土佐のくじらです。
日露戦争の日本の勝利、そして日韓併合によって、
ひとまず北の驚異から脱した日本は、明治維新依頼の念願の、平和の時期を迎えました。
世界最強国イギリスとの軍事同盟の下、いわゆる大正デモクラシーと言われる、
近代日本にとっての幸福な時期に、これから入って行くのですね。
ただこの時期に、日本は重大な外交上の間違いを、とても多く犯していると私は思います。
その最大のものは、この時期に起こった第1次世界大戦における、日本の軍事的な行動においてです。
最大の問題点とは、日本は第1次大戦に、全く参加意欲がないのです。
一応、地中海に駆逐艦を派遣し、連合国の輸送船舶の護衛はしており、戦死者も出してはおります。
しかし当時、同盟国のイギリスからは、「戦艦を出して、一緒に戦ってくれ!」と、再三に渡り依頼されていましたが、
日本はこのイギリスからの依頼を、実にあっさりと断っております。
そして中国大陸にあった、敵国ドイツの港を攻撃する位で、共に戦うという気持ちが、同盟国側に全く通じておりません。
日本は第1次世界大戦には、全くのお付き合い程度の参戦の仕方なのですね。
ヨーロッパ諸国においての第1次世界大戦は、ヨーロッパ諸国民にとっては、
それはもう悲惨で悲惨で、彼らの歴史的なトラウマになるくらいの、とても辛い戦いだったのです。
それを当時の日本人は、理解しようとしませんでした。
おそらく、今もしていないでしょう。
世界最強国イギリスと、軍事大国ロシアを破った日本・・・
当時の日英同盟は、世界最強の軍事同盟だったのです。
ですから当時の日本が、その気になればこの悲惨な戦争を、止めさせることも、早く収束させることも可能だったのです。
これは日本の戦争観=国防・・・という潜在意識が、日本人にそういう決断をさせ、
他国の苦しさや悲しみに無関心にさせているとしか、私には思えません。
戦争=国防論・・・と言えば、格好は良いのですけど、
要するに日本人は、自国の防衛以外に戦力を出すのは、根本的に理解できない民族なのです。
これが現代においても、自衛隊の海外派遣活動(PKO)に反対したり、インド洋での自衛隊の給油活動などに反対する勢力がありますし、それを「その通りだ!」という支持者も多い、根本的な問題だと私は考えるのです。
しかし当時の日本は、この第1次世界大戦によって、空前の好景気が訪れ、そしてドイツの中国からの租借地(山東省)の利権を得ます。
また、日本の租借地関東省(満洲)や南満州鉄道の、租借期限延長権を得ます。
また、アメリカ領のハワイとフィリピンの間にある、パラオやマーシャル諸島の領地を得ています。
戦争=防衛論国家のくせに、多くの利益は得てしまいました。
これも大きな間違いです。
これで全世界に、日本の戦争観=ビジネス・・・と、誤解されたと思います。
「そんなもの要りません。」と言っておけば、その後の国際社会の誤解は、きっとなかったでしょうね。
これだけの利益を現実的に得ているなら、もっと同盟国としての重要性を、国際的にアピールする必要がありました。
利益、権益獲得を、日清戦争後の遼東半島返還時のように、むしろあっさり拒否していれば、
「あっ、日本はやはり、サムライの国なのだ。」と、かえって国際的な評価が上がったことでしょうし、
世界の戦争観=ビジネス論の流れにも、良い影響を与えられたかも知れません。
日露戦争は勝利しましたが、多く国富を失ったので、ケチな心が芽生えたのかも知れませんが、
当時日本は、既に有数の工業国へと発展し、十分大国入りしておりました。
取りもなおさず、同盟国と共に戦う姿勢を強く見せなかったのに、戦勝国として、利益だけはチャッカリ得てしまった判断が、
同盟国イギリスに不信を与え、その後の日英同盟破棄への流れをつくり、そして中国やアメリカに、反日感情を与えるきっかけになってしまったことに、間違いはないと思います。
大国ロシアに勝利し、当時の日本は、国際的な地位を大きく上げましたが、同時に日本に対する国際的な警戒感も、高まっておりました。
日露戦争後の日本の外交のあり方は、現代、そして未来においても、日本が充分注意すべき教訓が、沢山沢山含まれていると、私は考えています。
