新城市でプレ市民総会があった。サガジョの学生たち(15名)と教員2名とで見学に行った。
プレ市民総会とは、市長、議員、市民が集まって、まちの課題や未来を考える仕組みである。市民総会となっているので、地方自治法の町村総会と間違いやすいが、これとは違う。
市民総会のねらいは次のとおりである。
①日本の地方自治は、市長と議員が住民によって直接選ばれる二元代表制を取っている。この方法は、私たちの暮らしを守っていくうえで、解決の仕組みとしては、いい方法である(直接民主制だけではやりきれない)
②この二元代表制の妙味は、市長と議員の双方が、政策提案(暮らしがよくなる提案)をし合うことで、よりよいものにしていくことである。しかし、結果的に、強い首長と弱い議員という関係から、市長が提案し、議員がチェックするという、いびつな結果になってしまっている。
③かつての右肩上がりの時代、お金がいくらでもあった時代ならば、それでも何とかなったが、これからの厳しい時代、とてもこれではうまくいかない。市長や議員が、期待された役割を十二分に果たし、自治の担い手である市民も、知恵を出し、当事者となって行動していくようにしなければ、私たちの国は沈没してしまうだろう(9人で野球をやろう)。
④それを乗り越えるための仕組みのひとつが、市民総会である。市政の大きな課題やまちの未来について、自治の担い手である市長、議員、市民が、話し合い、情報を出し合い、思いを共有する機会をつくろうというのが市民総会である。だから、市長は、このように考えている、議員もこのように考えている、市民もこのように考えているといった議論をしながら、共有していくことが大事である。
⑤この市民総会は、決定することが目的ではない。市民が学び、市長や議員が市民の思いを学ぶのが目的である。思いを共有するのが目標である。決定権は、市長や議会にあるので、地方自治法に違反しない。その結果、市長や議会の判断と、市民総会での意見と違う場合も出て切るだろう。その場合、大事なのは、なぜそういう判断をしたのか、その理由を説明することである。
この日の新城市プレ市民総会は、市民の手作り感あふれるものとなった。会場の設営、運営も市民と役所が一緒にやった。自治基本条例検討会議にはいろんな人がいて、この日は、メンバーのお花の先生が呼びかけて、みんなで作ったフラワーアレンジメントが会場を飾っていた。みんなでマイクを持ち、市民にマイクを向け、市民感覚いっぱいの運営だった。
また、この日の参加者は、無作為抽出で選ばれた人で、プラーヌンクスツェレの可能性を広げることになった。
ただ、課題もあった。
①本来ならば、まちの課題や未来をみんなで議論するのが目標であるが、議会等からの説明、市民の意見提出、回答というパターンになってしまったことである(上の④がねらい)。
②この市民総会のそもそもの意義やねらいが、十分に参加者(その後のシンポジュームの参加者も含めて)に伝わらなかったようだ。自治基本条例づくりの会議では、制度設計も含めて、いろいろな議論が飛び交い、その意義や難しさが手に取るように分かるが、それをそのまま出せば、みんなが、よりよく理解できたのではないか。
しかし、焦ることはない。一歩ずつ、前に進めることが大事である。
この日、参加した学生たちは、1年生が多く、このような集まりは初めての経験だったろう。それでも、受付、座席への案内など、たのしそうにやっているのが印象的だった。
アバウト先生と言われている私が、終了後、あちこちで、話していたために、帰りの電車に遅れそうになった。そこで、あわてて、知り合いのひとりに声をかけて、車で送ってほしいと頼んだ。すると、すぐに他のメンバーに声をかけてくれて、15名が乗れる車が集まった。そこで急いで、駐車場に行き、いざ出発となったら、帰り渋滞で車が出れない(みな事務局なので、駐車場の一番奥に止めてある)。仕方なく、駐車場の出口近くで順番待ちをしている車に便乗させてもらうことにした。軽なら2名、バンなら4名といった感じである。むろん、初対面である。しかし、みんな気持ちよく乗せてくれた。このヒッチハイクに、一番驚いたのは学生たちである。都会では考えられないことだからである。そして、この車のヒッチハイクが、「自治とは何か」を考えるもっともよい題材になった(自治とは何かをめぐって難しい議論があるが、結局は、お互いが助け合うことである)。おかげさまで5分前に新城駅に着き、無事、新幹線に乗ることができた。ヒッチハイクで乗せてくれた市民の方に十分お礼を言えなかったが、この場を借りて、感謝申し上げたい。
