土佐のくじらです。
日清戦争は、「とにかく清に、朝鮮半島から出ていって欲しい。」という、
当時の日本の、国防の見解に立って始まったのが原因というのが、もっとも整合性のある説明となります。
清国がそんなこと、受け入れるはずはありませんよね。
利権というのは、一度手にすれば簡単に手放すはずはありません。
それは今も昔も変わりはしません。
だから戦争になったのです。
戦争=ビジネス論の立場なら、戦争にはなりえません。
日清露三国統治ならば、清国は利権が減るでしょうけど、役人に賄賂を渡せば、交渉としては成立していたはずです。
このように戦争=ビジネス論国家なら、戦争のリスクを嫌う判断をします。
ですから、むしろ戦争は軽くなったり、始まらなかったりするのです。
日本人の戦争観がビジネスでなく、国防である証拠は、日清戦争後の朝鮮の扱いを見れば明らかです。
日本は朝鮮を清から切り離しましたが、自国の領土にしませんでした。
清との戦争に勝った結果、朝鮮を独立させたのです。
日本の植民地とか属国という立場でなく、大韓帝国という、独立した帝国に格上げしたのです。
驚きの判断です。
帝と王では、東アジアでは意味は全く違います。
帝は、天から命じられて全地を治める者であり、王は帝から命じられて、地上を収める地域の代表です。
大韓帝国・・・
これは、日・清・韓は同等という概念の、国号の表現形態です。
当時の日本は、朝鮮には独立した国家として独自防衛してもらい、それにより日本本土を守りきりたい・・・
そういう国防理念を有していた、これは明らかな証拠なのですね。
要するに当時の日本は朝鮮国家に対して、明治維新の朝鮮版をやって欲しいと願っていたと思われます。
ビジネス論的に言えば、大韓帝国から日本に朝貢するわけでもなく、税収入が入るわけでもありませんから、
人が良すぎる話で信じられないのです。
またその後三国干渉で、清から割譲された遼東半島を清にあっさり返しますけど、戦争ビジネス論ではありえない話です。
これなども、大韓帝国が承認されれば、今の中国北朝鮮国境あたりで国境が確定するので、同時に防衛ラインも確定します。
防衛戦が日本にとって十分な位置で確定しているので、その時の日本に遼東半島はいらなかったのです。
私は大変残念に思います。
遼東半島があれば、黄海は事実上日本の海になりますので、ビジネス論的に言えば、返還することは全く割に合いません。
私なら、干渉してきた三国の役人に賄賂でも贈って、のらりくらりと統治しましたね。(笑)
これが、ビジネス論的発想なのです。
遼東半島は日本が国防論を重視するが故に、その時にはいらなかった土地なのです。
清と朝鮮との国境が確定さえすれば、その当時は国防上は十分なのですね。
朝鮮の独立だけで、当時の日本の目的は、もう十分に達成されていたのです。
遼東半島を持つことによる利益より、それを巡る新たな戦火が起こる可能性や、国防負担の増加、
またそしてそれによる、日本本土への戦禍の可能性を嫌ったからだと思います。
当時の日本は、国防の負担が増えるのを嫌がった・・・。
これでないと説明できないくらい、この時の朝鮮独立と遼東半島返還は、ビジネス論的には惜しい判断です。
このように、日本の戦争観=国防論で見れば、様々な歴史的事実が、くっきりと鮮明に見えてくるのです。
日本の戦争観=国防でなければ、戦争というリスクを犯して他国を独立・・・。
これに対するつじつまの合う説明が、どうしてもできないのです。
朝鮮半島や台湾、そして南樺太や千島列島など、日本は歴史上、今の外国の領地と言われる土地を統治していた時期があります。
これなどには共通点があります。
それは、いずれの土地も、軍隊を派遣して占領した土地ではないということです。
これなども、かつての日本が占領国家ではない証拠だと思います。
日本=侵略国家観という、左翼的歴史教育では、現実の歴史はつじつまが合いません。
つまり左翼的教育は、つじつまの合わないことを押し付ける、一種のカルト教育だと私は思うのです。
土佐のくじらです。
朝鮮半島事情は、日本の国防にとって、直接影響を与えます。
ですから、国防を語る上で、ここから眼をそむけるわけには参りません。
近代の日本の幾多の戦争は、全てこの半島に関わっていると言っても過言ではありません。
朝鮮戦争を戦ったマッカーサー元帥は、実際にこの地で戦ってみて、日本の戦争観=国防を理解したようです。
朝鮮半島の日本から見た地理的条件のために、ここに反日勢力があれば、日本存亡の危機に立たされます。
これは近年のみならず、太古の昔から、今もそして未来永劫、条件は全く変わりません。
朝鮮半島は永遠のご近所さんであり、日本民族はこの現実からは、決して逃れられないのです。
そういう視点を持てば、日本の全ての歴史が、つじつまが合うのですね。
日本民族は決して好戦的な民族でもないし、「軍事力で他国から富を奪おう・・・。」などという、
海賊的・山賊的な発想をしない民族なのです。
それが良いとか悪いとかは、私は申しません。
よく出る場合、悪く現れる場合、その両方ございます。
善悪の議論を超えて、日本人はそういう人たちなのです。
事実ですので、仕方がありません。(笑)
海賊的・山賊的経済感覚で、軍事行動を起こす国たちというのはいくらでもあります。
