松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆2025年時代の総合計画・第3回(本郷台)

2014-07-28 | 総合計画

 神奈川県下の職員と2025年時代の総合計画を考えている。今回は、第3回目である。

 もともとの発想は、2025年時代は、地方自治が大きく構造変革し、あらたな局面に入るというものである。それ以前、最初の局面は、1990年代にやってきた。簡単に言えば、成長が成熟に変わった時代である。私が横浜市で仕事を始めた1970年代から1990年代までは、市民も行政をあまり頼らなかったし、右肩上がりで、お金もあったので、行政が自信を持って自治を運営できた時代である。

 1990年代になって少しずつ様変わりする。男女共同参画も、NPOもこの時代にやってきた。私が協働に出会うのは、1992年である。市民ニーズが高度化、多様化したため、行政によるサービスだけでは、市民ニーズにこたえられず、新たな公共主体として、女性、地域,NPOなどが注目される。成熟が育んだあらたな地方自治の局面である。

 2025年時代は、厳しい時代である。成熟を通り過ぎて、一転、凋落、破たんの時代が予感される。明らかに税収は減少し、社会保障費は著しく増加する。これまでの延長線を続けていては、立ち行かないのは明らかである。しかし、市民の暮らしは続くので、こうした厳しい時代の中にあっても、安心して暮らせる豊かな社会を創っていくのが自治経営である。

 こうした2025年時代には、発想の転換が求めれられることになる。
 例えば、コストカットも、今までの削っていくコストカットでは、2025年ころには、行き詰まってしまうだろう。今だって、カットできるものは、ほとんどなくなっている。そこで、より抜本的なコストカット、発想の転換が求められる。
 
 たとえば、近年、外国人などの少数者排除し差別する風潮が強まっているが、排除は高コスト・高リスクである。
 これは当たり前のことで、社会的に排除されれば、仕事につけず、生活できないので、生活保護を受けるか、あるいはアウトローになっていく。生活保護は、一人ひとりはさほどの額でなくても、ボリームが増えれば大きなコストになるし、アウトローになってしまったら、一人のアウトローによって、時には社会全体が大きな被害を受け、その一人排除しようと考えると、警察の経費だけでも膨大な費用が掛かる。政策論で言えば、排除という政策手法は、もともと高コスト、高リスクで、ワリのよくない手法である(誘導手法が最もコストが安い)。
  そこで、排除や差別を止めて、社会に受け入れ、少数者も地域や社会のために働いてもらうのである。ダメというのではなくて、良いところを伸ばすものであるが、これは排除のための膨大なコストを省けるし、税収だって期待できるようになる。

 2025年時代を乗り切るキーワードは、さまざまなものを包み込んでしまう、私たち日本人の持つ「受容性」ではないかというのが私のひそかな仮説である。ただ、私たちは、その受容性を素直に発揮できないシャイな部分を持っているので、それを乗り越える制度や仕組みを考えるのが政策マンの腕の見せ所なのかもしれない。

 板書はI研究員による。立ち振る舞いはもちろん、字もかわいい。

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