若者問題の2回目である。若者の人格的自立を妨げる要因についての続きである。
若者の人格的自立に影響を与える要因のうち、前回は、家庭をテーマにしたが、今回は、教育、地域、社会をテーマとした。
学校教育は、生活の仕方、学力形成の場、アイデンティティ形成の場という機能を持つ。私たちの社会の基本は、人はそれぞれ形は違っても、みな価値があり、個人として尊重されるという憲法13条を基本にする。この個人の尊重は、私たちの社会が持続し、イノベーションが起こる源泉でもあるが、その基礎を学ぶのが学校である。
つまり、本来は、学校では、社会の多様性や他者への配慮、寛容性を身につけなければいけないが、実際には、その逆で、学校では、いじめやいわゆるキレる子どもの問題を抱えることになった。それが学校卒業後も続き、感情や欲望を抑える力が弱い「大人」が増えてきた。ネットなどを見ると、本来、分別盛りの大人も、人を非難し、唯我独尊的に自分の正しさを主張する例が目立つようになった。
今回の講義で特にみんなの関心を呼んだのは、地域の力である。私の体験を幾つか話したが、それが面白かったようだ。ここでは、ひとつ紹介しよう。
歩道に近所のこどもの塾の立て看板がおいてあった。近所に福祉の学校もある。目の悪い人が、躓いて転んでしまうだろうと心配した。法的には、もちろん違法である。それを見かけたらどうするかである。
私の体験は、①まず、邪魔でないところに片付けることである(実は、連れ合いもマロンの散歩の時に、邪魔でないところに移動していたようだ)。持ち去ったりするのは犯罪になる。②何度か繰り返し、本来は、「それで察してよ」というところであるが、若い経営者は、ちょっと察しが悪いようだった。そこで、マロンの散歩のついでに、塾に声をかけに行った。ただ、その日は、たまたまお休みだった。③翌日、通勤途上で、近所の松下であると言って、塾に電話をした。事情を穏やかに話したところ、「分かりました」ということで、これで解決した(と思った)。④ところが、1か月後、また看板が歩道に放置されていた。そこで、もうしかたがないと思って、今度は、役所に電話した。その結果、あっという間に片付き、その後は放置されなくなった。
ここで学生に伝えたかったのは、確かに、役所の威力は大きいが、すぐに役所に走らず、地域の課題は、できるだけ自分たちで解決するように努力することの大事さである。むろん多少面倒臭いが、自分たちでできることは、自分たちでやるが私たちの社会の基本だからである。それが民主主義の基本でもある。むろん、今回のように、それでも解決できない場合があるが、そのときは役所の仕事となる。補完性の原理とよく言うが、それは机上のことではなく、こうした地道なことだと思う。
教室では、こうした「地域の力」を私の体験を踏まえて、4つのケースについて話をした。スシローにおいて、相模大野駅において、ゴミ置き場においてであるが、どのエピソードも面白かったようだ。その度に、決め言葉「大事なのは地域の力」と言ったが、その度に大受けだった。
全く予定外の話が長くなって、若者の人格的自立を妨げる要因の説明は、箇条書き的になってしまった。反省。