プレ市民総会とは、市長、議員、市民が集まって、まちの課題や未来を考える仕組みである。市民総会となっているので、地方自治法の町村総会と間違いやすいが、これとは違う。
市民総会のねらいは次のとおりである。
①日本の地方自治は、市長と議員が住民によって直接選ばれる二元代表制を取っている。この方法は、私たちの暮らしを守っていくうえで、解決の仕組みとしては、いい方法である(直接民主制だけではやりきれない)
②この二元代表制の妙味は、市長と議員の双方が、政策提案(暮らしがよくなる提案)をし合うことで、よりよいものにしていくことである。しかし、結果的に、強い首長と弱い議員という関係から、市長が提案し、議員がチェックするという、いびつな結果になってしまっている。
③かつての右肩上がりの時代、お金がいくらでもあった時代ならば、それでも何とかなったが、これからの厳しい時代、とてもこれではうまくいかない。市長や議員が、期待された役割を十二分に果たし、自治の担い手である市民も、知恵を出し、当事者となって行動していくようにしなければ、私たちの国は沈没してしまうだろう(9人で野球をやろう)。
④それを乗り越えるための仕組みのひとつが、市民総会である。市政の大きな課題やまちの未来について、自治の担い手である市長、議員、市民が、話し合い、情報を出し合い、思いを共有する機会をつくろうというのが市民総会である。だから、市長は、このように考えている、議員もこのように考えている、市民もこのように考えているといった議論をしながら、共有していくことが大事である。
⑤この市民総会は、決定することが目的ではない。市民が学び、市長や議員が市民の思いを学ぶのが目的である。思いを共有するのが目標である。決定権は、市長や議会にあるので、地方自治法に違反しない。その結果、市長や議会の判断と、市民総会での意見と違う場合も出て切るだろう。その場合、大事なのは、なぜそういう判断をしたのか、その理由を説明することである。
この日の新城市プレ市民総会は、市民の手作り感あふれるものとなった。会場の設営、運営も市民と役所が一緒にやった。自治基本条例検討会議にはいろんな人がいて、この日は、メンバーのお花の先生が呼びかけて、みんなで作ったフラワーアレンジメントが会場を飾っていた。みんなでマイクを持ち、市民にマイクを向け、市民感覚いっぱいの運営だった。
また、この日の参加者は、無作為抽出で選ばれた人で、プラーヌンクスツェレの可能性を広げることになった。
ただ、課題もあった。
①本来ならば、まちの課題や未来をみんなで議論するのが目標であるが、議会等からの説明、市民の意見提出、回答というパターンになってしまったことである(上の④がねらい)。
②この市民総会のそもそもの意義やねらいが、十分に参加者(その後のシンポジュームの参加者も含めて)に伝わらなかったようだ。自治基本条例づくりの会議では、制度設計も含めて、いろいろな議論が飛び交い、その意義や難しさが手に取るように分かるが、それをそのまま出せば、みんなが、よりよく理解できたのではないか。
しかし、焦ることはない。一歩ずつ、前に進めることが大事である。
この日、参加した学生たちは、1年生が多く、このような集まりは初めての経験だったろう。それでも、受付、座席への案内など、たのしそうにやっているのが印象的だった。
アバウト先生と言われている私が、終了後、あちこちで、話していたために、帰りの電車に遅れそうになった。そこで、あわてて、知り合いのひとりに声をかけて、車で送ってほしいと頼んだ。すると、すぐに他のメンバーに声をかけてくれて、15名が乗れる車が集まった。そこで急いで、駐車場に行き、いざ出発となったら、帰り渋滞で車が出れない(みな事務局なので、駐車場の一番奥に止めてある)。仕方なく、駐車場の出口近くで順番待ちをしている車に便乗させてもらうことにした。軽なら2名、バンなら4名といった感じである。むろん、初対面である。しかし、みんな気持ちよく乗せてくれた。このヒッチハイクに、一番驚いたのは学生たちである。都会では考えられないことだからである。そして、この車のヒッチハイクが、「自治とは何か」を考えるもっともよい題材になった(自治とは何かをめぐって難しい議論があるが、結局は、お互いが助け合うことである)。おかげさまで5分前に新城駅に着き、無事、新幹線に乗ることができた。ヒッチハイクで乗せてくれた市民の方に十分お礼を言えなかったが、この場を借りて、感謝申し上げたい。