最後の検討委員会になった。内容は、きわめて面白いが、少し時間がたったのと、次の本に取り掛かったので、時間が取れず、内容は議事録に任せることにしよう。
この日も闊達な委員会になった。この委員会の特徴は、平井市長さんも出席して、活発に議論している点である。逗子市のいいところは、出席している職員の人たちも、市長さんに遠慮なく発言するところである。
この会議が始まる最初のときに、ちょうど3月だったので、「人事異動も近いし、職員の人は発言しにくいね」と冗談を言ったが、市長さんから、すかさず。「いえ、職員は遠慮しませんから」という話があったが、本当にそういう会議になった。大学教授も、市長も、課長もなく、要するに、いい意見を言う人が、みんなの共感を得られるという基本通りの運営となった会議となった。
座長とすると、参加者が、自由に発言できて、しかも前向きな建設的意見を言えるような雰囲気というか、環境をつくるのが仕事のひとつであるが、この会議もそのような機会となったことに、ほっとしている。
思い出してみると、いろいろな会議を頼まれたが、そのいくつかは、その前までに、ごちゃごちゃになったしまった会議を正常化するために、私に声がかかるというケースである。私はトラブル対応要員なのかと、悲しくなるが、横浜市で係長になって、特命担当になり、大半はそんな仕事だったので、そんな空気感があるのだろう。最初は大変であるが、いずれは軌道に乗ることが分かっているので、頑張れる。
4月から大学教授を辞めると、こうした仕事は頼まれなくなるのだろうか。そんな折、ある町の委員会を頼まれたが、「松下さんが退職するのは、知っていますが、松下さんだからお願いします」といわれて、速攻、二つ返事で引き受けてしまった。「サルもおだてりゃ・・・」である。ともかく、4月からは、私は、肩書で仕事をしてきたのか、それとも実力で仕事をしてきたのかが問われるのだろう。
逗子の自治基本条例検討委員会は、第三世代の自治基本条例となるが、大学教授としては、最後の仕事になったのは、ひとつの象徴かもしれない。