相模原市には、いろいろと縁があり、がんばってほしいが、今回は、がっかりした。
神戸市は、国の補助制度ができる前から、ヤングケアラー問題に先進的に取り組んでいる。その内容は自制的かつ着実である。
そのきっかけは、令和元年 10月に、20代の若者ケアラー(孫)が、同居していた認知症の祖母(90歳)を殺害する事件が発生した。この事件を見て、神戸市長は、肉体的・精神的に追いこまれるなかの事件で、若者ケアラーに対する関係者の支援が十分に行えていなかったのではないかという問題意識から、市を挙げて取り組めと指示を出した。
10月というのは、指定都市では、予算の大枠は要求済みである。そこに割って入る作業で、力仕事になるが、市長の強い問題意識をバックに、担当者はそれを実現し、翌年度から制度が動き始めている。
他方、相模原市では、2016年に障害者施設で45人が殺傷された「津久井やまゆり園事件」が起きた。外国人に対するヘイトクライムもあり、そこで、川崎市を越えるという触れ込みで、人権条例の検討が始まった。
3年半に及ぶ検討の末、答申は、国籍や障害、性的指向など幅広い差別禁止事由を盛り込んでいたが、それを受けた市の骨子では対象を外国ルーツの人々に限定したものとなった。
その1年前には、「私が目指しているのはあらゆる不当な差別をなくす条例だ。その中にヘイトスピーチも入っている。性自認や障害の有無、国籍などの違いにかかわらず、あらゆる不当な差別をなくす条例をつくっていきたい」(東京新聞)と答えていた。発言が軽すぎないか。
こうした難しい制度は、市長が揺らぐと事務局はたまったものではない。逆に言うと、市長がぶれないように、理論的・実務的に自信を持ってもらうのが、事務局の仕事である。
ともかく、一方では1人がなくなって、その意味を踏まえて制度化を進め、他方では45人がなくなっても、制度化から除外する。相模原市らしいと言えばらしいが、区民会議などで、一緒に苦労した職員はみな優秀で誠実であったことを考えると、残念でならない。