松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇クラブの同期会があった(横浜)

2019-01-30 | 5.同行二人
 毎年やっているクラブの同期会があった。名前は生死確認会である。今年は平日の夜に、やや唐突にやったので、2名が欠席。5人で旧交を温めた。

 人生いろいろ、みな、いろいろな事があるが、会えば高校の昔に戻る。今回は、酒にまつわる話を思い出した。

 忘れていたが、考えてみると、高校のときは、折に触れて酒を飲んだ。合宿でも飲んだと思うし、文化祭が終わっても飲んだ。文化祭が終わり、学校のそばに寿司屋があり、その2階で飲んだ。その下の階では、教員たちが飲んでいた。そんな時代だった。

 旧制一中というバンカラ風が残っていたかもしれないが、みんな思い切り背伸びしていたのだろう(雀荘から、卒業式に祝電がきた。そんな高校だった)。

 Iくんは、40代でアル中になるが、それもこれも、この高校の時が原因だと言いはった。ちなみに、Iくんは、その後、断酒し、ここ20数年、一切アルコールを口にしていない(当時は、仕事中も飲んでいたそうだ)。

 まだ、現役で活躍している人も多く、別のIくんなどは、死ぬまで副社長を約束されているとのことである。人柄の為せる技だと思う。

 Oくんは、カタールだか、バーレーンだかを相手に、プラント輸出するという仕事の本部長とかで、アラブ人を相手に、こんな調子で煙に巻いていたのだろう。同じクラブの仲間と、飛行機のファーストクラスで会ったとか言う話は、このときの体験だろうか。

 Hくんは、理系の研究者であるが、今は、小学校で実習助手をやっている。小学校の先生は、Hくんの経歴を聞いたらやりにくかろうか、そんなことはお首にも出さず、助手に徹しているのは、さすがだと思う。

 酒の話で言えば、最初の頃は、役所では、5時過ぎから、部屋で飲んだ。環境にいたときは、議会の待機で、みんなで飲んだ。飲みながら、答弁を書いた。お隣の某市役所に出張で行ったときなど、お昼をごちそうになり、そこでビールを飲んだ。それから、ヒアリングだった。1990年のはじめころの話である。

 こうした風潮が、ばったとなくなるのが、1990年代半ば以降で、平仄を合わせるように、地方分権が始まり、三重県で行政評価が始まる。人口オーナス期で、まさに日本が一変した。銀行が潰れ、役所や会社の接待で成り立っていた料亭が、どんどんと潰れていった。協働もこの時代から生まれてくる。

 ともかく、久しぶりに面白かった。


 
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