会議には、この2つの区別もある。
会議の中には、つつがなく終わらせるべき会議もある。それが有意義だからである。横浜市にいた時は、そういう会議もやったのだと思う。最終合意の会議で、また議論を始めてはぶち壊しである。ただ、これまでの体験で、あまり覚えているものがなく、覚えているのは、難しい調整の場面ばかりである。
大学に移ってからは、こうした会議の会長に任命されたことはない。ごちゃごちゃになって、にっちもさっちもいかなくなった会議、どう進めたらいいのか行政も迷っている会議など、ときどき頼まれる。
これは私の力量のもんだいでもある。退職後の身の振り方で、「顧問」という名称を打診されたが、顧問といえば、グレーの背広を着て、髪は短髪、事務所の中で泰然と構えている紳士のイメージで、大学のほうから、松下さんは「顧問」じゃないですねと、あっさり引っ込められた。そんな風なので、つつがなく終わらせる会議の座長など、声もかからないのは無理もない。
もともと私にはそんな役は声がかからないが、声がかかっても、お断りすることになるが、仮に、引き受けても、結局は予定調和的な会議運営はせず、侃侃諤諤、談論風発の会議にしてしまうことになる。
南区の区民会議は、市民による会議の一つのあり方を具体化しているが、当初は、どのような会議の運営をイメージしていたのだろう。附属機関という位置付けで、メンバーは、うるさがたが揃っている。行政の説明、そのあと少しの質問でお開き、そんな会議を想定していたのではないか。それがまるでちがう。
運営は苦労するでしょうと言われるが、そんなことは全くない。放っておけば、自然と闊達な会議になる。なぜならば、 もともと闊達な人がメンバーだからである。闊達でなければ、何万人もの区民の代表者になれるわけはない。
有意義な会議を作るコツは、メンバーの潜在力を引き出すことだと思う。ではメンバーの力を引き出すには、どうしたらいいか。それは闊達な雰囲気にするということである。何か元に戻ってしまったが、少なくとも会議は上手くやろうと、考えず、楽しくやろうと考えるのがコツのようにおもう。