
今、考えているのは、「支える人を支えるまち」である。
イマジン出版の雑誌『実践自治』の12月号に、「支える人を支える政策づくり・福祉従事者がやりがいを持って働き続けることができるまちづくり条例(新城市)」を出した。この原稿は、8000字くらいという制約があるために、新城市のこの条例をその背景とともに内容を凝縮して紹介したものである。
ただ、もともとの問題意識は、「支える人を支える政策」である。これまでの政策は、支えられる人(困難を抱えた人)を対象であり(むろんこれも重要であるが)、支えている人には光が当たっていなかった。
今日では、支えている側も、弱体化し、それゆえ、十分、機能を果たせなくなってしまったという問題意識から、支える側にも光を当てて、その政策を確立しようというものである。
立派な理念を宣言すれば、それで問題が解決するといった意識高い系の思い込みや理念を具体化する制度や仕組みを構築すれば、問題が解決するというこれまでの常識が、もはや通用しないくらいに、制度や仕組みを運用する側の弱体化が目に付くようになった。
これを「福祉従事者がやりがいを持って働き続けることができるまちづくり条例(新城市)」を核に、この問題を考えてみようと思っている。
とりあえず、支える人を支える政策の考え方をまとめると同時に、新城市のこの条例をきちんと記録しておくためにも、関係の人たちに、話を聞こうと思っている。
まずは、地域共生社会との関連性から、考え始めている。
地域共生社会は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会を目指すもの」で、「支える側」「支えられる側」という一方向の関係ではなく、「地域に生きて暮らしている以上、誰もが支え・支えられるものである」という考え方である。
これは安倍内閣の一億総活躍の延長線の考え方で、協働の考え方を背景とする。私の「支える人を支える政策」は、これをさらに一歩前進させ、支える側を後押しし、支援する政策といえるだろう。
私のテーマの常として、やや先に行きすぎているので、関心を持つ人も少なく、それゆえ、マーケットが小さすぎて、本にできるのか、自信がないが(福祉分野ということもある)、電子書籍やPOD出版でも、きちんとまとめておくことが大事なのだろう。
イマジン出版の雑誌『実践自治』の12月号に、「支える人を支える政策づくり・福祉従事者がやりがいを持って働き続けることができるまちづくり条例(新城市)」を出した。この原稿は、8000字くらいという制約があるために、新城市のこの条例をその背景とともに内容を凝縮して紹介したものである。
ただ、もともとの問題意識は、「支える人を支える政策」である。これまでの政策は、支えられる人(困難を抱えた人)を対象であり(むろんこれも重要であるが)、支えている人には光が当たっていなかった。
今日では、支えている側も、弱体化し、それゆえ、十分、機能を果たせなくなってしまったという問題意識から、支える側にも光を当てて、その政策を確立しようというものである。
立派な理念を宣言すれば、それで問題が解決するといった意識高い系の思い込みや理念を具体化する制度や仕組みを構築すれば、問題が解決するというこれまでの常識が、もはや通用しないくらいに、制度や仕組みを運用する側の弱体化が目に付くようになった。
これを「福祉従事者がやりがいを持って働き続けることができるまちづくり条例(新城市)」を核に、この問題を考えてみようと思っている。
とりあえず、支える人を支える政策の考え方をまとめると同時に、新城市のこの条例をきちんと記録しておくためにも、関係の人たちに、話を聞こうと思っている。
まずは、地域共生社会との関連性から、考え始めている。
地域共生社会は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会を目指すもの」で、「支える側」「支えられる側」という一方向の関係ではなく、「地域に生きて暮らしている以上、誰もが支え・支えられるものである」という考え方である。
これは安倍内閣の一億総活躍の延長線の考え方で、協働の考え方を背景とする。私の「支える人を支える政策」は、これをさらに一歩前進させ、支える側を後押しし、支援する政策といえるだろう。
私のテーマの常として、やや先に行きすぎているので、関心を持つ人も少なく、それゆえ、マーケットが小さすぎて、本にできるのか、自信がないが(福祉分野ということもある)、電子書籍やPOD出版でも、きちんとまとめておくことが大事なのだろう。