むしろそちらの方が、世界では主流であると思います。
今の世の中では建前上は、「軍事力は全て防衛のため・・・。」と言います。
しかし、本音、そして深層心理的には違っていると思います。
こと軍事的なことに関しては、諸外国の方がよっぽど、本音と建前を使い分けるのが上手です。
世界の主流は、戦争=ビジネス論です。
そして日本史の教科書では、日本のこともそういう視点に立って書かれていますが、それだけはつじつまは合いません。
私が行っている日本人の戦争観、戦争=国防論でなければ、説明できないのが日本の歴史なのです。
明治27年に日清戦争が起きますけど、これもよく教科書的に言われる、
「朝鮮半島の利権をめぐる、両国の争い」だけでは、到底説明がつきません。
当時の朝鮮半島には、日本側が欲しいと思うようなものは、何一つ見つからないからです。
当時の李王朝朝鮮という国は、日本の弥生時代と、そんなに変わらないような国なのですね。
そして当時朝鮮は、清国の属国でした。
清国は近代化が遅れていましたが、国内に欧州列強勢力を抱えており、軍備の近代化は時間の問題でした。
日本がお手本を見せたからです。
そして清は当時、GDP世界第1位の超大国でした。
朝鮮半島に強い影響力を持つ清が、近代化されれば、日本は窮地に立ちます。
清国が近代化されなければ、ロシアが入ってくるでしょう。
ロシアは不凍港が欲しいからです。
今でも一年の半分しか、船を使った貿易や軍事行動がロシアは起こせません。
侵略国家的遺伝子を持つロシアに、凍らない港があれば鬼に金棒です。これは今でも変わりありません。
セミを狙う カマキリの後ろに スズメあり・・・
そういう環境だったのです。
(まぁ今でも、そうではありますが。)
日清戦争は、「とにかく、清やロシアは、朝鮮半島から出ていって欲しい。」という、
当時の日本側の、国防の見解に立って始まった戦争だったのです。
朝鮮半島の利権目的ならば、アフリカをヨーロッパ勢力が定規で地図上に、
勝手に国境線を引いて統治したように、日清露三国で国境を引き、分割統治すればよいはずです。
そうすれば、三国とも軍事的りクスを回避でき、欲しいものだけ取れば良いので割が合います。
日本が侵略的遺伝子を持つ国ならば、むしろ日清戦争は行われていないのです。
土佐のくじらです。
さて今日も、戦争観を中心とした歴史の世界に、皆様と共に旅して参りたいと思います。
そして昨日は、征韓論騒ぎという歴史的事実から、日本人の戦争観は、国防である・・・という仮説を提示いたしました。
結局、日本にとっての国防の最大の関心ごとは、朝鮮半島である・・・。結論的にはこうなってしまいます。
これはそれこそ、もう神代の時代から、日本ではそうであると言い切って良いと思います。
前回記事で述べた条件、
朝鮮半島に反日的な勢力、日本侵略をもくろむ勢力が出てきた場合には、たちまち日本は苦境に立たされる・・・。
この条件は、今も全く変わっていないと言うことです。
これは、地理的な問題ですので、逃れることは出来ない現実なのです。
朝鮮半島を海中に沈めることができれば、そういう心配はないのでしょうが、そんなことができるはずはありませんね。
「そういうことは、他の国の判断であり、内政干渉になるから、そんなことは、決して言ってはいけない・・・。」
そうおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
しかしそうであるならば、なおさらこの地全体が反日勢力にならないように、現実的な努力する以外ないのです。
今現在は、北朝鮮と韓国が反目しあっているので、まだ日本は安心なのですね。
平和的な両国の統合、統一朝鮮民族国家の出現と彼らの幸福な未来を、私は心より望んでおります。
しかしそれには条件があります。
その条件とは、反日勢力でない統一朝鮮であることです。
これは日本の安全保障上、絶対条件なのです。
ここが日本にとって、未来永劫、絶対に譲れない一線なのですね。
もし反日勢力として、朝鮮半島の国家が統一されるようなことになれば、
はっきり言えば、日本はもう一度、軍国主義国家への道を歩まざるを得ません。
これが現実なのです。
その時には、なりふりかまっていられないのです。
この法則は、過去現在未来、永遠に変わりありません。
日本と韓国との国境線は、日本海の海上に存在いたしますが、現代日本の防衛線は事実上、朝鮮半島の北緯38度線です。
これを認めなければ、はっきり言って日本は守れません。
これをいつかは日本人が認め、腹をくくらないない限り、日本人の生命と財産、
そして日本人としての自由は、どこかの外国のものになっても、それは仕方がないということです。
それが現実です。
そういう現実、そして前提の下に、現に今の日本の平和はあり、今後も日本人がその平和を享受したければ、
少なくとも朝鮮半島全域が反日勢力にならないように、できれば半島全体が親日国となるように、
日本が国家としての努力をし続けることを、覚悟しなければならないのです。
それが、真に歴史から学ぶということだと私は思います。
日本人にとっての朝鮮半島・・・
それを歴史的な事実から、もうしばらく書いて行ってみたいと思います。