土佐のくじらです。
このブログは今、歴史問題を取り上げています。
日清・日露戦争の見解を終え、今後日中・大東亜戦争に論を進めてまいりますが、その前にまとめをしております。
それは、日露戦争を追え日韓併合をした後、日本は様々な間違いを犯していると思うからです。
日本にとって、つかの間の平和と思われる時期に、日本は間違ったことをしているのです。
ここを精査し、教訓としない限り、真の平和主義とは言えないと思います。
戦後の日本は、ある意味で日露戦争後と同じ、”つかの間の平和の時期”にあると思います。
ですから、歴史を繰り返さないためにも、ここをしっかりと見つめる必要があると考えます。
我々にその気がなくとも、戦に巻き込まれる・・・
一見平和に見える今、逆の意味でそういう危険に充ち満ちているように、私には見えて仕方がないのです。
日本は、元来侵略国家ではありません。
少なくとも歴史的事実をつぶさに見る限り日本人は、積極的に他国の富を奪うことで、喜びを感じる民族とは思えません。
ただ、そのことで戦わなくとも良かった戦も、やはり出てきております。
歴史とは皮肉なものですね。
ロシア戦争自体は、完全な国防戦争です。
当時最強国イギリスの後ろ盾や、熱烈的親日国トルコの思いがけない援軍等のお陰もあり、
判定勝ちとはいえ、日本はロシアに勝利しました。
ですがそのことが、後々の日本の運命、そう、太平洋戦争への流れの始まりになったと私は思います。
日本はロシアに勝利し、遼東半島と樺太を領地として獲ました。
遼東半島は日清戦争で、清国に返還した土地です。
遼東半島と満州からロシアを追い出すのが、ロシア戦争の日本側の目的ですから、
日清戦争後日本が、遼東半島を清に返還しなければ、日露戦争は起きなかった可能性もありますね。
ですから、日清戦争の戦後処理においても、当時の日本は判断を誤った可能性があると、私は思っております。
日露戦争では遼東半島という土地の他に、この地にロシアが造った南満州鉄道の権利も所得いたしました。
日露戦争の仲裁国アメリカ合衆国は、この南満州鉄道の共同経営を日本に持ちかけますが、日本はそれを断っております。
私は、この南満州鉄道を、日露を仲裁したアメリカと共同経営しておけば、その後の日米戦争は起きなかったのではないかと思っております。
日本は国防目的以外で、他国と戦争をした形跡はありません。
しかしそのことを、理解している国も、当時はありませんでしたし、現在もないかも知れません。
いや今も、当の日本人すら、そのことを理解しておりません。
戦争=国防論の国民の癖に、戦争=ビジネス論国家だと洗脳されていて、きちんと自国のアイデンティティーを理解していないように思います。
当時世界は、戦争=ビジネス論で動いており、日本の行軍事動原理は、世界では全く理解不能であったのです。
アメリカが満州に入ってくれていれば、そのことを理解してくれる友人になれた可能性は高かったと思います。
現にマッカーサー元帥は、そのことを朝鮮戦争という現地での実体験を通して、そのことを理解したからです。
当時の日本はこの地に、侵略的思考を持つ列強勢力を、入れたくなかったのは痛いほどよくわかります。
しかし日本も、列強の戦争観=ビジネス論をきちんと理解していたとは私には思えません。
彼らは、割に合わなければ戦いをしないのです。
そして、現実から学ぶフィールドワークということは、彼らの最も得意とすることろです。
日本は純粋と言えば純粋なのですが、この時に、他国の戦争観もきちんと理解していれば、
日米は共同で、この世界の火薬庫を守ることも可能であったはずです。
列強勢力と、共同の利益を得る仕組みを考える必要が、この時は既にあったと思うのです。
満州鉄道の日米共同経営ができなかったことが、私には残念でなりません。
共同経営していれば、アメリカは自国の利益を守るために、日本と共に戦う仲間になっていたでしょう。
日本人が戦争観の違いを理解していない・・・。このことは、今も全く当時と変わっていません。
そのことが、未来の日本の平和を脅かすことにならぬよう、私は心より願っております。