元大関北天佑(ほくてんゆう)の二十山勝彦さんが亡くなった。
特別ファンだったわけではないが、
若くして亡くなったことが
ショックだった。
同世代を生きた人が亡くなるのは
特別重く心に残る。
北海道室蘭市出身。三保ケ関部屋に入門し、76年春場所初土俵。80年九州場所で入幕。多彩で力強い取り口を見せて83年夏場所で初優勝し、大関に昇進。大関在位通算44場所で貴ノ花に次いで歴代2位タイ。優勝2度。三賞は殊勲2、敢闘4、技能1。幕内通算成績は513勝335敗44休…だそうだ。
横綱に絶対なると思われていたが
いがいと精神面が弱かったのと「千代の富士」全盛時代で
大関で終わったとのことだ。
大関だって、すごいと思う。
人の死について考えてしまうのも
先日『米原万里』さんが亡くなったことに関係している…。
この日、「岡田真澄」さんも亡くなって
テレビは、そちらの方にたくさんの時間を使って伝えていた。
『米原万里』さんをかっこいいと思っていた。
長い間ファンだったわけではない。
どちらかというと
最近知ったばかりと言った方がいいかもしれない。
テレビのコメンテイターとして出演していて
コメントのするどさに感動したのだ。
米原万里さんのこと。
1950年、東京生まれ。
日本共産党幹部だった父親・故米原昶(いたる)氏とともにチェコスロバキアのプラハで少女期(9~14歳)を過ごし、現地の学校でロシア語を学んだ。ここで彼女は、人は違って当然、この世界も絶対ではない、という感覚を知ったという。
帰国後、東京外語大、東大大学院を卒業したが、日本の記憶力ばかり試す学校、価値観が均質で当然だという社会に適応できず、苦しんだようだ。二十歳代後半からロシア語通訳を始め、あらゆる分野の会議、要人(エリツィン等)の随行、記者会見などさまざまな場面に立ち会った。ソ連崩壊時は同時通訳者として活躍した。
彼女の経歴を知って
なるほど…と思った。
もっとたくさん話を聞きたい、もっと世間の人たちに話をしてほしい…
そう思っていた。
だから、ショックだった。
顔の見えない「ブログ」で
党派性のある文章を書くことは、危険だと思っている。
文章一つで人格の全てと思われるのが怖い。
(私のブログにそんな影響力はないけれど…
)
世の中がちょっと右傾化するように感じるなか
米原さんのような方に
もっと生きて、もっと発言してほしかったと思う。
吉永小百合さんのライフワークとして
「原爆詩」の朗読があるが
吉永小百合さんの反戦のコメントさえ、
批判が集まると聞いた。
米原万里さん…。
著書もたくさん出ていることを知った。
読んでみようか…。
北天佑さん、米原万里さん
お二人のご冥福をお祈りします。