謝罪広告や名誉回復がメインだろう。

 金額はともかく、懲戒請求をした中高年の行為は、不法行為であることは間違いない。ここがポイントで、公正や正義から出た行為が、不法な行為と裁判で公式に認定されることが一番きついことである。

 中高年の素朴な正義が翻弄された、このブログの下に、もはや中高年が集まることもないだろう。大きな得票を期待した政治家も、カンパを期待した活動家も、大誤算であるが、思い通りに行かないのは世の中の常である。

 大事な点は梯子をはずされた中高年をどう保護するかである。

 今回の事件で、世間からは差別主義者と指弾され、家族からは、お父さん何やってるのと非難されている人もいるだろう。人には言えないし、簡単には相談できない。いい知恵がないが、裁判の被告たちが書いた寄せ書きのようなものを見たことがあるが、とりあえずは、この仲間同士で、難局を乗り切り、その後は、静かに市井に帰ることを期待したい。

 この事件で学ぶことは多い。今回は、ビジネスモデルの核である「公正・正義」は、スジ悪だったので、共感は広がらなかったが、ここに入れ込むものが、国民のナショナリズムに直接響くようなものならば、人々のコントロールの及ばないものとして、動き出す恐れがあるということである。

 この4月からは、大した準備なく移民政策が始まった(ヨーロッパから学び、準備できることも多かったはずだ)。世界における日本の位置は、どんどん後退し、これまで下に見ていた国が対等に並び始めた。入れ込まれるナショナリズムの種は、いくらでもある。

 ここで一旗揚げようと、次を考えている人もいるだろう。こうしたなかでは民主主義の学校である地方自治が目指すのは、付和雷同に動かない、しなやかに行動できる市民をさまざまな機会をつくって育てていくことだろう。それが強い日本をつくっていく唯一の方法だと思う。

 いい世の中にしたいと思った気持ちをネットの世界ではなく、リアルなまちづくりにつなげる取り組みも必要である。民生委員も保護司も、自治会や町内会の担い手はどんどん減っている。いったん、静かな市井に戻って、英気を養って、その次は、こうした世界に足を踏み入れてもらいたい。

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