松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地方自治体としての県(相模大野)

2013-05-01 | 1.研究活動
 都道府県は憲法上の地方公共団体なのかという論点がある。
 具体的は、もし都道府県を廃止して、道州制を採用した場合、これは憲法違反なのかという問題である。都道府県が、憲法上の地方公共団体ということになると、都道府県を廃止して道州制を採用するには、憲法改正が必要になる。
 地方公共団体といえるかどうかは、�共同体意識があるか、�その団体が自治権(自治立法権、自治行政権等)を持つかどうかがメルクマールとされている(特別区に関する判例)。
 �を基準とすることについては、反論がある。自治権の内容は、立法政策によって、どうともなるからである。そこで、一番肝心なのは、自治体としての共同体意識があるかどうかによる。はたして、住民は、都道府県についての共同体意識を持っているか、参加型授業を標榜しているので、学生に聞いてみることにした。
 学生たちの反応は、総じて、市民意識はあるが、県民意識は乏しいというものであった。つまり、はまっ子とはいうが、かなっ子とは言わないというのが答えである。
 学生たちの回答は、私にはよく理解できる。
 �私は、横浜市にいたので、県を意識して仕事をすることはほとんどなかった。唯一、都市計画にいた時に、当時、都市計画決定の権限が県にあったので、県職員と交渉したのが、最初で最後の体験だった。これでは、横浜市民は神奈川県民であることを意識する機会は少ないのだろうと思ったものである。余談になるが、その時の印象としては、県の職員は、実に頭がいいこと、そして非常に慎重だということであった。まずダメから出発し、しかも頭がいいので、それを論破するのが大変だった。当時、県の仕事の大半は、機関委任事務だったので、国の意を市町村に伝え、従わせるという発想で、訓練されていたのだろう。
 それでも、そのうち、仲良くなると、ずいぶんと様子が違ってくる。「松下さんは、何をするか分からない」と、ちょろっと言っていたが、彼らにとっては、横浜市の職員は、手に余る存在だったのかもしれない。
 �神奈川県の場合、政令指定都市が3つもあって、その分、県との関係はますます疎遠になる。サガジョは、全体に神奈川県の学生が多いので、学生たちは、神奈川県を見ての判断になるのだろう。
 �他方、学生のなかでも、地方出身者は、とても県民意識が強かった。大半が、市と同じくらいに愛着があるという。地方の場合、東京という大きな存在に対抗する意味で、県を意識するのだろうか。それとも、日々のサービスのなかで、県を意識する機会も多いのだろうか。この辺りは、もう少し、勉強をしないといけないだろう。
 横浜市における仕事から類推すると、政令指定都市選出の県会議員は、実際、地域を代弁する仕事はたいしてないだろう。これは知り合いの県会議員から聞いた話にも合致する。横浜市民とすると、県と同様な権限を持つ横浜市の議員と、同時に県会議員もいることになる。つまり県会議員については、2票持つことになる。だったら、政令指定都市の県会議員は、半分でよいのではないか。
 違憲判断が続いているが、人口比という形式的平等を貫いていくと、本当に、議員の活躍が期待される地方の声が、適切に反映されなくなる。投票価値の平等を説く議論は、筋が通っていて正しいが、筋が通っている分、どこかにひずみが出る。形式論は、配慮のたりなさ、思考停止に陥っているような感じもする。
 いきなり国会議員というのは、勇気がいるので、、県会議員のあり方から試して言ったらどうだろう。

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