大学の授業で政治学を教えているが、第1回目は、国際政治、国内政治、地方政治の違いの話をした。
国際政治は、アナーキーといわれる。国際政治の特徴は、国際社会を律する憲法もなく、白黒をつける審判もいないということである。だから、基本的には力の競争になる。喧嘩(眼力)が強いものが、優位を占めるという関係である。そうしたアナーキーを前提に、これを律するルールを考えるところが、国際政治学の面白さである。
国内政治は、ある意味分かりやすい。いろいろあっても、最終的には、憲法と主権がすべてを規律する。警察や軍隊、裁判所が、力づくで白黒をつけてくれるからである。
これに対して、地方政治には、主権という概念がない(地方主権は言葉のあや)。だから、私が(神奈川県民)が、静岡県へゼミ生を連れて行っても、入国審査をせずに入ることができる。地方政治とは、国の憲法や主権の庇護のもとで、地域の人たちが、どうすれば力を合わせて、地域の平穏を守れるかを考えるものである。お釈迦様の掌の上で暴れている孫悟空のようなものだろう。地方政治を自治体政府と市民の関係を主権論だけで論じるのは単純すぎて、地方自治の機微を理解するにはやはり無理があるということである。
地方政治が、主権論だけで律せられていない証左は、マスコミ等に大いに登場している首長さんの言動を見れがすぐに分かる。実際に、困ったことが起きると(たとえば、宮崎県では鳥ウィルス、今度の大津波ではがれき処理でも)、すぐに「国は、国は」と言い出すからである。親父(国)の庇護のもと、あれが欲しい、これが欲しいと言っている、ドラ息子のように思える。「地方主権ではなかったのか」と突っ込みを入れたくなるが、あれだけ地方主権をPRしているマスコミも、一緒になって、「国は、国の責任は」と言い出してしまうので、私の声は声にもならないのだろう。そもそも、大向こうをうならせるのが、おそらく私の仕事ではないであろう。
マスコミには、載らないが、地道に、愚直に、地方自治を実践している首長さんもたくさんいるが、そうした自治体の実践に少しでも役に立てるよう、ちょっとしたアイディアや工夫を提供するのが、おそらく私の役割なのだと思う。迫力はないが、それは仕方がないだろう。
写真は、ゼミ生。4年生なので、卒業までの単位は十分足りているが、「先生が真面目に授業やっているかチェックしに来た」と言って、一番前で、授業を聞いている。
国際政治は、アナーキーといわれる。国際政治の特徴は、国際社会を律する憲法もなく、白黒をつける審判もいないということである。だから、基本的には力の競争になる。喧嘩(眼力)が強いものが、優位を占めるという関係である。そうしたアナーキーを前提に、これを律するルールを考えるところが、国際政治学の面白さである。
国内政治は、ある意味分かりやすい。いろいろあっても、最終的には、憲法と主権がすべてを規律する。警察や軍隊、裁判所が、力づくで白黒をつけてくれるからである。
これに対して、地方政治には、主権という概念がない(地方主権は言葉のあや)。だから、私が(神奈川県民)が、静岡県へゼミ生を連れて行っても、入国審査をせずに入ることができる。地方政治とは、国の憲法や主権の庇護のもとで、地域の人たちが、どうすれば力を合わせて、地域の平穏を守れるかを考えるものである。お釈迦様の掌の上で暴れている孫悟空のようなものだろう。地方政治を自治体政府と市民の関係を主権論だけで論じるのは単純すぎて、地方自治の機微を理解するにはやはり無理があるということである。
地方政治が、主権論だけで律せられていない証左は、マスコミ等に大いに登場している首長さんの言動を見れがすぐに分かる。実際に、困ったことが起きると(たとえば、宮崎県では鳥ウィルス、今度の大津波ではがれき処理でも)、すぐに「国は、国は」と言い出すからである。親父(国)の庇護のもと、あれが欲しい、これが欲しいと言っている、ドラ息子のように思える。「地方主権ではなかったのか」と突っ込みを入れたくなるが、あれだけ地方主権をPRしているマスコミも、一緒になって、「国は、国の責任は」と言い出してしまうので、私の声は声にもならないのだろう。そもそも、大向こうをうならせるのが、おそらく私の仕事ではないであろう。
マスコミには、載らないが、地道に、愚直に、地方自治を実践している首長さんもたくさんいるが、そうした自治体の実践に少しでも役に立てるよう、ちょっとしたアイディアや工夫を提供するのが、おそらく私の役割なのだと思う。迫力はないが、それは仕方がないだろう。
写真は、ゼミ生。4年生なので、卒業までの単位は十分足りているが、「先生が真面目に授業やっているかチェックしに来た」と言って、一番前で、授業を聞いている。