相模原市の市民協働推進協議会公募委員選考委員会があった。詳細は書けないが、効率性の観点から、希望調書を書いた人がいた。私は、高い点を入れたが、それは市民協働事業が曲がり角に来ていると考えていたからである。
市民協働が作り上げたものがいくつかあるが、その一つが、補助、委託の決定プロセスの民主化である。かつては、補助、委託は、そもそも公募するしていなかったので、申し込めるのは顔見知りだけで、決定していくプロセスも、不透明で、恣意的であった。それを透明にしたのが、市民協働事業である。
特に衝撃であったのは、市民協働の公開プレゼン方式である。決定していく過程をオープンにし、市民参加を徹底するというのが画期的であった。この方式が、いつから始まったのかは、正確にはわからないが、私の経験では、私が横浜市の都市計画にいたころだから、1995年ころだと思う。最初に始めた自治体は、記憶が定かでないが、箕面市のような気がするが、これは協働提案制度と混じってしまったのかもしれない。
その公開プレゼン方式も曲がり角に来ていると思う。何よりも膨大な時間とエネルギー、さらには公開プレゼン用のノウハウ集まで教えているところもある。かつて委員をやったことがあるが、プレゼンの上手い下手で、評価が分かれた。そうではなく、まずは中身だと心したが、とても疲れるというのが印象である(ということは、多くの人が手を出しにくいものと感じてしまうということである)。
面白いもので、どんな優れた仕組みも陳腐化し、課題が出てくる。常に微修正、刷新をしなければいけないが、市民協働が始まって20年、見直すべきこともあるだろう。そのひとつが、協働と効率化である。公平性・公正性と効率化の問題と言い換えてもよいだろう。
市民活動と企業活動とは、もちろん行動原理が違う。違うことは十分承知しているが、企業活動のよさを取り入れることも重要だという意見である。この前シンポジュームに来てもらった、きらりよしじまは、活動の中に、QCの技術を取り入れている。その全体像を示す力はないが、市民協働も、そういう時期に来たということだと思う。
委員会の決定そのものは、あっという間に終わってしまったが、間のこうした余禄のほうがおもしろかった。そう言えば、以前、「幕間の松下」と自称していたことを思い出した。